フランクルの教育の使命論(2)
[2013年04月16日(Tue)]
フランクルの教育の使命論(2)フランクルによれば、神経症には2つのタイプがあると言います。当時の「神経症」とは、現在のうつ病の一部、不安障害の一部、さらには、うつ病の診断基準にははいらないものも含まれるようです。なぜなら、うつ病であれば、意味が発見できたとしても、症状がすぐには回復しないからです。フランクルによれば、タイプによって、治療法が違います。 「ヨーロッパ大陸諸国の精神因性神経症は、診療所で取り扱う神経症の全体の約二〇パーセントです。精神因性神経症はヌースつまり精神に起因します。そこでこれには精神的な療法つまりロゴセラピーが必要になります。」(フランクル、広岡義之訳「意味喪失時代における教育の使命」(「imago」現代思想2013 vol.41-4、青土社、p41) 「逆説志向は八十パーセントの心因性精神療法で使用され、二十パーセントの精神因性精神療法では厳密な意味でのロゴセラピーが使用されます。」(p42) フランクルによって、よく言及されているのは、強迫、予期不安、および、生きる意味の喪失の苦しみです。問題によって、治療手法が違います。精神は心理よりも深いので、精神に原因がある精神因性の苦悩は、心理療法では改善が難しいという趣旨です。 現代人にも、過労によるうつ病、非定型うつ病、新型うつ病があり、さまざまな不安障害があります。ほかにも、さまざまな心の問題があり、画一主義の治療手法では解決できない人がいます。うつ病や不安障害は、ロゴセラピー、認知行動療法、マインドフルネス心理療法、日本で開発された森田療法、内観療法などが効果があると認められています。また、それぞれの療法は、効果のある問題が違うでしょう。 大学における心理学の教育でもそのように、精神の深さや多くの治療手法への扉があることを教育しておかなければならないでしょう。一つの見方のみを徹底的に教育されると、素直で責任感のあるカウンセラーは、クライエントの問題解決に効果がない問題にまで、同じ手法を使い続けてしまうおそれがあるのではないでしょうか。 フランクルがいうように、人は瞬間瞬間、生きる意味を選択していますが、うつ病の人はまさに、生きるか死ぬ(自殺)かの課題をつきつけられています。 不安障害がうつ病の併発にまで深刻化していない段階では、自殺のリスクはあまり大きくありません。希死念慮・自殺念慮が現れるのは、うつ病です(もちろん、他の障害、たとえば、依存症にもあります。)。 心の病気の人には、いつ悲劇が起きるかもしれない種類の苦痛があります。 被災地の方面の心の問題も、一つの手法ではいかないように思われます。スタッフの過労によるうつ病、当時の過酷な体験によるPTSDは、生きる意味の喪失によるものではない可能性があります。復帰すべき職場などをもっているが、症状の苦痛が大きい場合です。 逆説志向、認知行動療法やマインドフルネス心理療法が効果的であるかもしれません。一方、 住宅、仕事、愛する人を失ったことによる心の苦悩は、フランクルのいうロゴセラピー、そして、症状を回復する療法へのひきつぎが有効なのかもしれません。また、孤独になられた苦悩には、別の支援が有効なのでしょう。 被災地方面での心の苦しみはさまざまなものがあるでしょうから、一つの方法を絶対的に用いるわけにはいかないでしょう。自分の援助スキルの相対性と限界をも自覚していて、よく言われるのですが、まさに、他の支援組織との連携が必要なのでしょう。 (続) |