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マインドフルネスは心の病気の改善などを目的とするので仏教でない [2012年11月22日(Thu)]

インド、中国の仏教、襌は出離的(13)

 マインドフルネスは心の病気の改善などを目的とするので宗教ではない

 日本人は、激しく叱る父なるものよりも、やさしく包み込む母なるものを求めた民 族であり、西洋や中国にない日本的霊性の特徴でした。 弱く罪深い自分を包むものがあり、いつも見守られているというものは、日本の浄土教、日本の襌、日本のキリスト教の極地というべきものだと思われます。現代に至るまで、芸術家もそれを感じています。
 もう一つ釈尊の初期仏教やインド大乗仏教は、出家者ではなく、ふつうの庶民の苦の解決をも重視していたのです。出家だけの学問的になったインド仏教も、中国、日本の(近現代の)仏教も、弱い人への慈悲的 救済活動が弱いという批判が、鈴木大拙、西田幾多郎、中村元などからありました。 伝統仏教が衰退している原因です。人間関係の不和や心の病気の解決のような、社会の人が求めているものを導くことができず、期待されなくなっているのでしょう。
 自他不二の自己を自覚するという点と苦の解決という2点が、宗教としての仏教の核 心だったようです。 皮肉なことに、日本の仏教は、この2つのどちらも言わなくなっているか、死んで極楽に行くことか、または、一億人中の百人ほどしかついていけないような、非常に深いことばかりを強調して、生きている5千万人の苦の解決を重視していません。伝統仏教は、心の病気の人などを導いていません。こういうものが 「宗教としての仏教」なのであれば、「マインドフルネスは宗教ではない」ということを 強調する必要もないことは皮肉なことです。宗教としての日本仏教は、マインドフル ネスのような「親子夫婦友人同僚間の不和、いじめ」「痛みの緩和」「うつ病」「不安障害」「過食症」を改善しますとは言 いません。初期仏教や大乗仏教はこれも解決できると言ったのかもしれませんが、現代日本の仏 教は言いません。ふつうの家庭や職場にいる庶民の苦脳を扱わないから、ごく少数のめぐまれた人 だけのもの、出離的です。それが皮肉にも「宗教としての仏教」ですから、マインドフルネスは、 そういう宗教とは違うと言えるのが皮肉な実情です。
 この説明は、「マインドフルネスは宗教ではない」ことの正規の説明ではありませ ん。皮肉な表層的な違いです。
 まじめな相違とは? 心理療法としてのマインドフルネスは、自己や人間が自分の自由意志で解決するもの、つまり絶対者を言わないことでしょう。一方、宗教は自分ではないもの(神、 仏、開祖、開祖のすすめる行など)を頼む、自分を超えたものが救済するものということではないでしょうか。

 私が提案しているマインドフルネスの自己洞察瞑想療法(SIMT:Self Insight Meditation Therapy)は、あくまでも、自分の自由意志により、不幸にならない、不幸にしない心の使い方を習得していくという範囲のぎりぎりまで開発訓練をします。絶対者を言わないので、宗教ではない領域の極限までみていきたいです。セッション10までは、まだ浅い段階ですが、うつ病、不安障害、過食症、家族の不和などは改善します。 さらに深い心理療法が必要です。まだ、宗教ではない領域です。多くの深刻な苦脳も解決の方向があると思います。 しかし、さらに、もう「宗教」レベルでないと解決できない苦脳もあると思います。 傷つけられた自我や「死」などの深刻な苦悩は、宗教的なマインドフルネス、絶対的マインドフルネスでないと解決しないかもしれません。セッション10以降は、取り組みたいと真剣に思う人といっしょにとりくんでいく、これからの課題です。 日本は、まことに豊かな心の宝を埋蔵している「美しい日本」だと思います。

 マインドフルネスには、宗教でないレベルと宗教レベルがあります。公的場所、教育現場では、 区別すべきです。しかし、宗教が受け入れられている場所、たとえば、宗教教団、私立学校、宗教系の介護施設、病院、終末期の在宅療養の場などでは、浅い段階から、絶対者にたよる受け入れ、マインドフルネスで実践方針を説明できます。もっと早く、マインドフルネス、アクセプタンスのコツを理解できるかもしれません。

 日々起る心の現象に「評価判断」は避けられないから感情が起きるが執着しないという重要な手法も、 自己の意志によりするのと、絶対者にゆだねるのとあります。後者は、宗教的です。 伝統仏教も、しばらく、従来の深遠な枠を解放して、信者檀家・無縁の人々の、現実の「浅い」苦脳の解決に乗り出すことは可能でしょう。 若手の実験を押さえ込まない度量の大きさを開祖もアクセプタンス(受容、許可)するのではないでしょうか。これまでの方針を変えるので、重大事件ですが、今、その宗教の存在する日本全体が 沈没しそうではありませんか。他の団体にもいえるでしょう。何年間か、従来の枠組みを撤廃して、枠からそれた、新しい試みを自由にやってみるのもいいのではないでしょうか。各団体が、本部の承認を得て、どこか1箇所で、「心の構造改革特別区域」として、実験してみるといいと思います。
インド、中国の仏教は出離的
 =日本の仏教も外部の人々の現実苦の解決支 援の手法に熟練していない
  • (1)
    西 田幾多郎は仏教の現状を批判した
  • (2)
    坐 禅が仕事のような状況であった僧院での仏教は 感情が渦巻くような職場、家庭でどう すればいいのかわかりにくい
  • (3) 昔の仏 教は同じような状況が続く僧院の中で発展したので
    現代人のように、家庭や職場 のように激しい感情が渦巻く状況は少なかっ た
  • (4)
    現 代人の苦の解決レベルのことを参考にできる仏教研究書は少ない
  • (5)
    封 建時代の仏教は民衆の苦の解放を説くことができなかった
  • (6)
    マ インドフルネスを1年受けると病気の改善のほか人生観の変化がみられ る
  • (7)
    仏 教はわかりやすいごほうびで誘って、予想しなかったごほうびを与える
  • (8)
    元 来、仏教の目的は「現実の苦」の解放だったはず
  • (9)
    1 )深い根底の「自他不二」の哲学が失われた。 2)教団の外部の人の現実の苦悩を解 決する活動「慈悲」の実践が なされてこなかった。
  • (10)
    「 難しい言葉を使ってわけのわからぬようなしかたで述べることは「骨董 趣味」ではあ るかもしれないが、それはもはや「仏教」ではないのである 。」中村元氏)
  • (11)
    自 分だけ救われて、他者にやさしく説かないと死んだ仏教。浄土真宗の蓮如上人もそう 言ったと中村元氏。
  • (12)
    遠藤周作は、日本的なキリスト教を作った。自分の悪を 監視し罰する厳しい父のような神ではなく、 いつもそばにいて自分の悲しみや苦しみ を包み込んで、一緒に背負ってく れる「母なるもの」「永遠の同伴者」であるような 神。やはり、自他不二的である。
  • (13)
    宗教としての仏教は心の病気などを扱わないので、マインドフルネスとは違う。
Posted by MF総研/大田 at 22:51 | さまざまなマインドフルネス | この記事のURL