• もっと見る
«がんのリハビリテーション | Main | 認知(思惟)作用よりも深い「意志作用」を活性化させる»
知覚、思惟よりも深い「意志作用」を活性化させる [2010年03月30日(Tue)]

知覚、思惟よりも深い「意志作用」を活性化させる マインドフルネス心理療法

=マインドフルネス心理療法と西田哲学

 西田幾多郎の西田哲学でマインドフルネス心理療法をみている。  種々の知識がある。自然界の知識もあれば、自己の精神作用(知覚、判断、思惟 、感情、意志など種々の意識作用)についての知識もある。判断は、自然界の知識 である。こういう意識作用は同一レベルの作用ではない、深い作用を用いることが うまくない人は心の病気になったり、非行犯罪を犯したりするリスクが高い。心の 病気になってからも治りにくい。
     「私は我々が知識というものの中において、少なくとも種々の種類があり、 種々の次位を区別し得ると思う。先ず客観的対象を認識するということと、主観的 作用を反省するということとは、同じく知識といい得るとしても、同一の範疇に属 する知識ではない、或る意味においては、むしろ相反する立場によって成立する知 識ともいわねばならない。」(154頁)
 「知る」ということ「知識」には種々のレベルがある。自然界についての知識、 自己の意識作用の知識(感情を知る、意志を知る)、自己存在の知識などレベルが 異なる。知情意を知るということは、知識を知る、感情を知る、意志を知るという ことである。知情意を知るといっても、単に、書物を読んで知るというのは、あく までも知識、思惟のレベルにすぎない。認知(思考)を変えても、意志を働くこと がなければ知識となったものは実行されない。
    「普通に直覚と思惟とは全く異なれるものと考えられるが、直覚的なるものがそれ 自身を維持するには、やはり「於いてある場所」という如きものがなければならぬ 。而してこの場所は思惟の於いてある場所と同じものである。直覚的なるものがそ の於いてある場所に映されたる時、思惟内容となるのである。」(81頁)

    「意識するということと、知識の対象界に映すということとがすぐ一つに考えられ るが、厳密なる意味において知識の対象界に情意の内容を映すことはできない。 知識の対象界はどこまでも限定せられた場所の意味を脱することはできない。 情意の映される場所は、なお一層深く広い場所でなければならぬ。情意の内容が意 識せられるということは、知識的に認識せられるということではない、 知情意に共通なる意識の野はそのいずれにも属せないものでなければならぬ、いわ ゆる直覚をも包んで無限に広がるものでなければならぬ。 」(84頁)

    「知覚の内に意志を包むといい得ないが、意志の内には知覚を包むということがで きる。意志の対象界はいわゆる自然界よりも一層深い認識主観によって構成せられ ると考えるのである。・・・ 認識主観が判断意識との結合を条件とせねばならぬかぎり、意志その者をこの立場 において認識するとはいい得ない、この意味において意志は全然知識を超越すると いうことができる。」(172頁)

マインドフルネス心理療法へ

 認知(思考)と意志は土俵が違う。意志は思考を支配できる、意志は思考の内容 も思考作用をも知ることができる、思考をストップすることもできる、それが意志 である。認知(思考)は思考作用自身さえ知らない、対象を知るのみである。まし て、思考は高次の作用たる意志を知ることはできない。
 知覚や思惟(思考)は、意志を知ることはできない。意志は知覚や思惟を知るの で、意志は思惟よりも高次である。意志は行動の原動力である。どんなに、思考に よる知識があろうとも、意志が動かなければ、行動には結びつかない。

 うつ病、不安障害、過食症を含む依存症、暴力などは、意志作用の低下と言える 。知覚、思考(認知療法では認知という)は意志よりも低い意識作用である。それ らを統括して不適切なことをせず、自己の価値観、願い、つまり目的にあった行動 を選択、決意して実行するのが「意志作用」である。いくら認知を修正しても低い 場所にある「思惟作用」であるから、高次の場所にある意志作用が活性化しないと合目的的行為を実行できな い。こうして、認知療法、認知行動療法のなかからさらに治療効果のすぐれた心理 療法の開発がすすめられて「マインドフルネス心理療法」が開発されたのである。 知覚、認知(思考)、感情、目的や行動を統合する「意志作用」を活性化させる心理療法である。

 従来、認知療法があるが、認知療法で治る人と治らない人がいる。認知療法で治 った人は、認知(考え)を変えたから治ったのではない、認知の認知(メタ認知) が変わったから治ったのだとマインドフルネス心理療法者が指摘している。そうす ると、最初からそういう治療方針を持つ心理療法を行えばいいのである。

 だから、今後、認知療法とマインドフルネス心理療法の両方が推進されていくべ きだろう。 中高生、大学生のころから、不安や思いどおりでないことから、回避、うつ、ひきこもり、無茶な行動などが見られる人がいる。思考、理屈ではわかるが、意志、行動に結びつけられない。 精神疾患になってからも、たとえば、森田療法などの理論的な知識は専門家はだしであっても、自分の精神疾患が治らないというのもこれである。知識、思考は働くが、意志が働かない。 若いうちから、認知 療法やマインドフルネス心理療法の実践教育をすると成人してからの精神疾患や非行犯罪(DV,虐待、違法薬物依存など)が少なくなるだ ろうと思う。

 (続)
    (注)
  • 上記の引用は「西田幾多郎哲学論集T」(岩波書店)の論文「場所」の頁。



Posted by MF総研/大田 at 08:05 | 新しい心理療法 | この記事のURL