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文献研究ばかりでなく自己実践と臨床での実際適用を [2010年05月18日(Tue)]

文献研究ばかりでなく自己実践と臨床での実際適用を

 西田幾多郎によれば、意志するということは、知って働くことである。知りつつ働くことである。

「意志するということは、知って働く、働くことを知る、知りつつ働くことと考えられるから、単に対象の志向 というごとき純知的態度とは全くその類を異にするように考えられる。しかし、働くことは知ることではない。 私が働くといっても、その私は知られた私であって、知る私ではない、知る私は働く私を、すなわち私の変化を 見ている私でなければならない。志向ということから考えれば、知る私においては、志向せられるものが志向す るものであり、志向するものが志向せられるものでなければならない。」(「西田幾多郎哲学論集」1巻、岩波文 庫-195頁)。

 働く作用は知覚や思考のような単に対象を知る作用ではない。働くためには働く私の変化を見て知る必要があ る。目的(志向される内容)に向かって働くもの(主体)の内容が大きいのである。

 「かかる私が働くとはいかなることを意味するか。働くということは、まず変ずるということでなければなら ない。かかる私が知るという性質を維持しながら変ずるというには、志向するものに向かう志向の方向、すなわ ち内に向かう方向が志向するものに達せない、志向するものの内容が志向せられる内容より大きいと考えられね ばならない、両者の間に間隙がなければならない。しかし、この二方向が離れてしまえば、私というものはない 、したがって私が働くというごときこともない。」(文庫T-196頁)
 人の行動は長期的な最終目的(達するのに一定の時間と行動が必要)を実現するために多くの短い目的を実現 させようとする短期的な目的行動の連続である。一歩一歩(志向されるもの)が目的方向(志向するもの)に合 致していることを知る。今の瞬間に行為し行為の結果と目的が合致していることを瞬間的に知りつつ、次の行動 を決意する。目的方向からそれたら、方向の修正、中断、別の行動の決意などをする。こうした意志作用は強い 力を持つ。何かの刺激や目的との乖離を知ると、意志によって低次の作用(思考、見る、聞くなど)を中断した り、志向を別の対象や作用に向けることができる。こう考えると、精神作用は種々の作用の非連続の連続である 。種々の精神作用を統合する位置にあるのが「意志作用」である。
 実際、行動してみると考えたことと違うことが多い。知的なものは行動によって確認、修正される。行動が大 切である。
 これは、心理療法の研究にもいえる。文献研究だけではだめである。

 「西田は知的な働きよりも意志的な働きの方を重視している。というのは、知的な働き(認識)はどうしても 主観と客観、見るものと見られるものとを分離して、客観を主観の外にあるものとして見る傾向があるからであ る。これに対して、意志的な働きは主客合一的な働きである。それで西田は、真の知は主観が客観の内に没する ところにあると考えた。すなわち、自己が物の内に没するところにあると考えた。いわゆる知的な働きが自己を 滅したところに真の知があるというのである。そして、まさしくそれが行にほかならない。しかし、より正確に いえば、その場合、自己は対象的方向に自己を滅するのではなく、むしろ自己の内に、あるいは底の底に自己を 滅するのである。ここでいう客観とは、このような意味での客観であって、主観に対立する二元論的な意味での 客観ではない。それは主観=客観であるような絶対的意味での客観である。」 (「西田幾多郎の思想」小阪国継、講談社、53頁)

 心理療法においても、知的知識、理論の精緻さ、理論の崇高さよりも、実際の目的(治っているか)が実現し ているか、実際に臨床の場面で働いているかが重視されるべきだろう。 いくら詳細な文献研究を重ねて、書物が膨大になろうとも、実際の現場で働くのでなければ、社会には貢献でき ない。患者が治らない。現場で働くものが重要である。マインドフルネス心理療法の文献が紹介されて久しいの に、そして、なお文献が出版され続けているのに、一般の患者さんが受けられるところができない。なぜなのだろうか。過去の精神領域の歴史で起きた 似たような現象が再現されないように望みたい。文献による学問ばかりが盛んで、研究者による書物は膨大なも のがあるのに、現場で指導する者がいなくて、現場で救われる人がいない状況が。知を用いる研究者と文献は多 いが、意志を用いて行を教える指導者が不在で、実際に行をする者がいない。こういうことは多い。
 西田幾多郎は、意志的、行を重視 した。
 書物の研究もいいが実際に現場でためすことが大切だ。マインドフルネス心理療法を受けるクライアントの方 も、マインドフルネス心理療法のカウンセリングを勉強して他者の支援をしたいという人にも、実際の行と臨床 に使ってみることが必須である。文献研究、テキストの理解、講座に出席だけでは習得されない。難しさがある と同時に、自己の行と経験による力強さがあるのだろう。書物がなくても体現されたことになるのだろう。 書物は自己の外の対象であるが、体得されたスキルは自己自身であるのだろう。
 カウンセリングを受ける人も、カウンセラー講座を受ける人も課題を実践しない人は習得されない。マインドフルネス心理療法は、認知作用ではなく、意志作用の活性化なのだから。 ゴルフの本を百冊読んで理解できても、実際にボールを打ってみる行動を何万回もした人でないとゴルフの指導者にはなれない。ゴルフがうまくなれない。マインドフルネス心理療法はそういうタイプの意志と実行を重視した心理療法である。うつ病や不安障害を治すために、予防するために効果が高い心のスキルも、認知(思考)作用によらず、長期間の意志作用の行によって獲得される。3か月ではなくて、1年2年、そして、生涯をかけて。
 生涯!  治った人は、再発防止のために生涯実践を。完治しない人は不快なことを受容して生きていくために生涯実践を。カウンセラーの人は叡智的自己を深めて、治療スキルの向上をめざして生涯実践を。このような実践は、自分にとっての価値実現になると確信しています。東洋の哲学はそういうものであると西田哲学が教えていると思います。
Posted by MF総研/大田 at 10:57 | 新しい心理療法 | この記事のURL