思考や感情などによる衝動的行動とそれらを統合した自由意志による行動 [2010年04月09日(Fri)]
今度の土曜日の「心の健康クラブ」と「グループ・カウンセリング」では、うつ
病や不安障害、依存症などを治すには、「意志作用の活性化」が鍵であることを学
習する。マインドフルネス心理療法とは、意志作用を活性化する手法であるとも言
える。
思考や感情などによる衝動的行動とそれらを統合した自由意志による行動=マインドフルネス心理療法と西田哲学西田は「意志」について次のように述べている。自己(私)は、知覚(内部、外 部)、思考、感情などの種々の精神作用を起すが、一つにふりまわされて、目的( 人生の価値実現、幸福)を失うような行動をしてはいけない。種々の精神作用は「 目的」の実現のために統合的に観察して、目的にそった行動を決意しなければなら ない。そういう統合的な合目的的精神作用が「意志」である。そのような意志をさ さえる自己(叡智的自己)があるはずである。
「意志的動作即ち行為の過程を分析して考えて見ると、先ず我々の自己を唆(そそ の)かす現状 と異なった願わしき自己の状態即ちいわゆる目的観念なるものが現わ れ、我々の意識が傾斜の状態 をなすと共に、この両者を結合するため、過去の経験 から目的に達する道行の観念即ち手段の観念 が喚起され、この結合が十分と考えら れた時、即ち客観的に可能と信ぜられた時、決意の感情と共 に動作に移るのである 、即ち主観的意志内容から客観的事実に転ずるのである。」(「意識の問題」西田哲 学旧全集3巻、141頁 )。
「意志するということは、知って働く、働くことを知る、知りつつ働くことと考え られるから、単に対象の志向というごとき純知的態度とは全くその類を異にするよ うに考えられる。しかし、働くことは知ることではない。私が働くといっても、そ の私は知られた私であって、知る私ではない、知る私は働く私を、すなわち私の変 化を見ている私でなければならない。志向ということから考えれば、知る私におい ては、志向せられるものが志向するものであり、志向するものが志向せられるもの でなければならない。」(文庫T-195頁)。
「かかる私が働くとはいかなることを意味するか。働くということは、まず変ず るということでなければならない。かかる私が知るという性質を維持しながら変ず るというには、志向するものに向かう志向の方向、すなわち内に向かう方向が志向 するものに達せない、志向するものの内容が志向せられる内容より大きいと考えら れねばならない、両者の間に間隙がなければならない。しかし、この二方向が離れ てしまえば、私というものはない、したがって私が働くというごときこともない。 」(文庫T-196頁)
「働く私というものが考えられるには、変化の一歩一歩が志向せられるものと志 向するものと合一する知るものであって、しかもそれが変じて行くものでなければ ならない。かかる知る私の連続が働く私と考えられるのである。かくして働く私は 知る私を含むということができる。」(文庫T-196頁)。
マインドフルネス心理療法へうつ病や不安障害などになると思考作用、感情作用は活発である。しかも否定的 、悲観的な思考、ネガティブな感情である。思考や感情よりも高次の意志作用があ る。感覚、思考、感情などの推移を観察しながら、自己の目的に合致した行動を検 索して決意して実行する。すぐに状況(感覚、思考、感情として)が変わるので、 その変化を観察して、行動を継続、修正、中止、他の行動への可能性の検討、決意 、実行ということを行うという、低次の種々の精神作用を統合しなければならない。それが意志作用である。対象的な思考作用にはそういう高次の統合作用はない。 図にすると、こうである。こういう意志作用が低下しているのがうつ病、不安障害などである。感覚(動悸 、痛み、過呼吸、はきけ、抑うつ症状など)、感情(不安、怒り、いらいらなど) 、思考(視線、不遇な状況、対人関係の不満な言葉など)の種々の低次の作用の対象にふりまわされてしま い、建設的な合目的的行動ができない。その結果、脳神経生理学的な変調も起きる 。それをまた低次の作用の対象とする。自己の精神作用を知らず、意志作用を活性 化させていない。 意志作用を活性化させ、叡智的自己の自覚により、自己肯定感を向上させていく のがマインドフルネス心理療法である。従って、思考レベルの「認知のゆがみの修 正」ということよりも、意志作用の活性化に重点がおかれているのが、第3世代の 認知行動療法、すなわち、マインドフルネス心理療法である。行動活性化技法、A CT、弁証法的行動療法、マインドフルネス認知療法、自己洞察瞑想療法(SIMT: Self Insight Meditation Therapy )などがある。 ![]() |