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インド、中国の仏教、襌は出離的(7) [2012年11月08日(Thu)]

インド、中国の仏教、襌は出離的(7)

 法華経という仏教経典に3車のたとえがある。
 屋敷の中で子どもが大勢遊んでいた。出入り口は一つしかない。その屋 敷が火事になった。それに気づかずに遊び続ける子どもに、「火事だ。死 んでしまうぞ。出てきなさい。」と父は叫ぶ。だが、子どもは出てこない 。そこで父は、子どもが知っていて欲しがりそうな玩具があると誘った。 「牛の車、山羊の車、鹿の車があるよ。外に出ておいで。」というと、子 どもは燃える家から出てきて、助かった。父は、3つの車ではなくて、 もっとすばらしい大きな白牛車を与えた。
 「マインドフルネス心理療法で、うつ病、不安障害などが治ります」 と誘うが、実践した人は、そういう病気が治るという以外に、予想もして いなかったほかの効果を感じるものである。自分がわかり、他の人の苦悩 もなぜそうなるかもわかるし、自分に自信が生まれる。もっと実践してい けば、さらに、人生観が変わる。
 私もうつ病を治そうとして実践したが、他の人のうつ病を治すお手伝い ができるという確信をもらった。ほかにも予期していなかったものを得ることが多かった。 自分のように何も持たないものが、生かされている不思議さに驚いた。全く予期していなかった。
 仏教は、さまざまな宗派に分かれて、教義の解釈も難しい。開祖の思想でさえも、人によってさまざまに解釈される。だから、仏教を心の病気の心理療法に応用することがが難しい。しかし、 幸い、心の探求については西田哲学があり、意志的自己までは、やさしいので理解しやすい。意志作用は対象的であるからわかりやすく、マインドフルネス心理療法として応用できる。一般的なうつ病や不安障害は対象的なことについての病だから、そこまでを実践すれば治る。 このような浅いレベルは従来の(=昭和平成の日本の)仏教では扱わないから、マインドフルネス心理療法は、仏教とはいえない。どの宗派の仏教も、「マインドフルネス心理療法は仏教ではない」と言われるだろう。心理療法である。(あとで、考察するように、本当は、心の病気になるような苦悩の解決こそ仏教7だったのである。)
 仏教がマインドフルネスとして活用できるのは、これよりもっと深い問題領域にもあると思う。 自己存在や「死」にかかわる苦悩は、仏教や西田哲学などが貢献できる可能性がある。

インド、中国、日本の仏教は出離的

 =日本の仏教も外部の人々の現実苦の解決支 援の手法に熟練していない
  • (1)
    西田幾多郎は仏教の現状を批判した
  • (2)
    坐禅が仕事のような状況であった僧院での仏教は 感情が渦巻くような職場、家庭でどうすればいいのかわかりにくい
  • (3) 昔の仏教は同じような状況が続く僧院の中で発展したので
    現代人のように、家庭や職場のように激しい感情が渦巻く状況は少なかっ た
  • (4)
    現代人の苦の解決レベルのことを参考にできる仏教研究書は少ない
  • (5)
    封建時代の仏教は民衆の苦の解放を説くことができなかった
  • (6)
    マインドフルネスを1年受けると病気の改善のほか人生観の変化がみられ る
  • (7)
    仏教はわかりやすいごほうびで誘って、予想しなかったごほうびを与える
  • (8)
    元来、仏教の目的は「現実の苦」の解放だったはず
  • (9)
    1)深い根底の「自他不二」の哲学が失われた。 2)教団の外部の人の現実の苦悩を解決する活動「慈悲」の実践が なされてこなかった。
  • (10)
    「難しい言葉を使ってわけのわからぬようなしかたで述べることは「骨董 趣味」ではあるかもしれないが、それはもはや「仏教」ではないのである 。」中村元氏)
  • (11)
    自 分だけ救われて、他者にやさしく説かないと死んだ仏教。浄土真宗の蓮如上人もそう 言ったと中村元氏。
  • (12)
    遠藤周作は、日本的なキリスト教を作った。自分の悪を 監視し罰する厳しい父のような神ではなく、 いつもそばにいて自分の悲しみや苦しみ を包み込んで、一緒に背負ってく れる「母なるもの」「永遠の同伴者」であるような 神。やはり、自他不二的である。
  • (13)
    宗教としての仏教は心の病気などを扱わないので、マインドフルネスとは違う。
Posted by MF総研/大田 at 20:33 | さまざまなマインドフルネス | この記事のURL