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第5章 縁起ということ   〜関係主義的世界観 [2025年02月19日(Wed)]
【目次】そもそも大乗仏教とはどういう宗教か
〜【書籍】『はじめての大乗仏教』竹村牧男、講談社現代新書

第5章 縁起ということ
  〜関係主義的世界観

 第5章は、「縁起ということ」です。
 「縁起とは、因と縁とが合わさって果があるという思想で、関係主義的世界観ということができます。・・・ 華厳宗の洞察にたいへん深いものがありますので、その内容をできるだけ詳しく紹介します。」(p6)

 縁起といえば、初期仏教の「十二縁起」が思い浮かびますが、これは早い時期のもので、大乗仏教では、別の縁起が説かれます。

 本書で、説一切有部の縁起観の詳細な分析を紹介しています。六因・四縁・五果で現象が縁起の関係にあることを説明しています。
 「ただし、じつは説一切有部では、五位七十五法の諸法を、実体的存在として考えたのでした。いわゆる、「三世実有、法体恒有」の立場です。」(p139)

 大乗仏教の縁起として、唯識の阿頼耶識縁起説、『大乗起信論』の如来蔵縁起説、華厳宗の法界縁起説があるといいます。
 そして、華厳宗が説く重重無尽の縁起の背景にある相即・相入、一即多・多即一、一中多・多中一について詳細に説明しています。著者はこう評しています。

 「私は、この華厳宗の縁起の説明が、論理的にもっとも徹底したものだと思っております。」(p158)

 仏教は自分のことだけではありません。ただ坐禅すればいいというものではありません。社会、世界との関係を重視しています。

 「仏教では、当初から縁起観を展開し、関係主義的世界観に立って、世界を見ているのでした。欧米でも、環境問題が自覚されるにつれて、生態学(エコロジー)において関係主義的・全体主義的世界観が高調されるようになってきましたが、仏教はもとより関係主義的世界観に立っていたのであり、その思想は今や深く顧みられるべきです。」(p132)

 家族がいじめられる、食糧不足、環境問題、うつ病などの病気、多国間での争いは、日本の仏教者にも影響しているはずです。その中には、人のエゴイズムによる苦しみもあるはずです。目には見えないほどの関係網の中で生きていく人生です。他者を苦しめ、他者から苦しめられるのがあっていいはずがありません。自己と他者の関係網の中で生きていく人生であり、自分の行為が他者に関係し、無数の他者の行為が自己に関係します。全体がよりよい方向へいくためには、どうしたらいいのか、仏教も重視してきたのです。

【参考】鈴木大拙による華厳の縁起

 華厳の「重重無尽の縁起」については、鈴木大拙や西田哲学で説明しているのを見ました。深い禅のひとが自覚するのです。禅の人は、華厳宗がいう縁起説を実際に自覚し実際に生きるのでしょう。

https://blog.canpan.info/jitou/archive/5374
日本の復興を願って
 華厳思想に基づく民主的社会の提言

https://blog.canpan.info/jitou/archive/5375
華厳思想に基づく民主的社会の提言(3)
  〜 華厳の事事無礙とは

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鈴木大拙〜共生の理念

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【連続記事】鈴木大拙・共生の思想

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【目次】孤独・孤立対策・自殺防止対策・質の高い教育
 〜 治療法・予防法の研究・開発・臨床・教育

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【目次】そもそも大乗仏教とはどういう宗教か
 〜【書籍紹介】『はじめての大乗仏教』竹村牧男、講談社現代新書


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第4章 世界の分析 〜自分、他者を苦しめる「悪」も [2025年02月18日(Tue)]
【目次】そもそも大乗仏教とはどういう宗教か
〜【書籍】『はじめての大乗仏教』竹村牧男、講談社現代新書

第4章 世界の分析
 〜自分、他者を苦しめる「悪」も

 第4章は、世界を構成する要素です。このなかで、自己、他者を苦しめる意識も列挙されています。

 「迷いの認識の基盤にある現象世界そのものは、どのように把握されるべきなのでしょうか」 (p102)として、「変化する現象世界の構成要素」(p106)として、唯識ではどのように分析したのかが説明されます。

 五つの感覚(眼・耳・鼻・舌・身)と意識の6識、善、煩悩など、五位百法として説明されます。

 「法は「自己自身をたもつもの」であって、いわば世界の構成要素です。 五位百法の体系は、私たちが実我・実法を執着する背景にある本来の世界が、どのような諸法によって構成されているかを明かすものです。」(p106)

 これらの「法」の中に、特に現代の人たちも苦悩することに関係深いものが「善」や「煩悩」です。煩悩は、ほとんどの場合、「悪」となります。

 善・悪については、別にみました。

https://blog.canpan.info/jitou/archive/5589
★第9章 修行の道筋
  この中で、善・悪とは

https://blog.canpan.info/jitou/archive/5511
★ 「我々の意識レベルで自覚される煩悩は、ほぼ悪の性質を持ちます。 悪の行為は未来に苦しみの結果をもたらすのですが、さらに詳しく定義を見ますと、 「二世にわたって自他を違損する」ものです。現世だけでなく、未来世までにも、 自分だけでなく他者をも損ねていく結果をもたらすもの。これが仏道の世界で考えられている悪です。 多くの煩悩。随煩悩は、実際はそういうはたらきをするわけです。」(『成唯識論を読む』(竹村牧男、春秋社、p20)

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★我執、法執、煩悩

 大乗仏教、唯識では、五感、意識のほかに、末那識、阿頼耶識があるといいます。 この働きが唯識独自であり、阿頼耶識縁起といいます。本章でその説明があります。

 この「識」には、相分と見分があるとされます。第3章で説明があります。相分は対象面で、見分は主観面です。(p108)

 SIMTでは、対象と作用として観察します。対象は作用が作るものと観察します。

大乗仏教の教えは現代人の精神療法にも参考になる

 私(大田)が精神療法、自己洞察瞑想療法(SIMT)を開発したのは、 こういう大乗仏教や道元禅(道元は煩悩を己見・我利・我執という)の自己洞察の方法を参考にしました。
 「悪」を抑制するというより、「悪」に該当するものを含む思考・行為をすると、自分に陰性の感情が起こり、うつ病などの回復を妨げます。回復をさまたげるとか、症状を悪化させる、それは、自分のしたい人生価値(働く仕事や家事などが多い)を崩壊させるということを理解してもらいます。それが、SIMTの理論となります。大乗仏教の悪のみかたを、価値崩壊になる思考、欲求、発語、行為を抑制するというふうに 取り入れました。「煩悩」という言葉を「本音」としました。
 こういうところから、大乗仏教、道元の言葉そのままでも精神療法の開発が可能でしょう。宗教の教え・実践が公共の場所では禁止とされているところがあるから、SIMTは、宗教(大乗仏教)の用語、理論から離れました。「坐禅」という語も「瞑想」や「呼吸法」と言い変えました。

 大乗仏教の理論による実践は、宗教とは関係なさそうな精神疾患を「完治」させる効果があります。ヴィクトール・フランクルも言ったのです。誠実な、深い宗教の実践は、宗教以前の精神疾患や自殺念慮をも治す効果があるのです。
 不治の病気で動くことができなかった三浦綾子がキリスト教で自殺念慮が消えたのも知られています。
 こころの働きとしては、浅い階層の意識を深い心の働きが包含するからでしょう。学問的な検討をすべき重大な問題でしょう。西田哲学やフランクルの哲学が教えています。

苦悩する人がカルトへ向かい離脱しない理由

 同様のリスクが「カルト」的宗教にもあるでしょう。宗教レベルではない苦痛でも、「カルト」の居場所に参加して、教えを聞き実践すると、宗教レベルでなかった問題も解決することがあるでしょう。たとえば、家庭に居場所がなかった人。孤独だった人など。カルトの場所に行ってその苦悩が癒される。もう、カルトの場から離れにくいでしょう。離れようとすると不安、恐怖が起こるでしょう。
 日本の宗教や精神療法の課題でしょう。一般国民の「苦」への共感がないように見えて、表層的な実践だけをいう坐禅や瞑想会に、つらい国民がいくはずがありません。深い誠実な宗教がないならば、それに代わる宗教でない精神療法の研究、臨床での実験を重ねていくのも一つの対策ですが、一体、だれがするのでしょうか。
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第3章 迷いの構造 [2025年02月18日(Tue)]
【目次】そもそも大乗仏教とはどういう宗教か
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第3章 迷いの構造
 〜 自己とは、ものとは、見方が違う

 第3章は、すべての人の「自己」と「もの」(対象的に見られるもの)の見方が違っている、錯覚しているというのです。第3章は、「認識の違い」があることを説明しています。

大乗仏教のうちでも「唯識」で説明

 大乗仏教には、法華経、浄土教、華厳経、密教などの派もありますが、本書は「唯識」での説明をすすめていきます。 ただ、大乗仏教は、日本での発展深化もあり、本書では特に第8章〜10章で、道元などの禅と、親鸞などの念仏についても言及しています。

 「唯識思想は、自己と世界のあり方を綿密に分析しており、大乗仏教の教理の基礎をなすものであるからです。 そこで本書は全体的に、唯識思想に基づいて説明していくことを、あらかじめご承知おきください。」(p76)

 第3章では、次のような順序で、私たちの「自己」や「もの」の見方には、錯覚があること、そのために苦悩し、させることを大乗仏教、唯識の立場で説明しています。

「自己はあるのか」
「ものはあるのか」
「言葉以前の世界」
「言語というものの特質――名詞は「他の否定」
「唯識思想が説く三性説」
 

 3章は、唯識の三性説、すなわち、遍計所執性、依他起性、円成実性で、我々の迷い、苦悩する有様を詳細に説明します。

 「人間が苦しみを持つ背景にある迷いの様相、顛倒妄想(事実とはさかさまの誤った見方)を かかえている実情を、言語や認識の構造の分析から解明します。 本来、時々刻々変化していく現象世界に対して、我ともの(法)の、常住の本体を持つ実体的存在があると錯覚し、それらに執着することによって苦しみが生れるというのです。」(p5)

 第3章は、どうして、人が悩み、苦しむのかを説明する「理論」に当たります。 「理論」を理解することは、「思考」を用います。理論が実行されるように「身についた」わけではありません。実践して、身につけないと、現実に苦悩が解決しません。 そのために、大乗仏教のうち「唯識」では、詳細な実践方法を持っています。本書では、 第9章、10章で説明されます。それもまた、読むだけでは、苦悩は解決しません。 実践して身につけることによって、「理論」が正しいことがわかります。実践していくことが修行(第9章)です。


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(2)大乗仏教は家庭・仕事を持つ在家が起こした [2025年02月17日(Mon)]
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(2)大乗仏教は家庭・仕事を持つ在家が起こした
  〜 第2章の中で説明

 大乗仏教は、配偶者も仕事も持たない人たちの集団、すなわち「出家」が起こした教えではありません。これは、重要です。
 家族や仕事を持つと、様々なことで悩みます。家族、配偶者、子ども、孫などが苦しむと自分のことのように苦しみます。仕事を持つと、仕事仲間が苦しむのをみることがあります。だから、在家は、自分ばかりではなくて、家族や仕事仲間が持つ苦しみを身近に感じます。そういう苦しみを解決する教えがほしいし、他者の苦を解決してあげたい(利他)と思うのが自然です。
 ところが、説一切有部(小乗)の教えでは、そういう現世の家族や仕事における苦悩を解決する理論を持ちません。彼らの目標は、六道輪廻からの解脱ですから。
 出家の団体が提唱する教えに欠けている在家の苦悩を救済するための仏教を別の人が起こしました。それが大乗仏教です。

 竹村氏の著書の第2章に「大乗仏教の担い手は在家」という一節があります。

大乗仏教の担い手は在家

 「初期大乗仏教経典では、戒律に十善戒が用いられて、これは不婬(ふいん)戒(一切の男女関係を認めない)ではない不邪婬戒(夫婦以外のよこしまな男女関係を認めない)を含むことから、在家中心のものです。出家の者は、不婬戒を持たなければならないからです。平川彰(元東京大学文学部印度哲学科主任教授)は、こうしたことから、大乗仏教の主要な担い手は、在家であると推定しました。」(p50)

 つまり、大乗仏教は、家族や仕事を持たないひとたちだけで構成される教団のものではありません。すべてのひとを対象にした教えです。
 在家は、この人生で種々の苦悩に遭遇しますので、それを解決できる方法を教えてくれる専門家を必要とします。「利他」が重視されたのです。

 大乗仏教である日本では、伝統仏教教団の僧侶も家族を持つので、在家にあたります。僧侶も、家族や仕事(葬祭の仕事、また、幼稚園経営など)での悩みもあるはずです。現代の日本では、ほとんどすべてのひとが在家です。

 現代の「マインドフルネス」(第1世代)は、家族同士とか学校、仕事の現場で、苦悩が起こりますが、その方法(無評価)では解決できそうもありません。家庭、学校、職場で、「悪」とみなされる言葉や行為がとびかいます。「悪」は、道徳的、法律的、人道的などの「悪」とされる言葉、行為があります。
 子どもの中には保護者からの言葉、行為により苦しみ、自殺が起きています。他者からいじめがあります。大人になれば、数々のハラスメント、職場がつらいなど、苦しいことがあります。日本では、実質、すべての人が在家ですから、大乗仏教の全体が必要です。一つに還元的に画一的な基準ではなくて、大乗仏教が目指したような深く広い観察、実践が現代こそ必要になっています。

【参考】
https://blog.canpan.info/jitou/archive/5588
★大乗仏教による「悪」の定義
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Posted by MF総研/大田 at 19:53 | 孤独孤立自殺うつ病不安症 | この記事のURL
第2章 大乗仏教が日本に来るまで [2025年02月16日(Sun)]
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第2章 大乗仏教が日本に来るまで

 第2章は、釈尊以来、インド、中国、日本の仏教の歴史です。

 「仏教の歴史を見たとき、特にインドを中心に分類すると、概略、次のような4つの仏教に分類されます。」(p44)
    原始仏教 釈尊(紀元前463〜383)及びその直弟子らの教え(根本仏教等ともいう)
    部派仏教 仏滅百年後、根本分裂 上座部と大衆部 さらに分派
    大乗仏教 西暦期限前後に興起 『般若経』『法華経』『華厳経』『無量寿経』など
           龍樹(150〜250頃)『中論』 中観派
    世親(400〜480頃)『唯識三十頌』 瑜伽行派
    密教 七世紀頃、出現 『大日経』『金剛頂経』
        その後、仏教教団はイスラームの滅ぼされる
 部派仏教は、多数に分派しましたが、 「そうしたなか、常に小乗仏教の代表として語られるのが、説一切有部です。」(p57)

 「説一切有部は、七十五の諸法はあるが、我は無いと説く「我空法有」の立場に立ち、四諦の観察行によって我執を断ち、生死輪廻を脱して涅槃に入るという仏道を説きました。」(p58)

 「我とは常住・不変かつ主体と考えられたもの、法とは物質的、心理的など、いわば世界の構成要素のことです。」(p56)

 説一切有部の教えは、利他がなく、自利のみであると批判され、大乗仏教が起こります。 家族、仕事を持つ在家が、自分や家族や仕事の仲間などのこの人生での苦悩を救済する方法を開発したのでしょう。

大乗仏教

 「大乗仏教では、我・法ともに空であると説き、我執と法執の双方ともに断って、涅槃のみならず、菩提すなわち覚りの智慧をも実現し、仏となることをめざします。法執を断つことによって菩提が実現するというのです。」(p67)

 大乗仏教は、在家が起こしたものだと言われます。在家は、家族、仕事をもつので、生活において苦悩が起こります。この世においての生活上の苦悩の救済をめざします。利他を重視します。
 現代においても「力」あるものによるハラスメントの苦に追い込まれるひとが極めて多いことは見ての通りです。現世における苦悩を救済できないものがこの教団の宗教といえるはずがないと思うでしょう。大乗仏教は小乗仏教を批判する人々(家族、仕事を持ち、そこに起きる苦悩を解決する教えを家族、友人たちに教えてこの人生を幸福に感じてほしいと思う) によって自然に起きたのでしょう。

 「小乗仏教では自利の完成にとどまりますが、大乗仏教では自利利他円満ともなります。 言い換えますと、小乗仏教は自己の問題の解決のみを目的とし、大乗仏教は他者の問題の解決がより大きな目的となるのです。」(p73)

 インドの大乗仏教は、中国、日本に伝わります。第2章では、中国と日本の仏教の歴史を簡略に述べています。ここは、省略します。

 こういう仏教ですので、現代の私たちも、この人生において、種々の苦悩が起こります。精神疾患にまで追い込まれます。当然、大乗仏教の教えが参考になるのではないかと考えます。
 「マインドフルネス」は、小乗仏教の四諦の用語「正念」ではありますが、自己・他者の「我、法」の意識現象を「観察」するということは同じですが、観察の内容、目標は全くちがうのです。六道輪廻からの解脱、自利のみというのではなく、現世の家族、仕事のなかで起きる人生上の苦悩の解決、したがって、他者の苦悩解決をも目指すものでないと、現代人のうつ病などの予防、治療を目標にできません。

(編集中です)


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Posted by MF総研/大田 at 22:20 | 孤独孤立自殺うつ病不安症 | この記事のURL
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