金子みすずの「 すずめのかあさん 」 [2012年03月22日(Thu)]
金子みすずの「 すずめのかあさん 」=芸術にも人格と人格との応答金子みすずの詩「すずめのかあさん」を読みます。
「すずめのかあさん」の詩の中に現れる「心」は 、次々と広くなっていく。・・・。 「子ども」の心には「子すずめ」しかない。 「その子のかあさん」の心には、こすずめと子ども。 「すずめのかあさん」の心には、「子すずめ」と「子ども」と「その子のかあさん」が。 そして、屋根で鳴かずに見ていた。 そして、まだ見ているものがあります。 書いていないけれど「あるんだよ」詩の言葉では「見えないけれど、あるんだよ」 そう、金子みすずがそのすべてをみていました。 みすずも傍観していました。なすすべもなく。助けられないと懺悔しつつ。 これも、言葉では見えないけれど、みすずの悲しみは確かにあったのでしょう。 そして、みすずは、後に、わが子がつかまえられることが自分に現実になった時、「鳴いた」のです。 離婚の時に、みすずに娘を渡そうとしない夫。 わが子を自由を束縛する夫のもとには置けないと、自分の命をかけて鳴きました。 命を捨てて、わが子を束縛しようとする夫から解放しました。 みすずは、毒を飲む時に、すずめのことを思い出したでしょう。 言葉にはないけれど、もっと、「見えぬけれども、あるんだよ。」とみすずはいいます。 あなたも、読者も、このすべてを目撃していました。みすずは、普通の人では見えないものを見ます。 人は、自覚しないところで、たくさんの罪を犯しているのでしょう。 傍観、無行動、無関心、無視、主観的、独断的、自己中心、我利、我欲、いじめ。 東日本大震災の後、住みにくい世になりました。やさしい人が追い込まれているのでは。
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Posted by
MF総研/大田
at 21:06
| マインドフルネス心理療法
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