• もっと見る
«弟子を育てるだけでなく世界の形成に働くべき | Main | 日本人が日本人のために開発下マインドフルネス»
「死」の問題にどう助言するのか [2012年12月06日(Thu)]

「死」の問題にどう助言するのか

インド、中国の仏教は出離的
 =日本の仏教も外部の人々の現実苦の解決支 援の手法に熟練していない

 「死」の問題は、一般の人の苦悩です。
 前の記事の久松真一の言葉をみていて思いました。 襌には、師から師へと秘密の室内の指導で深い悟りを伝授していくという。 その方式が、10代20代、100年、総数10−20人に伝えられていくとします 。社会には、何も発信しないとします。浅い段階の苦悩に悩む人の助言もしないとし ます。100年の間、たった20人の人が「生死を解脱した」と喜んだとします。そ の間に、何百万人の人がありがたい教えも聞かず、苦しんで死んでいった。仏教は、 こうした心の悩みには無関係なのでしょうか。 仏教、宗教は何のためにあるのでしょうか、社会とは没交渉の法をなぜそのような方 法で伝えるのかという疑問が生じます。 久松真一がいうのは、そういうことなのでしょう。
 悟れば「生死を解脱」するといいます。がん患者さんが死の不安、恐怖におびえま す。病院では心のケアが十分になされないといいます。 そういう場面に悟りを得た人は、何か助言ができないのでしょうか。一人の弟子を育 成するのに大変な時間と労力を要するので、そういう苦悩する<弱い>人は、支援し ていられないというのでしょうか。
 「結局、何のためなのか」・・・。道元が中国にわたった時に、つきつけられた問 いも似ていました。襌だけではありません。他の宗派の教えからも、つらくて自殺し かけている人やがん患者さんの死の不安、恐怖に助言はないのでしょうか。病床での 心のケアの必要性が言われていますが。
 「人間は死なない」というスピリチュアルな信仰によるしかないのでしょうか。「 人間は死なない」というのは、病気により死期近い人が信じられたら、救いになるで しょう。ただ普通の人間は死ぬと思っていますので、信じられるのはごく一部でしょ う。
 また、その教えには、危険なところもあります。人間は死なないのであれば、殺人 罪が成立しないことになりませんか。医師と患者さんが最後の最後まで延命する努力 を放棄しませんか。いじめられたり、父母が死んだ子が、つらいことがある時、生き ることをやめて、死に急ぎしてしまうことがありませんか。
 今、日本の人は、多くの場面で、死に直面しています。宗教者は、死の問題に真剣 にどのように助言するのでしょうか。
 宗教でない段階の「マインドフルネス」も、助言しなければなりません。あるいは、宗教レベルのマインドフルネスもあるかと思います。そうすると3つの対処法があります。 (1)人間(霊魂)は死なないと信じる(これはマインドフルネスではない)、(2)いつかは死ぬという覚悟を持ち、この生を生き切るマインドフルネス、(3)宗教レベルのマインドフルネス です。
Posted by MF総研/大田 at 20:21 | さまざまなマインドフルネス | この記事のURL