インド、中国の仏教、襌は出離的 [2012年11月01日(Thu)]
インド、中国の仏教、襌は出離的インド、中国の仏教、襌は、僧院の中で練られたもので、 そこには、苦悩はなかった。 苦悩が渦巻く在家の家庭、職場で練られたものではない。 現代はそのまま ではいけないと西田幾多郎はいう。「その源泉を印度に発した仏教は、宗教的真理としては、深遠なるもの があるが、出離的たるを免れない。大乗仏教といへども、真に現実的に至 らなかった。・・・真の受働からは、真の絶対的能働が出て来なければな らないと考えるのである。」(『場所的論理と宗教的世界観』旧全集11巻 437頁) これを引用して竹村牧男氏(東洋大学学長)は言う。 「このようにして、西田は仏教を真剣に参学し、仏教思想に深い共感を 有しつつも、仏教のあり方に対して根本的な批判の視点を抱いていた。決 して仏教をそのまま西洋思想よりも優れているとしたのではなかった。こ の西田の仏教批判を、我々現代の仏教者は真摯にうけとめ、現代の現実世 界において意味を持つよう、仏教のあり方をさらに改革していくべきであ ろう。」(2002 竹村牧男「西田幾多郎と仏教」大東出版社、p111) 僧院と違って、在家生活には、きびしいストレスがある。思いどおりにならない生徒、 父兄、上司、同僚、顧客がいる。激しく苦脳する家族、患者、クライエントがいる。事件、事故、病気がある。仏教や襌がマインドフルネスとして普及しはじめたという。だが、苦悩の渦巻く 現実の社会でこころみられたものとはいえない、インド、中国仏教であった。だからほろんだともいえる。苦脳の渦巻く「魔界」で 活かすためには、出離的な仏教、襌ではまにあわない。 新しい工夫が必要になるだろう。 インド、中国、日本の仏教は出離的=日本の仏教も外部の人々の現実苦の解決支 援の手法に熟練していない
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Posted by
MF総研/大田
at 22:05
| マインドフルネス心理療法
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