精神衛生的観点から宗教による救いも必要 [2013年03月06日(Wed)]
精神衛生的観点から宗教による救いも必要オーストリアの精神医学者、フランクルは、ロゴセラピ(RT)ーを提唱した。かれは、限界状況の苦悩の人には、宗教的救済も意 味があるという。それは、ターミナルケアである。がんや不治の病気の死である。最も内奥の実存は、宗教的だとフランクルはいう。 それも、精神衛生的観点から大きな意味があるという。死の不安が迫っている人の苦悩の支援に重要な意義がある。 絶対者に触れる体験によって、自分が絶対者に包まれ守られているという意識が現 れる。これが、がん患者などの精神衛生的な観点から重要な 意義を持つ。この意識がない場合、死の不安に苦悩して、家族をも狼狽させ、おだやかな終末を送ることが難しく 、免疫を低下させ症状の悪化を招くこともあるかもしれない。 「宗教体験においてもっぱら重要なことは、絶対的な背景に対する自己自身の不完全 性と相対性の体験であるからです。宗教的な理解において、人間は絶対的なものへの自 己の関係性、言い換えれば、本来的には《関係しえないもの》への自己の関係性を体験 します。われわれはしかし、このパラドックスに驚くには及びません。この関係しえ ないものへの関係性とは、守護性以外の何でありましょうか。それはまさに、 隠れた者、超越的な者の内に守られていること(守護性)にほかなりません。それゆえ 、たとえこのパラドックスが解消されなくても、われわれはそれに積極的な転換を与え ることができるのです。それと同時に、この積極性には、精神療法ないし精神衛生的観 点から見て、きわめて大きな意義が含まれています。・・・・ 宗教的体験、とりわけ守護性の体験が治療的になお一層重要な意義をもっていることが 明らかになるからです。」(B,106)。 うつ病を治すという精神疾患の治療ではなくて、心は健康であるが、死を意識した人の極限状況の「ターミナルケア」に、宗教レベルの支援は重要な意味を持つ。 包まれて、守られているというのは、アクセプタンスされているということであり、 究極のアクセプタンスであり、だからこそ最期の瞬間まで、マインドフルネス、価値実現(態度価値が多いだろうが最期まで創造した人のこともきく)に 生きることができるのである。だが、ここは、医師もできないし、精神療法者でもできないと、フランクルはいう。西田哲学では、この段階は、絶対無の体験により絶対に包まれた人格的自己である。
https://blog.canpan.info/jitou/archive/2629 <目次>フランクル |
|
Posted by
MF総研/大田
at 21:43
| がん・ターミナルケア
| この記事のURL