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【コラム】異文化を梃子に、都市再生に挑む:デュースブルクの試み [2009年10月05日(Mon)]
2010年開催予定の国際シンポジウムに向けて、今年も調査・調整に動き出しています。
明石純一委員(筑波大学大学院人文社会科学研究科 助教)による出張報告その1です。


異文化を梃子に、都市再生に挑む:デュースブルクの試み

 今回のEU調査では、イタリア(フィレンチェ、プラート)、ベルギー(ブリュッセル、ヘント)、フランス(パリ、ストラスブール)を巡り、最後に、ドイツのデュースブルクを訪れた。来年1月に開催予定の笹川平和財団のシンポジウムに、この町の市長をパネリストして招待するという使命もあって、緊張と不安を抱えたまま同市に到着する。

 デュースブルクは、ノルトライン=ヴェストファーレン州にある人口約50万人の都市。古くは炭鉱によって栄えたこの地域には、1960年代に日本や韓国から出稼ぎ目的で渡航してきた労働者の一部がそのまま定住したという。彼らの現在の暮らしぶりは定かではないが、こうした経験もまた、デュースブルク市の歴史に国際性を供しているのだろう。炭鉱で産業の礎を築き、鉄鋼を中心として経済成長を果たしたドイツ有数のこの工業都市は、しかし今日、その栄華の跡こそが痛々しい。実際、斜陽産業を抱えてきたデュースブルク市は、時代とともに廃れることを半ば運命づけられ、鉄鋼業の衰退とともに移民によるゲットー化が進み、治安も悪化の一途を辿ったという。そしてこの都市は現在、生き残りにかけ、移民や移民の持つ異文化の力を活用しようとしている。その中心人物が市長であるが、ご本人に会う前に、この都市の再建計画と実態を知るべく関係団体を訪れ、それぞれから話をうかがった。


鉄鋼都市として栄えたデュースブルク


 午前、ひとつめはトルコ人企業家協会(TIAD)。70の企業からなるこの団体は、13年前に設立された。この協会は、事業カウンセリング、起業家への資金援助、ビザ・滞在許可手続きの補助、人材・事務所の紹介などを行っている。現在では、地域開発と雇用を促進する目的から、一例をあげればデュースブルク市をブライダル産業の拠点とすべく、関連事業を主導している。このプロジェクトは、EUや連邦や州の基金からの出資による。その結果として、母国トルコとの経済交流の活性化や、欧州内のトルコ系移民たちへの知名度を高めることに成功したという。TIADによるこうしたデュースブルク市の売り込みの背景には、高度な教育を受けた有能なトルコ系移民がドイツ経済の将来を悲観しこの土地を離れようとする傾向に対する強い危惧がある。

 ふたつめの訪問先は、デュースブルク開発公社(EG・DU)。市の出資により、デュースブルク市内に五つの事務所を設け、地域経済の活性化に取り組んでいる。ここでの最大のトピックは、昨年この街に建設されたドイツ最大のモスク。ムスリム住民から新しいモスク建設の要望があった際、すぐさまに住民の代表らが構成する諮問委員会が設置され、ムスリム住民と非ムスリム住民の対話が始まった。その対話は、モスクの役割や機能についての数多くの討議を可能とし、結果として、ホスト社会におけるムスリム人口に対する懸念を少なからず払拭する方向で作用した。具体例をあげると、写真のミナレット(尖塔)の長さが、近くにある教会よりも3m低く作ることが、話し合いにより決まったという。その他、異なる宗教間の対話を促す目的に設けられた礼拝所に隣接する図書館には、イスラム教のみならず、キリスト教やユダヤ教を意識したデザインの丸天井が設えている。担当者によれば、計画当初からの住民の参与と意見集約により、他の州などでみられるモスク建設への批判運動が、デュースブルクではさほど顕在化しなかったという。


ドイツ最大のモスク「ポルマン・メルケズ・モスク」


 午後、ランチを取るひまもなく、本日三つの訪問先、デュースブルク市の統合担当局(Referat für Integration)に駆け込む。担当者を待つ間、机の上に用意されたクッキーにかじりつき、珈琲やミネラルウォーターで胃に流し込む調査チーム。もちろん、事前にお許しを得てのこと。様々な社会統合の試みと実態について語ってくれたなかで強く実感したのは、三分の一の人口が移民と移民に背景をもつ人が占めるこの街では、もはや彼(女)らは地域社会の「部分」などではありえないということ。移民は、統合政策や施策の対象というよりもむしろ、その主要な担い手である。朝一番でお会いしたTIADの代表は当然としても、先のEGDUの担当者、そしてこの統合担当局のチーフも、トルコ系移民であった。一連の説明のなかでは、「統合」(Integration)よりも「共生」(Zusammenleben)との言葉を好んで用いていたことが印象に残る。


デュースブルク市統合担当局


 本日最後のアポイントメントは、ちょうど一週間前の市長選で再選を果たしたアドルフ・ザウワーラント市長。移民とその異文化性を積極的に活用する都市再生により、デュースブルク市の復興を推し進めている注目の人物。日本の状況を説明していた時のこと、「日本では一部で外国人犯罪が心配されている」という調査チームのメンバーの台詞には、恰幅のよいその体躯から「ここもまったく同じだよ、はっはっは!」と豪快な笑いが飛び出し、隣に控えていたトルコ系移民の友人と阿吽の呼吸でハイタッチ。こちらの深刻な面持ちとは対照的に、愉快でたまらないといった様子。現実を正面から見据える冷徹さと、大胆な都市開発構想、そしてその着実な成果こそが、彼の再選を可能としたのだろうか。独特の親近感を覚えさせられるこの人柄が、市民からの支持を集めているのだろうか。ちなみにデュースブルク市の市長選と議会選は、日本では自民党が歴史的敗北を喫したまさにその当日のことであった。この種の偶然にも感慨を抱きながら、来日に乗り気な市長の態度に一安心しつつ、大急ぎで空港に送っていただき、EU調査の全スケジュールを終えた。市長が打ち出す異文化を「梃子」とする都市再生の挑戦については、2010年1月のシンポジウムにてご本人の口から、乞うご期待!

 なお今回の調査では、ドイツにおけるトルコ系移民の専門家で、トルコ語の通訳とともに、充実としか形容できない本デュースブルク調査をコーディネートしてくれた石川真作さん(第三分科会委員)、そしてドイツ語通訳の渡辺さん(隣町のデュッセルドルフ在住)に、本当に世話になりました。過密すぎるスケジュールも、お二人のおかげで円滑に進みました。また今回のインタビュー調査に応じて頂いた方を含め、ラマダーン中にもかかわらず、トルコ系ムスリム移民の方からは大変な歓待を受けました。ここに改めてみなさまに謝意を申し上げます。
(明石 純一)
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