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すばらしい日本独自の自己観 [2012年11月01日(Thu)]
 川端康成がノーベル賞を得た時、記念講演の題が「美しい日本の私」で ある。「美しい」のは、「日本」なのか「私」なのか。「私」は「自己」 である。日本人は、自己の底に苦、魔からも超越したものを持つとしてき た。「美しい自己」となる。自他不二の「他」は、あなたにも、クライエントにも、自然にもなり、絶対者 にもなる。それが、日本文化の底に営々と流れているというのである。
 川端は若いときから文学で、人の苦とその解決方法を提案してきた。後に、禅僧一休 の「仏界易入魔界難入」(仏界入り易く魔界入り難し)の語をよく使うよ うになった。評論家でも、川端の受けとめ方を理解しているとは言えない かもしれない。魔界は「男女関係の背徳の世界」であるから、自分の日常 にはない別世界だと解釈されることが多いようである。 自分を善人だと思っているのである。だが、そうではな くて、無知のために自分のあらゆるエゴイズム、主観的、独断的、自己中 心的な判断、枠組みを見ようとしない(魔界入り難し)、そのことによって、他者に苦を与え、苦からの脱出を妨害していることを言うのではなかろうか 。
 自分の魔を見ようとしないことが、現実の世界に充満していて、弱い善良な人を苦しめ、苦から脱 出することを妨害しているようである。宗教団体、土地の長老、職業団体、学術団体、学問が「こう である」ということは、仏界である。それに従って行動するのはやさしい (仏界入り易い)。学問先達、長老が言うのだから、従いやすい。だが、 人間の苦や悪はそれよりも深い。自分の悪(無知)が、自分と他者の苦を解放できないことに気づこうとしない。
 たとえば、「2年薬物療法をやってきましたね、完治しないけれど、こうして入院しなくてすむくらい安定しているからこれで いいではないですか。再発防止のために一生抗うつ薬を飲み続けなさい。」 というのは、薬物療法の世界、「 仏界」の枠組みでは「是」である。だが、世界は広く深い。
 その支援者が認知療法やマインドフ ルネス心理療法について「無知」でないならば、上記の言葉は「非」であ る。その枠組みの外にも救済の世界があることを知る支援者は「認知行動療法をやってみませんか」と言える。現実に、治って断薬できる人がいる。一生服用しなくてもいい治療法があるかもしれないと助言するのは専門家の良心であろう。
 どの領域でも、似たことが起きている。 自分が無知であること、宗教、風習、学問、組織や長老の基準を妄信している無知 に気づきにくく、そのために、他者の救済を妨害していることがあるのだと仏教や西田哲学は教えてきた。こういうことが現実の世界に充満しているのに、 そこを見ようとしない。枠組みをはずそうとしない。自分の魔界を自覚し難い。 こういう専門家のエゴについて、西田幾多郎は指摘していた。
 マインドフルネスが普及し始めているが、そこまで入り込んでくるだろう か。マインドフルネスの推進者は、自分の「魔」を見るだろうか。自分もまた新しい仏界を執着するおそれがある。自分の仏界は、ひとつのやさしい世界、「仏界」を見せて、クライエントを長く「苦界」におしとどめてしまうことも 起きるかもしれない。さまざまな仏界と魔界がある。改善する理由による適応症、実施期間、手法を説明しなければならない。クライエントに開示しなければならない。
 また、概して、仏教はきれいな寺院の中だけで実践される。苦脳、魔界がない。多くの仏教者は 苦脳の在家世界、魔界で働くことは少ない。苦脳の渦巻く現場で、仏世界をみせることは難しい。 魔界、激しい苦脳の渦巻く世界にいる人のなかに、はいっていくのはとても難しい。苦脳しない人に、美しい仏法を説明するのはやさしい。しかし、苦脳する人に、本当に救われる教えを説くことは難しい。
 こうした、人間の深い暗部、魔を仏典は説いており、川端は、「仏典を世界最大の文学」と見る。川端は、さまざまな苦、エゴ、 きれいごと(美)を言う人のエゴ、すなわちすべての人のエゴを表現し、 それからの脱出の方法を提案する作品を書き続けたといえるであろう。し かし、幸い、根源(真の自己という)は魔や苦から超越しているという。人間の根底は「美しい」ので ある。それなのに、苦や魔を現すのである。それは自己と他者の苦を作り、苦からの解放を妨げる。
 川端だけでなく、日本には、そういう深い心、 深い自己を表現して、そこを見てほしいと教える芸術家が多い。西洋にはない精神構造だという。日本人は他のくにの人が持たない自己観を持ってきた。川端は講演で日本の山河自然を「美しい」と言ったのではないだろう。「美しい(日本の)私」を語ったのであろう。
 多くの人が日本では苦しんでいる。底の自己を見るならば、すべての心 理的な苦悩は解決すると教えている。障害があるままに心理的苦悩が解決 するというのである。障害は、自己そのものではない。日本的な思惟様式、日本的なマインドフルネスによ って、すべての人が個性的な人生を生きることができるかもしれない。
Posted by MF総研/大田 at 09:21 | さまざまなマインドフルネス | この記事のURL