違法薬物依存(4)
=自分を大切にしない人
薬物依存症の人は、配偶者やパートナーからすすめられたことが違法薬物に
手をそめるきっかけになる場合が多い(6割とも)という。
なぜ、大切なパートナーを悪事にさそうのだろうか。違法であり依存になる
危険なものであるとわかっていながら、なぜ、自分も始めるのだろうか。人が
育ってきた中で形成された複雑なこころが関係しているようである。
薬物に手を出すのは心が疲れた人である。だるい、意欲がない。
違法薬物に手を出す時には、自分の心が疲れている時だろう。その時に、悪友
やパートナーから薬物をすすめられてとびつくのは、自分を大切にしない人で
ある。依存症になり犯罪者になり、家庭を崩壊させることになることがわかっ
てい
るものに手を出す。もともと、自己嫌悪、自己評価の低さがあるから自分を大
切にしていないからである。そうなる前に、心が疲れる状況になるのも、パー
トナーとの関係において、自分を大切にしてこなかったからかもしれない。
薬物依存症の人の多くに該当するかもしれない「愛情欲求不満」について理
解し、自分の本音を意識化して自分を大切にするトレーニングをすることは薬
物依存の防止、治療の良い対策になるのではないだろうか。(もちろん、薬物
依存の背景はこれだけではないだろう)
社会的に成功した人が心の病気、薬物依存に
社会的に成功しているかのように見える人が心の病気になり、自殺し、薬物
依存になり、家庭が崩壊することがある。(加藤氏は「神経症傾向」の人とい
うことでこういう人達を表現する)
「言行の立派な人で神経症になってしまう人は、自分の中の幼児性にまけた
人である。あまりにそれが満たされなかった人であろう。そして本人もその自
分の中の幼児性から眼をそむけたために処理しそこなったのである。」216頁
甘えることが許されない子ども時代
子どもの頃に、親への甘え、親への依存が充分にできないで、つらいことは
つらくないと本音を否認して育つ。甘えは悪いことだとして本音を欲圧して育
つことがある。
厳しすぎる親、暴力をふるう親、子どもの存在を否定・嫌悪する親、仕事や宗教、あそび、ボランティア活動などにのめりすぎて子供とコミュニケーションをとらずに愛情を信じられなくする親、育児放棄のだめな親、経済的貧困や親の介護などで子供に愛情を注ぐことができない家庭、親の病気
、親の離婚、親の死亡で親戚に育てられる、親の不和など、子どもが無条件で
甘えることが許されなく育つ環境は多い。
注意すべき点がある。
- 第一に、こういう人がすべて不幸になるわ
けではない。克服して生きていく人が多い。幼児性の抑圧が問題である。もちろん、これ以外の要因、たとえば、遺伝、社会環境なども関係するだろう。
- 第二に、過保護でも幼児性が身についてしまうことも多い。ストレスへの耐性が育たない。
- 第三に、自己評価が低くなる可能性があるのは、親の愛情があっても、身体的に弱い場合がある。私は、幼い頃から喘息がひどく、小学生の時に、結核になる。ずっと身体が弱かったので、不安過敏で、自己評価がきわめて低かった。
- ほかにも、親の愛情不足によらずに、自己評価が低く育つ場合もあることを考慮しておく必要がある。
甘えることが許されないままで大人に
大人になってこの本音と抑圧に気づき自分を解放できた人は自分への肯定感がある。自分をそまつにしないだろう。だ
が、子どもの頃充分に甘える(子どもの本音である)ことができず、甘えたい
という本音を抑圧したままで気づかずに大人になるとどうなるであろうか。
「甘えの欲求が満たされず、甘えを欲圧して大人になった執着性格の人の心
理について考えてみよう。彼は表面では生真面目で、社会的にはよく適応して
いる。他人の期待をかなえようと努力する。何かうまくいかないことがあると
他人を責めないで自分を責める。
しかし、このように規範意識の肥大化している彼の心の底の底はどうなって
いるであろうか。甘えの欲求を抑圧しているということは甘えの欲求がないと
いうことではない。本人が自分で眼をそむけているだけの話である。
彼は意識のレベルでは自由と責任の主体である。しかし、心の底の底では、
自分の存在の責任を相手に感じてくれと求めている。意識のレベルでは自罰的
であるが、無意識のレベルでは他罰的である。
彼が心の底から満ちたりるのは自分の責任を自分がとった時ではない。自分
の責任を他人がとってくれた時である。つまり彼は社会的に大人になった後で
は、心の底から満ちたりるということが決してないのである。」41頁
パートナーができれば、結婚できれば幸福になれるかというとそうでもない
。もろい基盤の上の愛であり、あやうい。
「神経症的傾向の人間同士は、お互いに心の底で拒否しあっている。異性間
であれ同性間であれそれは同じである。しかしお互いに心の底で拒否しあって
いることを認めたくない。親しいのだと確信したがっている。お互いにひかれ
つつ拒否しあっているという両極的なことが多い。」51頁
(別の関心あるテーマであるが、この言葉は、未成熟な人、神経症的傾向の
人間が活動するグループの不信、対立、変革を拒む傾向が生みだされる理由を
も指摘しているように見える。)
心の空虚を埋めあわせようとして、いろいろなことをするが満足できない。
よくみせようとして事業に手を出し、失敗すれば、いよいよ心の空虚は深刻に
なる。
「心の空虚が深刻であればあるほど、その埋めあわせには大きな達成感が必
要である。それは仕事の達成であれ、勉強の達成であれ、性の達成であれ、レ
ジャーの達成であれ同じことである。
とにかく大きなことを達成することが、深刻な心の空虚から眼をそむけるた
めには必要なことである。」47頁
「甘えを抑圧したことで、自然の感情で生きられなくなり、その結果心は空
洞化してしまった。だとすればいろいろな領域で次々に何かを達成することで
生きようとするよりも、自分の自然の感情と、何とか接触しようと心がけるで
あろう。」49頁
子どもの頃、無条件の親の愛で甘えることができて、心が健康にそだった大
人は心の病気になりくいし、なっても、薬物やアルコールには手をださない。
自分を嫌悪しないで大人になった人は、うつ病になっても自分を犯罪者とし家庭を崩
壊させる薬物やアルコールには手をださない。自分の大切なパートナーや配偶者にも違法薬物など決してすすめない。効果ありそうな健全な治療法をさがし続けるだろう。
アルコール、薬物
「アルコール依存症の人が、自分の体をこわしてまでアルコールを常用する
。アルコールなしには生きていけない。かといってアルコールを飲んでいる時
、それほど幸せかというとそうでもない。これは薬物依存症についても言える
。アメリカの大学で薬物のゼミをとって、依存症の勉強をしていた時がある。
その1年間のゼミで私が一番つよく印象をうけたのは、薬物に依存している人
というのは、薬物を飲んでいる時も、不幸であるという事実である。
そしてその薬物のために体はボロボロになる。アルコールも薬物も、得るも
のは何もないのに犠牲にするものがあまりにも多い。しかしそれにもかかわら
ずそうなってしまうのは、その人達の飢えであり、不満であろう。」229頁
疲れがとぶ、高揚感があるという感覚はあっても、「犯罪である、やがて廃
人になる、刑務所に行くだろう」という意識があるので、感覚と思考が分裂し
ていて不幸だろう。
こんなに破滅的な違法薬物をなぜ、配偶者にすすめるのか。(続く)
(以上のXX頁は、加藤諦三氏の「自分に気づく心理学」PHP研究所)
加藤氏も言う。自分の隠された本音(幼児性、依存したい気持、憎しみ、など
)を意識上に出して、本当のありのままの自然の自分を知り、自己嫌悪しない
で自分を愛すること、その上で、大人としての建設的な対策をとっていくこと
だ。(後に引用するだろう)
この方針は私どもの心理療法も同じだ。依存症だけではなく、うつ病も不安
障害も同様だ。隠れた幼児性がある。だから、
私見であるが、その時に、認知療法やマインドフルネス心理療法が役に立つだ
ろう。その心理療法を受ける(独学であれカウンセラーの指導であれ)時も、
自分が真剣に自分と対決しなければならない。救うのは親でもパートナーでも
ない。カウンセラーでもない。親、パートナー、カウンセラーに甘えていると
、再度、大人になる機会を見失う。救うのは自分自身だ。自分の本音に気づき
、自分を知り、自分を愛するのは、「自分」でなければできない。
大人になってから、うつ病や薬物依存症にならないように、大人になろうと
する青年期に、隠れた幼児性、実現されなかった甘えに気づき、成熟した心に
なる機会を持つことの大切さが理解される社会になってほしい。人は、英語、
数学、理科、コンピューター、金銭などばかりでは幸福になれない。これらも
必要であるが、最も重要なものが欠けている。学校でも家庭でも。