(2)忍耐づよいこと=長期間の実践を覚悟 [2012年05月23日(Wed)]
種々のマインドフルネス&アクセプタンス
(17)ジョン・カバト・ツィン氏の哲学
(2)忍耐づよいこと=長期間の実践を覚悟
マインドフルネス&アクセプタンス(M&A)を世界的にしたジョン
・カバト
・ツィン氏のマインドフルネス・ストレス低減法(MBSR)にあ
る7つの態度(ツイン、1993)は、東洋哲学にもある。静座瞑想、ヨー
ガ瞑想、ボディスキャンをする時に、この態度で行う。
- (1)自分で評価をくださないこと
- (2)忍耐づよいこと
「忍耐力が必要」「あせらないように」「トレーニングを続けている
のになんの効果も現れないからといって、やきもきしてはいけません
」
「ものごとはそれなりの時間の経過が必要だということをよく理解し
、すべてを受け入れる」(ツイン,1993)
<*>
静座瞑想、ヨーガ瞑想、ボディスキャンを忍耐強く続けるのである
。
こうした態度は、仏教の場合、すぐに成果を求めず、長期間かけて
修行する態度にある。道元に、
「久参修持の功により、弁道勤労の縁を得て、悟道明心する」
「苦しく愁うるともただしいて学道すべき」(懷奘,1991)という言葉がある。
他の
方法で解決しなかった問題の改善のためには、マインドフルネスであ
っても、時間がかかるのを覚悟する必要がある。
MBSRの場合、まずは、8週間続ける忍耐力が必要とされる。さらに、
何か月か続けていると、痛みが違ってくる、生きる態度も変化がみら
れる。とにかく、一定期間、継続する忍耐が大切である。うつ病の場
合、私どもの自己洞察瞑想療法(SIMT)は、まずは10か月続ける忍耐
力が必要である。途中でやめると改善しないとか、ストレスのある出来事があった時に再発するおそれがある。
MBSRの支援期間が8週間で、SIMTが6−10か月の違いがあるのは、問題の深刻さの程度や意識作用の深さが違うからである。MBSRの主たる問題は、痛みであり、これは感覚の対象である。
うつ病や不安障害は、さまざまな作用と、それを統合する意志作用の問題である。うつ病などは問題が広く深いので、改善するのに時間がかかるのである。痛みは、必ずしも消失することをめざさない。痛みと共存しながら生きていく心が身につけばいい。しかし、うつ病や不安障害の症状は、消失、軽快することをめざす。鉛様麻痺感、抑うつ症状、仕事などをする前頭前野の回転が、改善しなくてもいいというわけにはいかないからである。治るものならば、治したいのである。マインドフルネスの自己洞察瞑想療法(SIMT)で治る人もいるのである。1,2年かかるのはやむをえない。問題が深刻なのであるから。実践する課題や実践の態度も違うものがある。さまざまな意識作用があるから違うのは当然である。感覚、思考、意志、直観というように深くなる。心得が違ってくる。
このように、マインドフルネスも一律ではない。意識作用レベルの違うマインドフルネスの理論や指導法などを形式的に基準にするわけにはいかない。マインドフルネスの根底にある哲学や理念を基準にすればいい。西田哲学は、立場なき立場であるという。意識の最も深い場所、人間の価値基準のない根底の場所から見る。そこは、道元の言葉に類似するものが多い。
<*注>ここにも、「受け入れ」の言葉がある。受け入れは重要な
要素である。だが、「すべてを」というのは、浅いものから深いもの
まである。受け入れが難しい深い意識作用によるものもある。
- (3)初心を忘れないこと
- (4)自分を信じること
- (5)むやみ
に努力しないこと
- (6)受け入れること(アクセプタンスの中核手
法)
- (7)とらわれないこと
欧米の人は、仏教、襌をマインドフルネス、アクセプタンスとして
、とらえなおした。または、もともと、人間には、マインドフルネス
、アクセプタンスの要素があることを再認識したといえるだろうか。
アクセプタンス・コミットメント・セラピーの人たちは、東洋哲学を
参照していないというが、やはり、似たM&Aに至ったからである。人
間の根底が、もともと、仏教が言っていたものであること(東西に関
係ない人間の根底)
に欧米の人たちも気づいてきたということかもしれない。今後のM&A
の進展によってあきらかにされるだろう。
注
- ジョン・カバト・ツィン 1993「生命力がよみがえる
瞑想健康法」春
木豊訳、実務教育出版、
pp55-59
- 懷奘,1991、「正法眼藏随聞記」岩波書店、p90およびp92
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セプタンス
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Posted by
MF総研/大田
at 08:20
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マインドフルネス心理療法
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