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フランクルの教育の使命論(4) [2013年04月19日(Fri)]

フランクルの教育の使命論(4)

 =フランクルの精神・哲学を医師・看護師・宗教者・心理職を育成する大学で教育を

 3.11をきっかけにして、フランクルが読まれているそうで、ありがたいことです。 フランクルの精神や哲学は、西田哲学に通じるものがあって、フランクルのわかりにくいところを西田哲学の立場からみると、わかるような気がします。フランクルは、医者の領域と聖職(宗教)の領域を説明しつつ、医者は宗教の領域は扱えないことを強調しています。これも、西田哲学と通じます。両者には深い断絶があるのです。しかし、宗教の領域を必要とする人が、宗教者のもとにではなくて、医師のところ、病院に多数あつまっているのです。 そして、心理職のところにも。
 心理職が学んだ手法や療法を、また全体主義、画一主義、還元主義の心になってしまってはいけないことも、フランクルから学ぶことができるはずです。クライエントのかかえる苦悩は浅いもの、病理、そして、心理レベル、精神レベル(自己存在)、宗教レベルまであるはずです。自分の学んだ療法が万能ではないはずです。そういうフランクルの精神を学んでおかないと、自分のスキルとは違う問題を「来談者中心」だと扱い続けると、ながびき、悲劇を招くこともあり、クライエントのためであるとはいえなくなるのではないでしょうか。端的に いうと、薬物療法が全体主義、画一主義、還元主義になってもいけない、傾聴が全体主義、画一主義、還元主義でもいけない、マインドフルネス心理療法が全体主義、画一主義、還元主義になってもいけない、認知行動療法が全体主義、画一主義、還元主義になってもいけないというのが、フランクルの趣旨だと思います。
 医師や看護師、心理職の育成の段階にもフランクルのいうことを教育するといいだろうにと思います。そして、宗教者を育成する大学の教育でもそうです。宗教が全体主義、画一主義、還元主義になっては、変動の激しい時代に必要とされる宗教であり続けることはできないのですから。宗教離れが進行していますが、根底の深い精神性を宗教者個人がつかみとり伝えないからだと思います。全体主義、画一主義、還元主義でなく、一人ひとりが自分のものをつかみとらないからだと思います。一つの宗教実践に還元される節があるが、その根底には他宗にも、人類に共通に通じる普遍的なものを開祖もいっているのだということを教育することも必要であると思います。
 それでも宗教の立場(すべての人間の絶対的平等の立場)が人間存在の根本なのですから、 一般の人は宗教に期待するのです。もはや、これまでの専門家は後進にゆずって、自由に議論することを許すことが必要である時だと思います。金庫の中に開祖の宝が保管されているのを、若い世代の人に発掘してもらえばいいのではないでしょうか。フランクルも西田哲学も、宗教とそれ以前の区別を知りつつ、宗教のすばらしさ、つまり人間の苦悩を救済する援助ができる可能性を訴えています。宗教の専門家も宗教の大学も、そのように深い宗教を提供できる若者を育成しなければならないでしょう。
 医療の領域と宗教の領域の違いを知り、宗教者もまた、宗教の限界を知り、医療にまかせるべきものを宗教で扱ってはならないでしょう。

(続)

<目次>フランクル、生きる意味、生きる価値、生きがい
Posted by MF総研/大田 at 07:01 | フランクル | この記事のURL