インド、中国の仏教、襌は出離的(2) [2012年11月02日(Fri)]
すばらしい日本独自の自己観インド、中国の仏教、襌は出離的(2)インド、中国の仏教、襌は、僧院の中で練られたもので、 そこには、苦悩はなかった。 苦悩が渦巻く在家の家庭、職場で練られたものではない。 現代はそのままでは適用できず、工夫の必要があると言ったが、付け加えます。時代によって変わる必要があります。 いわゆる誰もいないところで実習する出離的な仏教「坐禅が悟り」という襌は、坐禅していない時には「悟り」ではないことに なり、感情が渦巻く職場、家庭でどうすればいいのかわかりにくい。 公案を用いる修行は、室内での師と弟子の対話であり、その内実は、全く知らされず、 現代社会のさまざまな問題に貢献できるのかどうか参考にできない。 きわめてゆっくりと手足を動かす東南アジア系の瞑想法が、職場や家庭の 激しい感情が渦巻く時に、どう関係するのか、わかりにくい。こうして、現実の仏教、襌が、僧院の中で静かに行う方法であるが、さまざまな人との対話と動き の激しい家庭、職場で、そして、心の病気の改善にどう関係するのか、わ かりにくいのである。だから、仏教、襌そのままでは在家の現場でどうす ればいいのかわかりにくいのである。それがために、日本では、ごく一部の在家 しか坐禅せず、心理療法に応用する医師、心理療法者が現れなかった。 インド、中国、日本の仏教は出離的=日本の仏教も外部の人々の現実苦の解決支 援の手法に熟練していない
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Posted by
MF総研/大田
at 23:07
| マインドフルネス心理療法
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