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マインドフルネス心理療法(SIMT)は医学 [2012年01月05日(Thu)]

マインドフルネス心理療法(SIMT)は現代社会のすべての現場のツール

 =宗教ではない

 マインドフルネス心理療法は欧米の流派(マインドフルネス認知療法や弁証的行動療法)でも、 日本の自己洞察瞑想療法(SIMT:Self Insight Meditation Therapy)でも、 うつ病や不安障害が治りますので、医学です。心理療法です。
 しかし、欧米の人が、東洋の仏教、東洋の哲学を応用したものであるというので、 仏教!! それなら宗教か? と疑い?をかけられます。 アメリカでは、宗教が尊敬されて、宗教を持たない人は警戒されます。よりどころがエゴを持つ自 分になるからです。宗教のない人は、自分を律する宗教的倫理観がないので、何をするかわからない人・・。
 誠実な宗教には、倫理があるので、人や社会に貢献している側面があります。殺すな、うそをつ くな、自殺するな、姦淫(浮気)するな、だますな、いじめるな・・など、宗教の倫理があります 。宗教を持たない人は、そういう倫理は自分の都合次第です。 だから、欧米では、宗教を持つ人は警戒されない・・。
 アメリカでは、マインドフルネス心理療法が仏教と混同されてもあまり不都合は起こりません。 しかし、日本では、困ります。 宗教者が(オウムのように)犯罪を犯したので、宗教を警戒する人がおられます。 仏教を受け入れる場所であれば、マインドフルネスと仏教の混在でも警戒されないので しょう。しかし、私どもが活動してきた経験では、宗教活動ならば、公的施設を使うことや教育現場、医療現場に宗教を持 ち 込むことは 制限されます。
 自己洞察瞑想療法が宗教とは違うことを強調せざるをえません。 誤解されて、医療や福祉、教育の現場で活用できないのでは、社会的損失だからです。 だから、私は、自己洞察瞑想療法は宗教と違う点を鮮明にしてきました。日本で創始したマインド フ ルネス心理療法(SIMT)をすすめるために仏教を離れて西田哲学を参照します。しかし、 おかげで、宗教語のあいまいさ、経典や開祖の語録の解釈が学者によってまちまちなのに 巻き込まれる心配もありません。宗教としての境涯、境地は問題ではなく、 うつ病を治す(その他の領域でも有効性があるかどうか)効果が高いかどうかが決め手です。 オウム事件のあった関東では特に 両者を区別することが必要でしょう。

●心理療法の5つの条件

 SIMTは禅の自己探求の実践(言葉では説明できないとされています)と自己探求について論理的 に 言葉 で説明している西田哲学と神経生理学を参考にしましたが、禅と西田哲学と神経生理学はそのまま で は心理療法にはなりません。心理療法となるには、
    @治療理論が明確であること、つまり、病気やその問題の原因論、治癒(改善)理論、治療(改善)手法
    A患者、クライエントの習得容易 性、
    B治療割合の高いこと、改善効果、有用性が確認できること。
    C脱宗教的であること(患者、クライエントや用いてみようという支援者の特定宗教への誘導となることを恐れる気持ちや葛藤を尊重するこ と、つまり医療、教育、福祉、ビジネスなどの現場での宗教の中立性を確保すべきこと。 そのために、実践の現場では、仏教語を用いない、仏教思想に入らない、仏教者の言葉を引用 しない、仏教を絶対視しないことなどに注意すること)、
    D支援者の習得容易性、つまり、いくら哲学が精緻、高尚であっても、手法を駆使できる人が多いような哲学、手法でなければならない
の5 点を満足するように研究と臨床を重ねてきました。 宗教としての坐禅は、これらの条件をみな満たしていませんので、SIMTと宗教の坐禅は違うもので す。

心理療法の範囲は一般のひとが理解できること

 宗教としての禅は、心の病気でない人の実践を重んじるために、病気を治す方針のような言葉を 用 いないとはいうものの、それぞれの宗教目標に到達させようとして、説法、語録の膨大な言葉があ り ます。説法はわかりにくく、公案による指導もきわめて難解です。僧侶でもない一般人が理解して 実 践して、その境地に達することは容易ではありません。そういう状況は、患者と支援者の習得容易 性 と治療割合の高いことの条件を充たすことができず、心理療法とはなりません。心理療法ならば、 1 年程度の理論の学習と実践によって習得できるものでなければなりません。心理療法の支援者とな る べき人、病気や問題を治したいクライアント(患者さん)が、1年くらいで習得でき、治癒できる ス キルを習得するための理論と習得容易な指導法を生みだすまで長期間試行錯誤を繰り返してきまし た。

宗教用語を用いない

 脱宗教的という条件のために苦労したことは仏教、禅の用語はなるべく用いないこと、仏教や禅の人の言葉 を 引用しないことです。類似の実践があるのですが用語を置き換えて宗教とは別であることを徹底 し ようと努力を続けています。たとえば、坐禅は「呼吸法」「自己洞察法」「瞑想」などに置き換えました。 現在進行形で働く背後の心理を仏教では、「煩悩」といいますが、「本音」「本心」に置き換えました。内容も違っています。 宗教に警戒、不安を持つ、あるいは、他の宗教の信者である患者さんは、仏教の言葉を聞きたくな いはずです。仏教、襌の宣伝だと受け取られるおそれがあります。そういう患者さんの気持ちを尊重したいです。宗教性については、 別に触れます。

再現性=習得容易性

 他の人にこの手法を指導して効果を得た始めての問題は70歳くらいのかたの睡眠障害でした。 それ 以来、うつ病、不安障害の方々を中心に おあいしてきました。5つの条件を満足させるために、治療法も理論的な説明も日々改訂を加えて き ました。
 うつ病、パニック障害、PTSDのかたが治っていますので、患者の習得容易性や治療効率を証明し てくださって嬉しいことです。そして、カウンセラーになった方もおられるので、支援者の習得容 易性も証明されていると思います。これも嬉しいことです。 東日本大震災の被災地の方に習得していただきたいというのはこのためです。 多くの人が、うつ病、PTSDになる可能性があり、薬物療法だけでは間に合わないでしょう。うつ病 、PTSDを心理療法で治す支援者が多数必要です。

宗教が悪いわけではない

 宗教と医療は区別しなければいけないのは法律の要請です。NPO法人法で、NPO法人は宗教活動を してはいけないことになっています。この点からも、宗教と心理療法とを峻別する必要があります 。

  「特定非営利活動促進法」の第2条に 「宗教の教義を広め、儀式行事を行い、及び信者を教化育成することを主たる目的とするものでな いこと。」とあります。 そのNPO法人の活動において、 宗教としての禅の言葉や宗教者の言葉の引用が多いと、この法律に触れるおそれがあります。 教育現場や公共の場で、宗教語が多いと、他の宗教の人が困惑されるはずです。

 教育現場(私立学校でなければ)でも、特定宗教の宣伝になるような言葉をいっては、問題にな るでしょう。そうでないと、医療、教育、福祉などの現場で反対されるおそれがあります。特に 他の宗教の方から、特定宗教に特有の用語を使うのであれば、日本では不審感を持たれるでしょう。アメリカと違って、宗教を分離している日本では、配慮すべきでしょう。まだ、研究 段階ですが、いずれ明確に区別しようという議論になるでしょう 。
 とはいっても、宗教が悪いわけではありません。宗教は法律で認められています 。心の病気ではない人が自己存在の問題に苦悩する時に宗 教が大きな貢献をしています。病気、心理療法の範囲を超えた問題、苦悩の解決に貢献するのが 宗教でしょう。もちろん、心の病気の人が医師、カウンセラー、公的相談機関などに相談しても治らない場合に、宗教 に救済を求めることはあるでしょうが。

宗教者も心の病気の領域に

 しかし、宗教者も心理療法を提供できるのはもちろんです。僧侶の人が学校の先生であったり、 医者であったりします。しかし、学校や病院で宗教の説法、宣伝はしません。
 同様に、使い分ければいいのです。心の病気の治療の現場、教育、医療、福祉の現場では、宗教の 宣伝になる活動はしない、宗教にひきいれる行為をしないのです。 いいえ、してもいいのですが。 カウンセリングの現場では、仏教語を用いない、宗祖の言葉を引用しないこともやろうとすればできます。その場合、 自分の宗旨の宣伝にならない、自分の宗教組織の利益にならない無償の奉仕に近くなります。病気 が治るまでの1,2年だけの支援です。信者とはならないかもしれない人たちへの支援です。 そこから宗教の信者になる人はほとんどないかもしれません。カウンセリングを実際やってみますと、本当は、完治までもう少しグループセッション、面談にくればいいのにと思うのですが、7−10 回でやめてしまわれます。忙しい、復帰、再就職、新しい生活をしたいのです。だから、せいぜい 、1,2年の治療関係です。
 学習やヨーガ、カウンセリングを標榜していて、宗教にひきいれるのは<カルト>の手口です。 宗教者であるカウンセラーは、これを自覚していないと、<隠れた本音>となります。患者が望ま ないのに、自分の利益をはかる(自分の宗教にひきいれたい)深層心理となる。心の病気の治療や 福祉、教育の現場では出さないほうが誠実です。
 ただし、マインドフルネス心理療法が宗教の禅や仏教と類似することは、カウンセラー講座の受 講者(支援者になる人)では、仏教、禅はどういうものであるか簡単に学習します。 脳神経生理学も、西田哲学も簡単に勉強します。しかし、患者さんには、宗教的なことは言わない (ターミナルケアの場面は除く)、宗教語は用いないで、すすめます。
 宗教の坐禅と類似している(坐って静かにしている)ので、禅寺、禅僧の方も、この心理療法を 習得して現代社会に貢献していただけると思います。 その場合、どうやっていくか、どこかで模範を示せばいいと思います。寺で、僧侶が提供する場合 には、 そこにくる患者さんは、指導者が僧侶で 場所が宗教施設であることを承知して参加されるのですから、 カウンセリングの時に、「開祖の言葉ではこういっているところです」というようなことを 交えてカウンセリングの課題をわかってもらうのはさしつかえないだろうと思います。 あまり多すぎて、病気の治療でなく開祖の思想の説法にならないように注意して。

新しい社会貢献事業は誰がになうのか

 マインドフルネス心理療法を行う人材(医師、看護師、心理士など)が少なくて、宗教者が提供すれば 、患者さんがうつ病、不安障害、自殺から解放される機会が増えます。治ったら、離れていく人々もいますので、信者の獲得にはならないかもしれませんが。 ただ、やはり宗教者の方も本務で忙しいことがネックになるのではないかと思います。
 薬物療法でも、従来のカウンセリングでも改善しない問題を支援するというのですから、 マインドフルネスは新しい産業領域と言えます。 一体、どういう人が、推進していくのでしょうか。
 うつ病の心理療法、自殺防止に関心のあるリソースがないものでしょうか。 やはり、本務に忙しいと新しい活動はできません。それは、私自身もそうですから。 心理療法の研究やカウンセラー講座、福祉施設での心の健康体操などをする時間が忙しいと、患者 さんの治療セッションはできません。学校カウンセラーや企業等のサービスをする臨床心理士も、一般者向けの治療にさく時間がないでしょう。
 少しの時間でも多くの人が出し合う協同でなら、できるでしょうか。マインドフルネス心理療法 の担い手となるリソースはどこになるのでしょうか。
Posted by MF総研/大田 at 22:47 | 私たちの心理療法 | この記事のURL