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人間の本質は、独断的・自己中心的 [2012年04月18日(Wed)]
連続記事「マインドフルネス支援者の倫理/専門家の倫理」

第3節 専門家の我執・西田哲学

<第2> 人間の本質は、独断的・自己中心的

 悲しいことに、人間は「各人の独断、各人の我執というものが、この世界に本質的」であると いう。人間に本質的であるから、全世界で起きている。西田幾多郎は、人には独断と我執が本質 的だという。
    「否定すべきは、我々の自己の独断と我執でなければならない。無論、矛盾的自己同一 的な世界は夢と偏見とに充満することが、それに本質的でなければならない。・・・各人の独断 、各人の我執というものが、この世界に本質的でなければならない」(3)
 西田哲学の研究者、板橋勇仁氏は、これを引用していう。
     「我々の自己が自己である限り、自らが世界において必然的に決定された存在であるというこ とを見失う事態も生じよう。我々の自己においては、自らが自立的に自らの内に存在根拠を持ち 、行為しうるものとして自らを基体化・実体化し、それに基づいて世界を差配・統御しようと する恣意的で我欲的な契機が備わっており、この契機が無くなることはありえない。「各人 の独断、各人の我執というものが、この世界に本質的でなければならない」」(4)
 板橋氏は、この後に、専門家にも我執、独断が起きることが本質的であることを説明している 。 医学や心理学も「科学」であろうが、そこの担い手の人間にも、独断、恣意が起きるおそれがあ る。歴史的にも何度も実際起きた。自己や自己の技術を優先して、独断的、利己的に思考、行為 する。 不都合なことを隠す、データを歪曲する。無知であるために害のあることを専門家がすすめた。 偏見によって病人を排斥した。専門家の我執、偏見、独断で、困るのは国民である。全世界で起 きてきたし、今も常に起きているだろう。時に、専門家による科学のベールをおおっているので 信じこまされるおそれがある。西田幾多郎がいうのはそういうことだろう。誠実である専門家に もエゴがみられるという。
 「世界を差配・統御しようとする恣意的で我欲的な契機が備わっており、この契機が無くなる ことはありえない。」
 世界とは大小無数にあり、メンバー、患者を支援する個人、集団、同業仲間集団も小さな世界 である。 小さな世界の垣根を越えてもっと広い世界の立場であれば、患者さんは別の支援者、治療者によ って救済されるかもしれない。
 心の病気の場合には、自分を傷つける主観的、独断的、自己中心的な評価的判断が多いのであ るが、西田哲学は、支援者側にも、独断的・自己中心的な心が働くという。精神疾患の領域だけ ではないが、精神疾患の領域でも、治療者、支援者側に、専門家の独断が数多くみられるだろう 。しかも、支援者側の利益(これは明きらかにエゴ)ばかりでなく、悪意がなく、善意(個人や 組織ぐるみの不知、無知、勉強不足、研究不足、拡大適用も)で行われている場合もあるので、 双方に気づかれにくい。それで、長引く、治らない、自殺もありえるはずである。
 専門家、科学者も、何らかの立場に立ち、自己が絶対であると思い込み、知らないことがある、もっと深いものがあるということを知らずに、善意で結果的に人を苦しめ、苦脳から解放されることを妨げる。心理療法も、思考レベルの置き換えによる認知療法から、思考レベルよりも深い「意志作用」レベルを用いるM&Aに移行してきた。仏教や西田哲学によれば、人には「意志作用」よりも深いレベルの自己形成作用があると言っている。とすれば、意志作用では解決できない葛藤、苦脳もあるわけである。


(注)
    (3)西田幾多郎『経験科学』(旧全集巻9,301頁)
    (4)板橋勇仁,2008「歴史的現実 と西田哲学」法政大学出版局、240頁

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Posted by MF総研/大田 at 20:23 | マインドフルネス心理療法 | この記事のURL