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「仏教に何ができるか」(3) [2013年05月16日(Thu)]

NHK Eテレビ「仏教に何ができるか」(3) 〜奈良・薬師寺 被災地を巡る僧侶たち〜

 =5月11日、午後11時

 「仏教に何ができるか」というテーマで放送されました。  東日本大震災の被災地の支援に加わった仏教の僧侶の方が仏教を見直しておられます。 その様子を見ると結局、マインドフルネス心理療法のようになっていかざるをえないことを感 じました。(放送内容の核心部分をみますが、文字おこしは正確ではありません。大体の要旨 です。<感想>の部分が私の感想です。)

松久保さん

 テレビは、もうお一人の、松久保さんを追った。そこでも、被災地での活動は、他の地域で の説法をそのままにはできなかったようだ。
 松久保さんはこれまでの教えをみつめなおすことになった。命のありかたを説いてきた。「 色即是空 空即是色」の教えを、次の世での生まれかわりと説明していた。その教えを被災地 で説くのがふさわしいのか考えてしまう。
 「与えられた命 そしてそれをお返しする命 その経(へ)巡りを仏教っていうのは教えて くださっています。いただいたのだからお返しする。」とも説明した。こうした説法を、まさ に 愛する人を奪われた苦しみを持つ人に、どう説いたらいいのか考えざるをえなかった。
 写経会で看護師で家族3人を失った人にあった。仮設住宅でお経をあげさせてもらった。今で きることはそれしかなかった。趣味だった刺繍をやっているという。説法の言葉はでない。 「形あるものがなくなる。次のものがつながっていると思うが、この震災では重い。」うまく 言えない。

違う解釈もある

<以下、放送になく、私の感想>
 釈尊は、死後のことは「無記」として、説かなかった。死は苦の一つとされた。
 鈴木大拙によれば、昔の襌では、「色即是空 空即是色」を別様に解釈する。生物的な死後のことではない。この人 生で、自我の死を悟る。そして、「色即是空 空即是色」は、この人生において無分別の分別 で他者のために働くこと、報いを受けないで働く無功用のこととする。 鈴木大拙はこういう。
     「分別すれば矛盾は当然の帰結である。しかし無分別は無分別で終始せられるものでない。 無分別は分別せらるべきである。そしてその分別はまたいつも無分別を省みていなければなら ぬのである。般若哲学の『色不異空 空不異色、色即是空 空即是色』は実にこの論理的交加 性を道破したものである。襌家はこれを次のようにうたう、
      色空不二法門裏
      跛龞払眉立晩風
      (色空不二法門の裏(うち)、
      跛龞(はべつ)眉を払って晩風に立つ)
     これではますますわからぬといわれようが、無功用的行為は、実はこのわからぬところから 出てくるものである。」(『襌の思想』鈴木大拙、春秋社、1975年、98頁)

     「仏教家および襌者の無功用は宗教的意識の最も深いところから出ているので、これが実に 東洋的および日本人生観の基本原理を構成していると考えなければならぬのである。」(同、 92頁)
     「無功用的行為は報いを考えのなかに入れぬということである。こんな仕事をすればこんな 報いがあるといって、その報いのほうを仕事そのものより余計に考えることは、無功用的行為 ではない。もっと厳粛にいうと、仕事だけを考えてその外一切の事を考えぬのが、それである 。今の場合この事はなすべき事であるということに筋がきまれば、ただその事を行じて、その 他一切の利害得失を考えぬこと、これが無功用である。」(同、 92頁)
 <以下、私の解釈>空は無分別、無善悪、無我無他、無エゴイズム、無煩悩であるが、そこには留まらない。空 から他者の苦悩を分別する智慧が生まれて、無分別を基準にして(「無分別を省みていなけれ ばならぬ」)の他者救済の分別の働きが出てくる。自己に都合のいい立場に立たない、自己の 利益の立場に立たない。
 鈴木大拙は、これが昔の仏教、昔の襌だというが、現代は違っているかもしれない。 無功用、空即是色、色即是空が鈴木大拙のいうとおりであるならば、 西田哲学でいう「世界の立場」、自分が全く勘定にはいっていない宮 沢賢治がいう立場 であると思う。
 こういうふうに、現れる現実の苦を自我の立場でみようとしないで、世界の立場で受けとめて、 自分のなすべきことをしていく生き方を身につけていくことを学ぶのがマインドフルネス心理療法ともいえる。宗教は厳密厳粛であるが、マインドフルネスの自己洞察瞑想療法は、そこまではいかない。宗教的立場を参考にして、宗教以前の自己の洞察でさまざまな苦悩を乗り越えていく生き方である。
 宗教レベルのマインドフルネスの心理学はこれまでなかった。フランクルは、精神科医が扱うものではないといった領域である。 家族が死んだのは自分の責任として苦しむ被災者の人、自己自身の無価値に苦しむ人、死の恐怖におびえるがん患者さんの一部には、必要となるかもしれない。

(続)


NHK Eテレビ「仏教に何ができるか」 〜奈良・薬師寺 被災地を巡る僧侶たち〜
Posted by MF総研/大田 at 12:04 | 災害とストレス | この記事のURL