自己洞察瞑想療法 [2012年02月16日(Thu)]
自己洞察瞑想療法(2)=マインドフルネス心理療法の一種<第4> 自己洞察瞑想療法(SIMT)という名称の由来このように、欧米のマインドフルネス心理療法とは違う理論と背景を持つ(しかし、表面のマイ ンドフルネス、アクセプタンスの技法は類似する)ので、別の名称で呼ぶことにした。マインドフルネス、アクセプタンスをおりこんだ心理的治療技法でうつ病、不安障害などの改善支援 を行なってきたが、いつのまにか(大田の命名であるがいつであったか明確でない)、この手法を 「自己洞察瞑想療法」( Self Insight Meditation Therapy )とよぶようになった。自分の心を洞察 し、不快な症状、問題でも、回避せず、他者の傷害に向かわず、正面から自己に向きあい、不快な 事象の受け入れるべきは受け入れて、自己の目的を実現するという適切な意志を行使していくスキ ルを向上させていく。結局、自分の生きていく上での全ての精神活動を洞察するものであるので、 「自己洞察」の心の鍛錬といえる。 禅は自己とは何かを探求することであるとして禅のスローガンに「己事究明」という言葉がある 。自己とはなにかを究明することである という。西田哲学も自己の探求が主題である。アメリカのマインドフルネス心理療法の源流をつく りあげたジョン・カバット・ジンは禅を学び、弁証法的行動療法を創始したリネハンなどは禅の実 践を応用したものだという。ジョン・カバット・ジンは次のようにいう。 「一般的には、瞑想はあくまでも仏教の枠組みの中でとらえられていますが、その本質は宗教を 超えた普遍的なものです。注意を集中するというのも、基本的には自分の内部を深く見つめて、自 分を探求し、自分を理解するための方法なのです。ですから、私はとりたてて東洋の文化や仏教を 、ここでもちだすまでもないと考えています。注意集中力のもつ力は、あらゆる宗教やイデオロギ ーに依存していないところにあります。 つまり、誰でもその恩恵を受けることができるわけです。もちろん、注意集中力という考え方が、 煩悩からの救済と雑念をはらいのけることを主眼とした仏教の修行から生まれてきたことは偶然で はありません。」(4) 日本の禅の開祖の位置にある道元(鎌倉時代)に「仏道をなろうというは、自己をなろうなり」 の語がある。自己を習うことである。自己について学習するという目標がある。 また、アメリカのマインドフルネス心理療法者のうち、ある人は、仏教の瞑想実践を応用したも のだともいう。仏教の創始者とされる釈尊には「自燈明・法燈明」という語がある。これは次の言 葉を簡略にしたものである。 「自らを燈明とし、自らをたよりとして、他人をたよりとせず、真理(法)を燈明とし、 真理をよりどころとして、他のものをよりどころとせずにあれ」 この言葉が法句経では短い詩句にまとめられて友松圓諦氏の美しい翻訳がある。 「おのれこそ おのれのよるべ おのれをおきて 誰によるべぞ よくととのえし おのれにこそ まことえがたき よるべをぞ獲ん」 初期仏教も禅も個人が自己を学ぶことを通しての自立をめざしている。そのために「自己」とは 何か深く観察し新しい見方を発見(それが洞察である)して、自己をよくととのえて、その智慧を 指針として生きていくことを目標として、他人の教えに依存しないことを重要な方針としている。 心を病む人は治療を受けて治ったら支援者から離れていくものである。自己を深く洞察して、自己の精 神作用や自己自身を洞察して、修正すべき自らの精神活動がわかれば変えていくこともできる。自 己の洞察がすすめば支援者に依存することなく自立していくことができる。西田哲学も自己につい て種々の段階があるとして、自己の種々の作用、深い自己について論理的に考察している。 こうして、瞑想(自己の精神現象、精神作用、自己自身を現在進行形で観察して洞察すること) を通して自分の種々の精神活動や自己自身、現実の世界を新しい見方で洞察して、つらい現実があ ろうとも自己の目標(価値)を実現する行動をしていく意志作用のスキルを獲得していくことを支 援する心理療法という事味から「自己洞察瞑想療法」と名づけた。 これまで、うつ病、非定型うつ病、自殺念慮、パニック障害、対人恐怖症、外傷後ストレス障害 (PTSD)、不眠症、過食症、心気症、親子夫婦の不和などに効果がみられた。支援期間は、半年から 2年かかっており、それが薬物療法や他の心理療法でも効果がなく長期化した難治性の問題のゆえ なのか、それとも、理論や技法が不十分であるゆえなのか判明していない。
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