自分でも実践してスキルアップすることがマインドフルネスの倫理か [2012年07月02日(Mon)]
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連続記事「マインドフルネス支援
者の倫理/専門家の倫理」
終わりに(2)アメリカのマインドフルネス心理療法者の言葉を幾度もご紹介した 。リネハンの弁証法的行動療法もACTも体験をいう。リネハンは「 賢明な自己」を言う。 ACTは、文脈的自己の体験が焦点となる。体験していない人は、こ れをクライエントに語らないだろう。よく体験しない支援者が指導すると、翻訳文献がいうほどの効果を得ることはできないだろ う。言葉だけでない体験型のスキルは、すべてを言葉にできるのではない。スポーツや芸術のように、支援者の体験による部分がある。 マインドフルネス心理療法は、表面の意識現象(これは意識された もの=対象)をおうことによる問題が苦脳をもたらすので、自己の作用や自己自身を知ることをうながす。意識された現象を作り出す「作用」を観察する。そうい う「意識作用を意識する作用」があることを自覚する。現在進行形で観察する体験的な手法である。そして、そういう意 識現象と意識作用の「於いてある場所」(それが自己である)を探求 する。その場所も、また、浅い場所から深い場所まである。重層的にさまざまな場所(自己)がある。現在進行形で観察して体験的に自覚する。 こうした探求のしかたは、通常の人はしない。だから、体験者でない と、うまく指導できないのである。だから、翻訳文献があっても、実際、支援活動に使えるわけではない。推古朝以来、さまざまな漢訳仏教経典が日本にもたらされた状況と似ている。 マインドフルネス心理療法の講座を受ける人は、自分でも実 践する必要がある。うつ病や不安障害などのクライエントの 人は実行する。それで改善する。苦しい症状にあるクライエントの 人でさえ実践する。まして、症状のない支援者ができないはずがな いのだ。マインドフルネス心理療法は、クライエントの人に、通常の 人でさえも、しない心の探求をする。通常の人が見ようとしない内奥の方向に意識を向けていく訓練を要請する。 普通の人は、表面の意識現象しか意識を向けない。作用や作用を起こすもの(場所、自己)には意識を向けない。しかし、 「自己」を知るためには、そういう内奥へ意識を向けることが必要となる。自己は意識現象ではなく、作用でもないから。意識作用を起こし意識現象を作り出す統括的なものが「自己」であるから。その統括的なもの、自己自身を自覚しないと心の病気などが再発する、治りにくい。 こうした自己探求をしていないと、順調であった人でも、 40歳、60歳になった時に、何かの出来事をきっかけとして、つらい意識現象を渦巻かせて、うつ病になる。 全国にスキルを持つ人の配置を仏教は、言葉レベル(文献を解釈し、説法する、本を書く)の専門家が多く、それを身につけることを実践する人や実践によって 苦悩するクライエントの人(病気レベル)を支援する人がいなくな った。そういうところ(たとえば、インド、中国。日本も?)では、文献のみあって、実践はなくなった。体験しなければ改善しないレベルの問題を解決支援できなくなっている。実践が大切なことは、たとえば、医師は、本だけの学習ではなく、実際臨床をするはずということを考えても、わかる。手術をした経験のない医師に、手術をお願いする患者は少ないはずである。医師もしないはずである。マ インドフルネスは言葉で言葉でない実践手法を説明しているが、説明の言葉がすべてではない実技を 使うから、活用しようとする人は、実践してスキルを体験している必要がある。マインドフルネスには、実践する支援者が必要である。本の読者以上に、 体験的スキルを磨くことが、マインドフルネス心理療法者の倫理といえそうである。 アメリカでは、効果をあげていると書かれた本がたくさん出版されているので、 日本のクライエントの方も、期待されるはずだから。 ◆セラピスト・カウンセラーを育成する人には哲学が必要になる ◆カウンセラー(セラピスト、医者)も自己洞察スキルの 体験が必要 |
Posted by
MF総研/大田
at 20:48
| マインドフルネス心理療法
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