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インド、中国の仏教、襌は出離的(9) [2012年11月10日(Sat)]

インド、中国の仏教、襌は出離的(9)

 今、考察しているのは、過去の仏教はインド、中国、日本のもの すべてが、出離的であり、教団内部の僧侶、研究者にしか理解されにくく 実践されにくいものとなっているという研究者の指摘である。それで、僧 侶でない、さまざまな苦悩、ストレスをかかえた一般国民のそのような苦 悩に真に解決となるような ふうには、教えてくれないものになっているということである。研究者の 指摘を見ている。
 各宗派は「仏教」とはいうが、仏教の核心となるものが見失われていると指摘される。そのために、今全世界で普及し始めたマインドフルネス、アクセプ タンスに貢献できるもの、現代の日本の一般の国民の問題解決に貢献でき る詳細な手法を、現存の日本の仏教からは抽出しにくいのである。
 研究者の指摘によれば、重要な仏教の哲学や実践で核心的なものが抜け てしまったのは、主に2点である。
  • 1)深い根底の「自他不二」の哲学が失われた。(鈴木大拙、西田幾 多郎、竹村牧男氏などの指摘を見た)
  • 2)教団の外部の人の現実の苦悩を実際に解決する活動を「慈悲」の実践と いったが、これが十分になされてこなかった。単なる説法では慈悲ではなく、実際に解決するまでに支援することである。(反論したい人がおられるだろうが、後に仏教研究者・中村元氏の指 摘を見る)
 これは、現代仏教の重要な弱点である。なぜなら、苦の解決ということは、心理学や新興宗教など、伝統仏教ではないもののほうが貢献しているからである。 おまけに、 欧米のマインドフルネスの研究者はこの2つを見落としていない。
 1)については、上記の研究者は、今は伝統仏教から失われたが、開祖にはあったと 指摘している。開祖の原典まで遡ってみると、参照することができる。現 代人の苦悩でも深い問題は、ここまで探求することが必要であると思う。 西田幾多郎のように、自己存在について苦悩する人は多い。死をひかえた 人、自己、人格が否定された人などがいる。
 しかし、その哲学を獲得する最初の段階を「見性」というが、その指導 方法は、公案による方法があるのだが公表されておらず、室内の秘儀とな っているから、現実の苦にあえぐ一般国民のための指導法ではない。この 点が「出離的」である。やさしい指導法でないと仏教の慈悲的ではないと 中村元氏がいう。(次回)
 2)は、仏教の哲学では割合浅いものであるから、魅力がなかったとみ えて、詳細に論じた文献はほとんどない。宗派が自派の優位性を主張する ために深いものを詳細に研究した。そのため、 一般の人の現実の苦(うつ病のような)の解決のためにやさしく支援すると いう慈悲の実践を軽視した。こ ういう弱点があるために、現代の日本人の現実の苦、たとえば、うつ病、 不安障害、過食症、暴力、人格を否定された苦悩などの解決のための心理 療法を構築するのに参考にできるところを見出すことが難しい。日本の仏 教には、心の病気のような問題改善のためにやさしく指導した「慈悲」行 の記録がほとんどないので参考にできない。大乗仏教の法華経は、たとえ でそれを教えているので参考にできるところがあるが。
 このような事情から、日本人に向いて、日本人の何千万人の人にあるさ まざまな現実の苦悩、浅いものから深刻なものまで現実の苦悩を解決する マインドフルネスを開発するためには、困難がある。
 (続く)
インド、中国の仏教は出離的
 =日本の仏教も外部の人々の現実苦の解決支援の手法に熟練していない
Posted by MF総研/大田 at 09:34 | さまざまなマインドフルネス | この記事のURL