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個性がそのままで世界を作る [2012年07月26日(Thu)]

個性がそのままで世界を作る

 金子みすずは「みんなちがって、みんないい」と言いましたが、 個性が同じものに統一されることなく、個性がそのままで絶対の存在 価値(価値を越えた)を持ち、世界を創造していくということに通じ るのでしょう。
 西田幾多郎は「個性」について次のように言っています。
 「主体の底に主体を越えて、世界史的性質をもったものが、個性と いうものである。」(『歴史的形成作用としての芸術的創作』10巻 259)
 意識する主体(自己)の底に、世界を作っていくもの、創造的世界 の創造的要素として生きるところに個性があるといいます。意識され た自己ではなく、内奥の人格的自己です。人の生きる環境も試練も各 人違いますが、それぞれの、各人が自分の生きているところで個性を 発揮することが同時に現実の世界を作っていくことです。

歴史の世界は夢と偏見とに充ちた世界

 現実の世界は、夢もあれば、偏見もあり、各人が個性的に生きよう とするのを阻む、偏見、独断、我執に満ちてもいます。
 夢を持った子ども、若い人が、我執や独断によって、命を失ってい きます。何が起きるかわからない動揺的な世界です。

 「世界と個人的自己との関係は、唯外面的対立的なのではない、何 処までも矛盾的自己同一的でなければならない。我々の自己が自己自 身に深くなればなる程、世界の問題が自己の問題となるのである。而 して逆に我々が世界の真の問題を見出すことは、真の自己を見出すこ とである。矛盾的自己同一的世界は、何処までも決定されたものであ ると共に、何処までも動揺的である、作られたものから作るものへで ある。そこには無数の個人的自己が成立するのである。而して各人が 各人の世界を有つ。世界が矛盾的自己同一的なればなる程、主観的思 惟と努力との世界である。歴史の世界は夢と偏見とに充ちた世界 と云ひ得るであろう。併し我々の自己は矛盾的自己同一的世界の 個物として、世界の一角といふべきものでなければならない。行為的 直観的に物そのものとなって考へ、そのものとなって行ふ所に、真の 自己があるのである。否定すべきは、我々の自己の独断と我執 でなければならない。無論、矛盾的自己同一的な世界は夢と偏見 とに充満することが、それに本質的でなければならない。・・・各人 の独断、各人の我執というものが、この世界に本質的でなければなら ない」(『経験科学』旧全集巻9,301頁)
 人は、偏見、独断、我執に陥るのが本質であるから、そのことをよ く自覚して、意識的自我の立場ではなくて、自己を没した世界の立場 から、考え、働いていくのだと西田は、不断の実践をすべきことを言 っていると思います。そうでないと、周囲の人を苦しめ周囲の世界( 家庭、職場、学校、近隣、日本、世界)を暗いものにしてしまい、そ してやがて、独断的な悪の行為が暴かれて自分自身もその家族も苦し むことになります。いつ何時、自分に魔がさして、個性的な人をつぶす行為 をするかもしれません。無数の個人が主観的(独断的に偏見的)に考え、主観的に働く(努力)ので、どうなるかわからない動揺的な世界です。 常に 、予測もつかない形として現れます。人は本質的に悪を犯しやすいも のだといいます。専門家でさえもそうです。自分、自分の家族、自分の組織の防衛に動きます。 他人を犠牲にしてまでも。
 自我の立場で考えるのも、世界の立場で考えているといっても、行 動しなければ(無視、傍観、不行動)、世界が変化しません。人はみ な、世界を創造していく、創造的世界の創造的要素といいます。そし て、世界を作っていく、その行為は、自分のものではなくて、世界か ら動かされるものといいます。つらいことも自分のことではなくて、 世界のこととなるといいます。 この世に命を受けて、生きていることだけでありがたいことです。二 度とない人生です。つらいことが現れてもそれは必然であり意識された途端過去 ですから変えることはできま せんから受容して、その中で自由意志がありますので、これから周囲をよくしていく行動はできます。 自分がもらった生命 で、独断偏見をせずに、できることを行っていくことが、家族を学校を職場を居心地よいと ころにしています。そういう行為も自分のものではないといいますが 。思索するだけでは現実には発揮されない(意志的行動レベル、さら に自己なしの直観レベル)ようです。不断から実践して、「努力」し て、いくもののようです。

マインドフルネスの実践

 こうした偏見、独断、エゴイズム、主観主義、我執のフィルターにおおわれた考え、行為が、自分を傷つけ心の病気となり、他者を傷つけていじめや犯罪行為となるので、このような闇の心のフィルターに気づくトレーニングもマインドフルネス、アクセプタンスの重要な手法です。 このマインドフルネスを実践しないと、うつ、不安、不満、怒りに関連する問題を改善することは難しいでしょう。 さらに、この心の闇のようなフィルターは、最近の原発事故、いじめなどにも見られるように、 心の病気でもなく、犯罪と断定しにくい領域に広範に起きているのです。 だから、西田幾多郎が「本質的」だというのです。これは、人間の本質だから永遠になくならないでしょう。闇を照らす智慧の光をあてて、なるべく抑制しないと、住みやすい世界にはならないのでしょう。トレーニングすると気づくようになるものです。他者のそれにも気づきます。人間に本質だから、自分にあるものは、他の人にもあります。
Posted by MF総研/大田 at 15:03 | マインドフルネス心理療法 | この記事のURL