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マインドフルネス心理療法は西田哲学や大乗仏教的である [2012年03月12日(Mon)]

マインドフルネス心理療法は西田哲学や大乗仏教的である

 東洋哲学といっても、仏教は時代と国によって変遷しました。 現代的な、社会的なマインドフルネス、アクセプタンスは初期仏教よりも、大乗仏教的なほうが近 いと思います。初期仏教は、苦の解決(苦しむ人、病気の人だけのよう)といい、隠遁的(一人修行する)、専門家的(究極なところは仕事を離れて出家するほどでないと得られない)なところがあります。仕事を持つ人がするという要素が薄く、社会に出 ていく慈悲の実践の要素がうすいと大乗仏教が起こりました。
 初期仏教は、その時代の社会の中の苦の解決にのりだそうとせずに、僧院の中で坐禅し、こまか な教学に励んで、一般の市民は傍観されたような気配になりました。
 大乗仏教(その哲学を西田哲学があかそうとしている)は、慈悲、現実の社会に出て、苦悩する市民の苦( 自分の苦ではなく)を救済する社会貢献活動を強調しました。そのためか、僧侶だけでない、人間の哲学としても深くなり、 出家、在家に関係なく、人、自己の根源(空、仏性、唯識、華厳など)を深く探求しました。
 大乗仏教や西田哲学に、深い、日本的なマインドフルネス、アクセプタンスがあると思います。 欧米の人たちも、ここに注目しているのです。 ところが、現代の日本の仏教の教えは、現実の種々の社会問題の解決に使われて いません。浄土、健康な人が静かな寺で坐禅する、一般市民にはわけがわからない公案・・。こう いうところが仏教ですから、現実の社会問題にどう教義が関係できるのかてがかりがない。 マインドフルネス(M&A)は、そういう現代仏教とは違う道を開拓し ています。深さと市民への説き方がどちらかというと、インド大乗仏教に近いようです。仏教僧、仏教学者という専門家の ものではなくて、広く一般市民の活動であり、理念も、慈悲行でしたから。
 マインドフルネス(M&A)は、すべての領域に展開されていきます。だから、初期仏教とも、現代仏教とも違うものが見出されていくでしょう。
 様々な矛盾がふきだしている今、これまでの仏教では指針になりそうもありません。しかし、イ ンド大乗仏教には学ぶことが多くありそうです。私は宗教者ではありません。だから、仏教を布教 しようとはしません。
 欧米のマインドフルネス、アクセプタンスがめざす方向、西田哲学が説明し ている人間存在の深い哲学に学びつつ、社会問題に貢献していく方向です。宗教が、日本の仏教のように、自分の心の安 心をめざすのであれば、すべての産業領域に貢献しようとするM&Aは「宗教」ではありえません。もちろん、医療でもありません。すべての領域の根底のことですから。何というので しょう。M&Aは、やはり「哲学」なのかもしれません。 自己洞察瞑想療法(SIMT:Self Insight Meditation Therapy)のセッション1から10も、医療だけに限りません。すべての領域の「自己」の入門であり、その先に、セッション11以降に、西田哲学の最終形を「社会の中で現実に体現すること」(思索、研究ではなく)を求めていく方向でありたいと思っています。つまり、本当に、社会で、自己を没して、ものとなって働く人はいかにして育成できるのかという問題です。もちろん、まだ、完成していません。高齢、病弱の私はもうできません。そういう方向を示すだけです。老兵は去るものです。新しい時代をになう若者にお願いしたいです。執着する何も持たない、古い枠にとらわれない若者に。
◆どうしてマインドフルネス心理療法(SIMT)でなおるのか
Posted by MF総研/大田 at 23:41 | マインドフルネス心理療法 | この記事のURL