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専門家の我執=西田哲学が教える「自己なし」になっていない [2012年07月13日(Fri)]

専門家の我執=西田哲学が教える「自己なし」になっていない

 いじめについて、何かひどい事が起きているようです。 教育の専門家の中で。マインドフルネス、アクセプタンスでない行為があるようです。 他の人がアクセプタンス(受容)できないようなことをして、苦しめる。価値実現の行動(マインドフルネス)をしていない。こういうことがざらにあるので、 西田幾多郎や宮沢賢治などが憂えていたはずですが、いつも、繰り返されます。科学は発展しても、人の心は、かわりません。

 西田哲学は、立場のない立場、自我の利益や自我の都合だけに立た ずに、世界の立場、立場のない立場から行動するのが、本来のすべて の人格的自己であると教えていると思います。どうしても、他の人格を無視した行為がやむことがありません。人生にはさまざまな試練があります。それを受容して、自分がこうしたいと思うことを遂行していただきたいです。
 それを身につけるのは、マインドフルネス心理療法者もいうように 、 文字で思想を理解するのでは、認知レベルだから、本当にわかったこ とにはならないようです。知識で知っていても、行動できなければ、 満足できません。だから、知的自己は浅く、行為的自己が深いのです。 西田哲学は、行為的自己は「自己なし」であるといいますが、「自己なし」を 実践しなければ、西田哲学を理解したことにならないでしょう。 哲学ですから言葉で説明しています。しかし、言葉でないことを説明 しているのです。「自己なし」という、その実際はどうなのかは実践する ものなのでしょう。
 欧米から輸入されている「マインドフルネス、アクセプタンス」に は、「無評価」という言葉がしきりに言われています。理解するのと 、実践は全く別です。実現は難しいです。「不安があっても、逃げずに 行動する」という言葉での説明は簡単ですが、実際行動することはとても難し いです。どうしたらできるか、行動局面の技術が習得されていないと 解決しません。ゴルフは説明は「ボールを打ってホールに入れる」と 簡単ですが、実際に熟練するのは、かなりの実践が必要です。
 マインドフルネスもアクセプタンスも理解するのではなくて、行動 するものでしょう。その適応症、扱う問題の深さにさまざまなものがあります。 対人関係のマインドフルネス、アクセプタンス(M&A)は難しいのです。 特に、非定型うつ病やパーソナリティ障害には、対人関係におけるM&Aですから難しいのです。 相手がいるから難しいのです。自分の何かの感覚、病気についてのM&Aと、対人関係のM&A、自己存在(傷ついた自己評価や死の問題)のM&Aとでは、かなり違います。 痛み(感覚)の緩和、重症うつ病や非定型うつ病(対人関係がかかわる)の改善、うつ病の再発予防、PTSDの改善(フラッシュバック) 、対人関係が関わるパーソナリティ障害の改善、などマインドフルネス、アクセプタンスの深さのレベルが違うようです。 仏教も似たようなもので宗派がわかれました。対象がちがうようです。理論を学んだだけではなく、実際やってみれば、効果があるかどうかわかります。大乗仏教が、社会に出て「慈悲」の実践をせよといったのも同様なのでしょう。やってみなければ、わかりません。行動レベルです。
 実際に行動が身について、症状や非機能的行動が治るまでには、長 くかかります。言葉の理解と実際行動は深さが違うからです。理屈は簡単ですが、行動できるのは大きな壁があります。
 仏教は、心の病気の人を相手にしないようです。病気ではない人の こととしても、西田哲学でいう「自己なし」、仏教でいう「無我」「 我見我執を捨てる」のも実際に行動レベルで身につくのは大変なので しょう。
 仏教といわれる説法にも多くの言葉があります。美しい言葉があり ます。それを身につけるのはどうしたらいいのでしょう。多くの問題 が噴出しています。考えていただきたい。教えていただきたい。
 いじめに関して、多くの専門家が動いています。そして、「主観的 、独断的、自己中心的な立場でない=自己なし」ではなく、大人のエ ゴが指摘されるかもしれません。いじめる子どもと同じようなことを してしまった(かもしれない=これから調べられる)大人の身勝手さ、 弱さ を、子どもたちは見てしまったことになるのでしょうか。
Posted by MF総研/大田 at 23:17 | 自殺防止対策 | この記事のURL