【コラム】日本最北端の水産業を支える中国人女性研修生!(前半) [2009年11月02日(Mon)]
日本最北端の水産業を支える中国人女性研修生!
〜稚内市・猿払村出張報告・前半〜 (研究員 佐藤 万帆) SPF人口チーム第一分科会(+α)では、外国人研修生の研修現場の実態調査のため、10/18〜20まで北海道稚内市と宗谷郡猿払村を訪れた。訪問チームは、事業メンバーの石弘之東京農業大学教授、後藤純一慶応義塾大学教授、安里和晃特別研究員、第一分科会メンバーの明石純一筑波大学大学院助教、三菱総合研究所木村文勝研究部長、第三分科会メンバーのダイバーシティ研究所鈴木暁子氏、そしてSPFから茶野常務理事、窪田アドバイザー、岡室主任研究員、私の合計10名。 もともとは、ホタテで有名な猿払を目指しての出張計画であったが、稚内市も今年3月に外国人研修生受入特区の認定を受け、研修生の受入れに積極的との情報を得て、同市も日程に組み込み、盛りだくさんの調査となった。まずは稚内市役所を訪問して、水産商工課の岩田淳一課長と、水産加工業協同組合長で、中央水産社長の中陳憲一氏にお話を聞いた。 左手より、稚内市水産商工課商工グループ主査 佐伯達也氏、 中央水産株式会社中陳憲一代表取締役社長、稚内市水産商工課岩田淳一課長 岩田課長によれば、稚内は沖合底引漁業で有名だったが、昭和52年の200海里漁業専管水域(排他的経済水域)が設定されたことにより打撃を受け、水揚げ高は昭和52年の200億円から現在は20億まで減少。原料が減っているので、水産加工業も一次加工から高次加工へとシフトしているが、いずれにせよ従業者の高齢化が課題。人口も減少していて、既に4万を割った。そうした状況下で中国から研修生を受け入れている。現在21の事業所で193人の研修生が研修を行っている。特区の認定を受けたことで、各事業所の研修生の受入れ数が増えた。(50人以下の事業所でも6名まで受入れ可能となる) 水産加工業協同組合長の中陳社長は開口一番、「研修生の存在によって私たちは非常に助かっている」。稚内の水産加工業に従事する人は1,632人、それに対して193人の研修生では、現場を支えるには割合として小さすぎるのでは?との質問には、研修生は休まず、勤勉なので助かる、3年の上限を設けずもっと長く働いてもらいたい、あるいは一時帰国した研修生に戻ってくるための門戸を開いて欲しい、と。稚内で働く研修生はほとんどが山東省出身の女性で、年齢も19歳から23、24歳と若いため、仕事の飲み込みも早いそうだ。また、中陳社長は、決して、「安い労働力だから」研修生を受け入れているわけではない、待遇面ではきちんと手当てしている(最低賃金は守っている)という点を力説されていた。 また、岩田課長や中陳社長からは、水産加工業は時給も高く(平均800円程度)、求人を出しているのに、日本人の若い主婦たちは「汚い」と嫌って働きたがらないという愚痴も聞かれた。もしも、研修生の研修期間が延長され、あるいは研修生が(結婚するなどして)稚内に残りたいと言った場合、市としてはどう考えるか?との質問に、岩田課長ははっきりと「稚内の人口が増えるなら大歓迎」と答えられた。人口増加の見込みだけではなく、将来的に観光業にも力を入れたい、その際、外国人労働者は力になるのでは、とも。個人的に、地方自治体で産業育成、市の活性化のため尽力される課長の熱意を感じた。 お二人のお話を伺ったところで、早速9名の研修生を受け入れている中央水産の工場を視察させてもらった。この日は、お正月用なのだろうか、あるいはお弁当用なのだろうか、イクラやタラコの付け合せ用パックを詰めていた。 中央水産では、実質上研修生の女の子たちの「お母さん役」を務めている、中陳社長の奥様、中陳陽子専務取締役にもお話を聞く機会があった。連休には近隣の行楽地へ研修生を連れて行ったり、稚内のお祭りに参加したり、お正月には皆で集まったり、日本料理を教えたり、逆に彼女たちが市民に餃子を教える機会を作ったり、あるいは、一週間に一度は彼女たちに日記を書いてもらって読んでいるというところまで、彼女たちの日本滞在に問題が生じないよう、あるいは気持ちよく働けるよう、生活面でも細かく気を配っている様子が伝わってきた。 その後、中陳社長、専務と一緒に、副港市場での海鮮料理に舌鼓を打った後、私たちは猿払へ移動。途中、宗谷岬で日本最北端の空気(!)を吸ったあと、とても立派な猿払村役場の庁舎を訪れ、森和正村長、保健福祉推進課の伊藤浩一課長、協働まちづくり推進課の荒井輝彦課長にお話を伺った。 (→後半へ続く) |