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(8)世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はありえない [2011年04月01日(Fri)]

被災者の心のケア、心の病気の予防のためのマインドフルネス心理療法

 (8)世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はありえない

 「世界が全体幸福にならないうちは個人の幸福はありえない」
 こう言ったのは、岩手県の宮沢賢治です。個人は「創造的世界の創造的要素」で あるといったのは、石川県の西田幾多郎です。
 東日本の個人が幸福ではなくなってしまいました。そこの方たちが幸福でない間 は、 他の日本中の人が幸福とはいえません。ここ埼玉でも、あれ以来、停電になったり 、いくつかの物資がなくなりました。企業の中には、東北地方で製造の拠点を持つ ところもあり、大きな影響を受けました。それにも私たちはおかげを受けていまし た。私たちも幸福ではありえません。今までどれほど多くを東北の方のおかげにな っていたのかを痛感しています。
 宮沢賢治や西田幾多郎が言ったように、自己というものは、世界、日本、社会の 外側にいて見ているのではなくて、自己は日本の中に生きていますので、日本、特 に今は東日本を幸福にしないと東京、関西から九州に至るまで、幸福にはなれませ ん。
 不幸な状況が現われていますが、西田幾多郎が言うのは、一瞬一瞬、今から今へ と、世界が現われて、すぐ消えていく、その動揺的な世界で、自分は自由な意志で 、この世界で新しいものを作ることができる、現われるものが過酷であっても、よ い世界を作っていくことができる、個人の行動が世界の行動である、個人はそうい う存在であるということだと思います。現われていることは過酷ですが、これから は、新しいものを作っていくこと、その中でいかに行動するか課題としてつきつけ られている・・・。
 宮沢賢治が言ったように、被災者の方が幸福にならないうちは、他の日本人のひ とり一人に幸福はありえません。被災しなかった人も、それを痛感しています。 被災者の方には、必ず国や他の地域からの支援があります。多くの人が動いている ので、大きなうねりとなって、予想もできない支援の形が現実となって現われるの だと思います。心配しすぎないでいただきたいと思います。心配しすぎると、心の 病気になってしまいます。
 宮沢賢治の精神は、大乗仏教の無住処涅槃、西田哲学の創造的世界の創造的要素に類似しているように見えます。狭い範囲の自分の周囲だけの世界の幸福しか見ずに、もっと広い社会には苦しんでいる人が多いのに、見ようともしないで、満足だと思っている・・・。 自分(の家族、の仲間、集団)は幸福だ・・。(それよりも広い地域、社会の苦はみない)。 賢治の言葉は、その生きた時代の色々な集団(宗教も含めて)のエゴを批判したのだったのかもしれません。今も、もっとスマートな装いで同様のことが広く浸透しているのかもしれません。
 無住処涅槃を主張したインドの人、宮沢賢治、西田幾多郎など、どこまでも広く広く苦悩を見ていく、崇高な他者の苦の共感があったのに、今は後退しているようです。心のことは、発展し続けるのではなくて、成長と後退を繰り返していくようです。
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  • Posted by MF総研/大田 at 21:07 | 災害とストレス | この記事のURL