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【コラム】ドイツの「失敗」から学ぶ [2011年05月09日(Mon)]
Ishikawa Shinsaku
石川 真作
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京都文教大学人間学研究所客員研究員。文学博士。専門は文化人類学。ドイツ在住トルコ系移民を対象とした現地調査を行っている。主な著作に「ヨーロッパのムスリム─ドイツ在住トルコ人の事例から」(森明子編『ヨーロッパ人類学─近代再編の現場から』新曜社 2004)、「ドイツにおけるトルコ系マイノリティ団体の活動―トランスナショナルな公共圏の構築―」(竹沢尚一郎編著『移民のヨーロッパ―国際比較の視点から―』明石書店 2011)など。
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 さる3月、ヨーロッパ調査旅行の折に、かねてからの私の主たる調査地であり、トルコ系移民が多く住むドイツ、デュースブルグ市に立ち寄った。2010年1月に行われたシンポジウム「社会統合政策の課題と挑戦─新たな理念と役割を求めて」に参加していただいたレイラ・オズマル氏をはじめ、多くの友人と再会し、また新しい出会いもあった。帰国の翌日にシンポジウム「人口減少社会と日本の選択─外国人労働者問題に関する提言」が開催された。そしてその3日後に震災が起こった。

 すぐにデュースブルグの友人たちから多くのメールが来た。新たに出会った人からのものもあった。みな私や私の家族の安否を心配してくれていた。幸いにして私の住む愛知県ではほとんど被害がなかった旨を返信すると、ひとまずの安心と共に今度は、被災地の状況や日本の今後を気遣う返信が舞い込んだ。1999年のトルコでの震災や、その際の日本の援助隊の働きについて触れている人もいた。

 それらのメールの中には、もっとも古くからの友人であるSからのものも含まれていた。彼のメールには、震災に関する話題とともに、自身の新たな職場でのスタートについても綴られていた。

 Sはここ3年間というもの失業状態で、家でごろごろしながらネット三昧の生活を続けていた。その姿も精神状態も、日本で言うところの「ニート」そのものであった。とはいえ、本人に仕事をする意志が全くないわけではなかったのだが、現実にこの3年近くは仕事が見つからなかったのだ。ところが、ちょうど今回の私の滞在中に、労働エージェンシー(職安にあたる)から彼に仕事の紹介があった。彼が面接に出かけ、次回のアポイントをとって帰ってきた翌日に、私は帰国した。彼のメールにはその後首尾よく仕事について、順調に滑り出したことが記されていた。その知らせは、震災関連のニュースで沈みがちだった気持ちを、少しだけだが軽くしてくれた。

 彼が少年期を過ごした1980〜90年代は、トルコ系移民の流入から20年以上が経過し、多くが定住傾向を示していたにもかかわらず、ドイツ政府もドイツ社会も「ドイツは移民国ではない」という前提に立っていた。一方トルコ系移民の側の姿勢も曖昧で、「いつか帰国する」という意識を捨てきれない人たちが多かった。そのような環境で育った彼らは、ドイツで生まれ育ちながらドイツ社会の一員ではないような中途半端な位置に置かれた。彼らの一部はドイツで社会的成功を納めるための準備をしないまま、あるいはその手段を理解しないまま成長せざるを得なかった。大学まで進学する者はまれで、高校レベルの学校で中退した者も多く、なかにはろくに学校に行かないまま義務教育期間を終えてしまう者もいた。

 Sも高校にあたる総合学校の時、教師との折り合いが悪くなるとあっさりと退学してしまった。親もさほど問題とは考えていなかった。彼の両親はトルコ料理の軽食店を経営しており、当時はそこそこうまくいっていたので、親子で店の仕事をすればいいと考えていたようだ。トルコ系移民には全体的にそのような考え方をする傾向があった。しかしその後、両親の商売は頓挫し、彼は外に職場を求めなければならなくなった。しかし長期不況下のドイツにおいて、高校中退で資格もなく、外国籍の彼にできる仕事は少なかった。

 その間に少子高齢化に直面したドイツは、移民法の整備など移民国化にかじを切った。移民の社会統合施策にも以前より積極的に取り組んだ。そうした中で提供された再教育プログラムに参加したSは調理師の資格を取得した。これによってある程度仕事の紹介を受けられるようになったが、給与半額の試用期間のみで理由をつけられて解雇されることが何度も続いた。やっと得られた寿司バーの仕事も、1年半ほど勤めたところで体調を壊し、休暇をとった間に解雇されてしまった。その後3年近くを失業給付で生活することとなった。

 それでも彼のケースはまだ良いほうで、彼の友人にはほとんど仕事らしい仕事をしたことのない者や、ドラッグの売人になって刑務所に入った者、窃盗で何度もつかまっている者などもいる。中には、ドイツで育ちながらドイツ語があまり使いこなせない者もいる。Sのドイツ語はそこらのドイツ人の若者よりも丁寧で明瞭であると評価されており、10代の時にテレアポの会社からスカウトを受けたほどだ。それでも仕事を得るのに苦労した。学齢期に将来の備えを充分にできなかったことが尾を引き、社会で主力にならなければならない現在にそのつけが回ってきている。ドイツでは、このような世代の移民たちを指して、「ロスト・ジェネレーション」と呼ぶことがある。

 昨12月の国際シンポジウムのサブタイトルは「ヨーロッパの成功と失敗に学ぶ」であった。しかし、これまでのヨーロッパの移民施策においては、成功よりも失敗が目立つというのが実感である。それらの失敗から学ぶべきは、将来の移民の社会統合を見越して現在から手を打っておくということであろう。現在、日本に住む学齢期の外国人児童生徒たちの状況は、Sたちの当時の姿と重なる。彼らが将来、日本社会の一部となり、あるいは主力となって社会を動かす人々であるという前提に立って対応をとるべきである。さもないと将来大きな代価を支払わざるを得ないことも、ヨーロッパの現在が示唆することである。それは政治、社会、財政、様々な面での負担となる。

 先般のシンポジウム「人口減少社会と日本の選択─外国人労働者問題に関する提言」でも「今やらないと手遅れになる」というスタンスでの提案が行われたが、ドイツの状況を見ると、「手遅れ」とはどういうことか、その一端が垣間見られる。
【コラム】外国人コミュニティリーダーと共に築く地域社会 [2011年04月15日(Fri)]

 Tanaka Yuko

  田中 裕子
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1983年、京都市生まれ。(特活)多文化共生センター大阪事務局スタッフ。
大学でポルトガル語を学び、南米を専門に取り扱う旅行会社勤務、在ブラジル日本国大使館勤務を経て、2009年より現職。一般財団法人ダイバーシティ研究所岐阜コミュニティリーダー事業担当。ポルトガル語翻訳者。
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 昨年の8月から3回にわたって外国人コミュニティリーダー育成研修の事業担当者として、岐阜県を訪れた。岐阜県には2010年1月現在、51,384名の外国人住民が暮らしている。国籍別にみると、もっとも多いのがブラジル(32.1%)で、中国(32.0%)、フィリピン(16.1%)と続く。ブラジル人の多い岐阜県での仕事は、ブラジル好きの私にとって思い入れの強い仕事でもある。

 日本で暮らす外国人住民は言葉や制度のちがいから様々な課題を抱えている。最近では自分たちが抱える課題を自ら解決するために外国人住民による活動が日本でも少しずつ出てきている。移民受け入れの歴史をもつ諸外国ではすでに、外国人による自助組織が支援の主な担い手となっているそうで、彼らをサポートする今回の研修のような取り組みはとても重要であると感じた。自助組織として活動していく中でも、言葉の壁や制度の壁に直面することがある。団体立ち上げのための手続きや日本語での書類作成、有効な人脈作りや広報、資金集めなど様々な壁が立ちはだかる。コミュニティ活動に積極的な外国人住民がより活発に、いい事業を生み出すためには、彼らの活動をサポートする日本人のチカラも必要だ。

 フィリピン人コミュニティOCJ代表のフェルナンドさんは医療通訳の事業に取り組みたいということで、今回の研修に参加してくださった。ポルトガル語の医療通訳を置いている病院は岐阜県にもいくつかあるが、フィリピン語の医療通訳を置いている病院はなく、日本語が堪能なフェルナンドさんは、派遣会社が休みの週末に、よく知りあいから電話で医療通訳を頼まれるという。コンサルティングで彼は「個人で行う医療通訳には限界を感じる」と話していたが、研修とコンサルティングを終え、これからフィリピン人住民にアンケートを実施してニーズを把握し、協力者を募ったり、資金を調達するために動き出すことになった。彼一人で取り組むのは大変だが、岐阜県国際交流センターの担当者や他の研修参加者も医療通訳への関心は高い。今回の研修を通してできた人と人のつながりを大切にし、事業実施につながるよう、これからも情報交換やサポートを続けていきたい。

 仕事をしながら、コミュニティ活動を行うことは容易ではない。ただでさえ、異国の地で仕事をして、生活をしていくためには、ストレスや困難が付きまとう。それでも、外国人住民にとって過ごしやすい地域を作るためには、こうして外国人住民自らが課題を見つけ、情報発信をしながら、活動を広げていくことがとても重要なことだと感じる。自国出身の人たちが集まるコミュニティの存在は、外国人住民にとって安心できるよりどころになってくれる。このコミュニティを通して、日本人と、外国人住民がお互い一緒に活動していくことができれば、多様な視点から課題解決への糸口を見出せるのではないだろうか。日本人からの支援を受けるのではなく、地域の一員として活動する外国人コミュニティ。私に思い浮かばないような新鮮な視点やアイディアをもつ彼ら・彼女から多くを学び、私自身も共に住みやすい地域社会について再度考えることができた。
【コラム】多文化な子どもたちへの学習支援教室「サタディクラス」 [2011年04月15日(Fri)]
Tsubouchi Yoshiko
坪内 好子
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第3分科会メンバーが所属する多文化共生センター大阪と共に、多文化な子どもたちへの学習支援教室「サタディクラス」を運営。1948年岡山県生まれ。大阪の中学校日本語教室担当を経てボランティアとして活動。1998年文部省(当時)海外教員派遣でポルトガルの学校視察。中国、フィリピン、ペルー、ベトナムの学校見学やボランティア活動等に参加。現在、府立高校定時制特別非常勤講師。
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〔外国からの子どもたちの居場所つくり〕
 数年来、多文化な子どもたちへの学習支援教室「サタディクラス」として、土曜日の午後、大阪市・大阪府在住の小・中学生や高校生年齢の子どもたちの居場所作りと学習支援に取り組んでいる。共に活動するメンバーは、大学の日本語教師、大学生、主婦、定年退職者、NPOスタッフ等である。

 人権尊重を教育の基本理念とする大阪市にはボランティアによる日本語・識字教室が多数存在する。しかし、子どもを受け入れているところは少ない。2010年現在は4団体(サタディクラス、こどもひろば、ひまわり会、YWCA)である。義務教育年齢の子どもの教育は本来公教育によって保障されるべきものである。が、外国からの子どもたちは、40名の多様な子どもたちの中で、ともすれば発言をあまりしない子どもとして見過ごされがちである。子どもたちは理解の確認を求められても、事実に反してつい肯定表現をしてしまうことが多い。

 外国の文化習慣を理解する際、日本の学校文化や指導者の文化体験のみを基に進めていくと、外国からの子どもや保護者の文化・行動形態と大きくずれてしまうことがある。

 例えば、「校内で間食などとんでもない」という常識と「おやつタイムがあって当然」の常識は互いに事前に予測することは困難であり、子ども、指導者双方にアドバイスが必要である。

 さまざまな子どもたちの課題は見過ごされやすく、生活の場である地域においては保護者が受信できうる情報量が少なく、日本の事情を理解することが未消化のまま子どもに接していることも多い。地域とのつながりは弱いため近隣の人々の支援や連携のもとに子どもたちを支えていくことが不可欠である。サタディクラスでは子どもたちの支援と共に、学校と地域保護者をつなぐ糸口にもなればと考えている。

 外国からの子どもたちは異文化の中で不安と緊張による多くのストレスを抱えているが、保護者自身も不明や不安なことが多い。地域の生活上の慣習伝達や行事体験の共有はかなり困難である。厳しい就労状況と複雑な家族関係のケースが多く見られ、子どもは保護者の不安定な動向に振り回される傾向がある。

 世界の、日本の、将来を担う子どもたちが、自分で考え、生きる力を身につけていくため高等教育につなげていく必要がある。また。乳幼児を抱えていることの多い保護者が精神的に落ち着いて子どもの教育について考えられるような環境作りが必要である。在留資格等の問題、生活全般についての知識理解への支援等多くの課題があるのが実情である。

 多くの課題は子どもへの学習支援教室の活動範囲を大幅に超えており、学校、幼稚園や保育所、保健センター、役所、大学の地域研究部門、同じ趣旨で活動するNPO等と連携し、折にふれ地域全体での関心を深め多文化共生社会の実現へと進めていきたい。