団体の意向が個人に命令として迫る [2012年03月14日(Wed)]
専門家の我執、自己保身=主観的団体の意向が個人に命令として迫る専門家はその領域に熟練した人ですが、我執、エゴ、自己保身によって他者、国民を苦しめるこ とがある ことを西田哲学は警告していたのですが、 最近の日本の技術者、専門家がそうしたことを しているようだということを指摘する論考が現れて きました。 西田幾多郎は、団体に所属す ると、その団体の意向が命令となってせまってくるといいます。社会(団体、 評議会、種々の諮問 機関など)に所属すると、そういう暗黙の命令に背きにくくなって、正論を言わず、 黙るとか、迎 合します。御用学者のようです。それが、市民、国民を苦しめることになる、苦からの救済を妨げ る。専門家のエゴ、我利、 自己保身による悪です。西田幾多郎のいう「社会悪」でしょう。団体に 所属すると、そのトップ(または背 後の権力者、資金提供者)の意向が命令として迫ってくる。専 門家は、それを読み取る、「空気を 読む」。そして、トップ、資金提供者、任命者の意向にそう行 動をします。 団体と団体の対立も主観的(エゴ)な立場にたっていて抗争していて、深い立場、エ ゴ的立場でない立場からの建設的な批判になっていません。悲しいことに、ざらにみられることで す。西田哲学は、そうしないように自覚しよう、我を空しくして行動すべきだと教えています。心 の病気の人だけのことではありません。研究者、科学者にも求めています。
客観的精神とは、世界の立場になっていない団体の公式立場(多数決や権力で決まる)でしょう。その場合には、 自己にこうすべきだ(我利でなく団体の利益のために)という規範として迫られるというのでしょう。しかし、そうではない、人格的立場が考えられます。 自己の保身、利益(金銭、名誉、ポジション等)の立場、主 観的に動く団体の利益ではなく、国民 、世界の立場にたつ自己であれと。 このことは、他人事ではないのです。誰でも「自分にもそういう弱さがある」と思うはずです。 そう思わない人なら、自己を知らない人か、すごく尊敬できる人です。歴史的にもそういう人をみ ます。 専門家の我利、自己保身について目にはいった論考をみてみます。
<技術、専門家は熟練するほど我執、エゴ、自己保身によって他者を苦しめることがある>
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Posted by
MF総研/大田
at 20:18
| マインドフルネス心理療法
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