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NHK Eテレビ「仏教に何ができるか」(4) [2013年05月17日(Fri)]

NHK Eテレビ「仏教に何ができるか」(4) 〜奈良・薬師寺 被災地を巡る僧侶たち〜

 =5月11日、午後11時

 「仏教に何ができるか」というテーマで放送されました。  東日本大震災の被災地の支援に加わった仏教の僧侶の方が仏教を見直しておられます。 その様子を見ると結局、マインドフルネス心理療法のようになっていかざるをえないことを感 じました。(放送内容の核心部分をみますが、文字おこしは正確ではありません。大体の要旨 です。<感想>の部分が私の感想です。)

自分のありようを観察するのが仏教

 大谷さんは、早川さんと仏教が被災地で何ができるか話し合った。 大谷さんは、率直な思い「こんな厳しい状況で悩む人たちに仏教は無力ではないか」とぶつけ た。 早川さんは、「釈尊に立ちもどって、仏教を考えなおさなければならないのかな。 悩みを打ち明けられたり、相談を受けたり、あるいは、頼りにされたり、・・そういうふうな ことがあって僧侶なんだと思う。」と。
 次の写経会で、大谷さんは般若心経の文言そのものをとりあげることにした。 薬師寺の原点にたちもどるしかないと考えた。
 「私たちは迷いと悩みの同居。その迷ってばかりいる私たちが、幸せになれるように、悟れ るように説かれている人生のガイドブックがお経なんです。・・・」
 般若心経の冒頭の「観自在菩薩」を取り上げる。観音菩薩と訳されている経典もあるが、般 若心経では「観自在菩薩」となっている。
 「『自分のありかたを観よ』と言っている。・・・」
 (僧侶としての)「自分は無力でもお経には力がある。そう信じて大谷さんは写経会を続け た。」

仏教はそれぞれの時代で違うものだった

<以下、私の感想>
 被災地の人たちに必要な「仏教」は、苦しみの克服なのだろう。生きていく智慧、死んでからのことでなく、苦しさのなかで生きていく智慧だろう。うつにならず、自殺せず、生き抜いていく智慧。うつになったら、回復できる智慧。歴史上の仏教には、四苦八 苦からの解放、十二因縁、四聖諦、八正道、禅定、仏陀、如来、涅槃、菩提、三身、業、輪廻、悟り、解 脱など多くの点が含まれており、さまざまな地域で、さまざまな点が強調され、方法が工夫さ れた。
 仏教は、インドで起ったが、中国に伝えられてから、かなり違う表現になった。中国襌は、 十二支縁起、四聖諦、八正道にはふれていなかった。
     「かれらはさらに、輸入的方法ともいうべき伝統的な表現方法には頼らずに、かれら自身の 言葉でこれを表示しようとした。かれらは、ふるいものの言い方を全部破棄したわけではなか った。あれらも、「仏陀」、「如来」、「涅槃」、「菩提」、「三身」、「業」、「輪廻」、 「解脱」その他、仏教の骨格を作り上げている多くの概念に言及している。だが、 「十二因縁」、「四聖諦」および「八正道」には、全然ふれていない。」 (『襌』鈴木大拙、筑摩書房、1987年、121頁)
 中国襌は、苦悩の解決にはふれていない。鈴木大拙がいうような国民性もあるだろうが、 唐宋時代の中国は封建国家であり、むしろ為政者が民に苦をもたらしていた。そういうところ では、苦の原因、苦の解決を強調する教えは、為政者が苦を与えていて、インド仏教のように 苦の解決をいうのはふさわしくないこともあっただろう。また、年貢や労役の苦から離れてい た僧侶は、あまり苦悩しておらず、仏教を会得しても救済支援の教えを必要とする民はおら ず、それよりは、仲間の僧侶に対して、仏教のもう一つの核心である悟り、解脱を重視し、悟 りの後の詳細な探求を続ける方法に傾むくしかなかったのであろう。現代でも、国家によって 人権が抑圧される国では、宗教の自由が制限される傾向がある。

仏教の各宗派は現代に貢献できるものがある

 多くのものを失った苦しみを持つ被災地の方やうつ病、不安障害、依存症、ひきこもり、DV(暴力)、虐待された人、がん患者さんの死の不安など「現実の苦の 心理的解決」が重視されるならば、悟りと悟後の修行が重視された中国襌は参考にならないだ ろう。日本の襌も、奈良時代末期から江戸時代までの封建時代に普及したもので、やはり、苦の解決を強調すると、苦を与える為政者の怒りをかうおそれがあって、苦の解決の方面を探求することは背後にひいたであろう。 昭和までもその踏襲の傾向が強くて、苦の解決支援の段階は弱かった。日本の伝統仏教が、うつ病などの支援には用いられていない。それぞれ、独自の行法、祈祷、「悟り」を重視していて、 庶民の苦悩、うつ病のような援助方法は考案されなかった。仏教は、さまざまな展開をしたが、 現代人の苦悩の支援のために仏教が貢献するならば、初期仏教の原点に戻り、苦の解決にならい、新しい方法を開発しなければならないだろう。開祖の教えの中に、その核心を検討してみると、現代人の苦悩の解決支援に活用できるものが必ずある。仏教なのだから必ずある。それを見直して、現代人の苦悩解決の支援に本格的に乗り出すことが期待される。
 また、初期仏教のままでもいけない。初期仏教を学んで、上記のような現代人の苦悩を援助しているという話もあまり見えない。時代が違う。苦悩も違う。環境も違う。歴史的にあった仏教そのままではいけない。根底にある核心的な器に、新しい苦悩解決の食物を盛ることが必要だろう。

(続)


NHK Eテレビ「仏教に何ができるか」 〜奈良・薬師寺 被災地を巡る僧侶たち〜
Posted by MF総研/大田 at 20:44 | 災害とストレス | この記事のURL