ヴィクトール・フランクル・マインドフルネス心理療法は臨床試験で効果が確認されている [2013年04月10日(Wed)]
ヴィクトール・フランクル
=日本にはフランクルに匹敵する西田哲学がある
次の記事でロゴセラピーの考え方に「苦悩の受容」をみました。 前の記事で こう述べました。
3.11によって、フランクルに期待があるそうです。ロゴセラピーの 普及も期待したいです。フランクルがいうように、一つを絶対現して他を 排斥するのではなく、類似する他を寛容で受け入れるべきです。他への扉 を開いておくべきです。 なにごとも、苦悩するクライエント、市民のためです。世界のためです。 世界を創造する市民のためです。自分の流派など消滅してもいいのです。 」 思想や哲学、宗教、心理療法(精神療法)・・・、過去あまたのものが考案されました。それが、どれほどすぐれていようとも、目前の現実の苦悩する人の苦しみ、悲しみを克服させてあげられるものでなければなりません。理屈がすばらしくても、この世で、この日本で、現実に実現できるものでなければなりません。苦悩や心の病気の改善の実現、改善できないのであれば受容できる心、それが実現されなければなりません。理論、思想、哲学を実行してみて、それが実現できたか、苦悩する人も実践し実現できたか、すなわち、市民ができる具体的な方法、臨床試験と、その実現割合です。フロイト、フランクル、西田幾多郎、道元、親鸞、イエスキリスト・・・、その理論、思想、哲学を、一般の苦悩する市民が、この世で、つまり、家庭、職場をおろそかにせず、どのように実践したら、その理論、思想、哲学を実現できるのか。 人は理論、価値、理想を知るだけでは満足できません。自分に獲得されないと満足できません。それに向かって、その実現に向かって行動する、すなわち意味、価値への意志と、その実現です。フランクルも西田もそれを強調するのでしょう。苦悩の多い、この人生、目前に現れる現実世界、これを逃げずに、よりよいものにしていく、できなければ受け入れる。「あの人の思想。哲学がすばらしい」それだけでは、いけません。絵に書いた餅ではおなかがふくれません。 人の苦しみは広く深くさまざまです。一つのカウンセリング手法、心理 療法がすべての問題に万能であるはずがありません。フランクルがいうよ うに、一つを絶対現して他を 排斥するのではなく、類似する他を寛容で受 け入れるべきです。他への扉 を開いておくべきです。 すべてを受け入れる ものがあるのですから、類似するが少し違う、独自のものを持つものを完 全排斥するのはおかしいです。クライエントによっては、他の心理療法が 向いている人もあります。他への扉を塞ぐと、救済される可能性を妨害します。 マインドフルネス心理療法は、瞑想が面倒ですので、やはり限界があります。 だから、薬物療法や認知行動療法が向いている人には、それをすすめます。 ロゴセラピーも選択肢の一つですね。とにかく、どれでもいいから、 治っていただくのが最も大切なことです。援助者の自己満足にしてはいけません。 マインドフルネス心理療法は、欧米での臨床試験で、うつ病やトラウマ などに、薬物療法や認知行動療法よりも効果が高いことが確認されました 。もちろん、傾聴はうつ病の臨床試験は行われません。傾聴は、傾聴に向 いたクライエント、問題があるのでしょう。うつ病や不安障害(の一部)、脳神経 生理学的な問題が生じているようなので、その軽減の論理が必要になりま す。 他の心理療法、他のカウンセリング手法のかたも、自分のもの、傾聴が、フランクルが最高だ、唯一だと絶対視せず、う つ病や不安障害には、他の心理療法、認知行動療法やマインドフルネス心 理療法への扉も開いておいていただきたいと念願します。マインドフルネ ス心理療法は、瞑想の手法が、苦痛の受容や絶対に触れる機会を高めるよ うです。他の心理療法の方針に違背しないと思います。日本には、フランク ルの哲学思想に匹敵する西田哲学があります。文学的、芸術的な表現では ありませんが、論理的に説明していて、丹念に読むと説得的で理解可能で す。課題は、それをいかにして、精神療法、心理療法にするかです。 フランクルは、「一人類教」を言います。おそらく、西田哲学の絶対無 がそれに対応するような気がします。ロゴセラピーの研究者が西田哲学を 参照していただきたいと思います。それぞれの心理療法も、すぐれた心理 療法ならば、その深いところで、共通の基礎がありうるとして、互いを排 斥せずに、受容しあうと、患者さんの選択肢が増えて、患者さんの囲いこ みがなくなります。自殺も減少する可能性があります。 (続く) フランクルのこと
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