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『外国出張のお知らせ』 [2013年02月03日(Sun)]
           『外国出張のお知らせ』
 2月7日から2月17日までエジプトとトルコに出かけます。
エジプトはいま大混乱、毎日のようにデモが起こっています。
トルコでもつい最近、アメリカ大使館のそばで爆弾テロがありました。
それだけにいろいろ調べたいことがあるので、いまから種々検討しています。
帰国後に興味深いご報告が出来る事がいまから楽しみです。
Posted by 佐々木 良昭 at 23:02 | この記事のURL
NO・2458『カイロ・デモ参加者を裸にして殴打・反響は大きい』 [2013年02月03日(Sun)]
 2月1日はデモが起こる確率の高い金曜日だった。事前に反政府派が宣言していた通り、金曜日のデモは多数が参加し、激しいものとなった。
 政府はデモ対策を徹底して強行する、という姿勢を打ち出していたが、それが裏目に出たのかもしれない。治安警察が相当過激な対応をしたようだ。そのことは多数の負傷者が出たということであり、数は少ないものの、死者が出たことも報告されている。
 今回のデモで最も衆目を集めるところとなったのは、デモ参加者の男性が治安警察によって、殴打されるだけではなく、素っ裸にされて暴力を受けたことであろう。何処の国でもそうだが、大の大人が裸にされ暴力を振るわれる、という事態は尋常ではない。
 その光景がカメラで写され、テレビで放映されたのだ。その映像がエジプト国民や、世界の人たちに与えたショックは、大きかったようだ。エジプトの内務大臣は、国民が望むならば辞任すると語り、国営銀行総裁が辞任を口にしたのは、そのこともあってなのかもしれない。
 モルシー大統領を始めとする、ムスリム同胞団の政権は、事態を重く見たのであろう。カンデール首相も早急に謝罪を行っているが、謝罪だけではすまないのではないか。大の男が裸にされ背中を丸めて、治安警察の暴力に耐えている姿は、悲惨と残虐を通り越している。
 ちょっとしたミスが大事を生み出し、それがたちまちにして多くの人の知るところとなり、結果的には大衆の怒りを燃え上がらせるのが、昨今の社会情勢だ。チュニジアの一青年の焼身自殺が、ベン・アリ体制を打倒することに結びついたのと同様に、今回の事件はデモの映像の一コマ、を通り越しているのではないか。
 アメリカはエジプトがムスリム同胞団によって、統治されることについて訓練期間を認めていた、という話があるが、今回のようなことが繰り返されるのでは、そうも行かなくなるのではないか。ムスリム同胞団は国民と世界を、敵に回すことになるのではないか。
Posted by 佐々木 良昭 at 13:36 | この記事のURL
NO・2457『イランVSサウジ戦争舞台はバハレーンとイエメン』 [2013年02月03日(Sun)]

 湾岸の覇権争いとでも言うのであろうか。大分前から、サウジアラビアとイランとの関係は、シックリ行っていない。イランからすればサウジアラビアの王家は、堕落しきった輩であり、到底受け入れるわけには行かないだろうし、サウジアラビアからすればシーア派という、イスラム・モドキの、イラン革命体制は、受け入れられないということであろう。
 イスラムの厳格なワハビー主義者から見れば、イランのシーア派イスラムはイスラムではない、という認識のようだ。シーア派のメッカ巡礼を認めてはいるものの、ハッジのときですら物議をかもす、イランのシーア派はサウジアラビアにとって、不愉快極まりない体制であろう。その体制はパーレビ王家を、打倒してもいるのだ。
 こうしたことから、サウジアラビアはイランに対し、イランはサウジアラビアに対し、直接間接敵対行為を繰り返してきている。現在イエメンではサウジアラビアが支援する体制派と、それに対抗する反対派のアルホウシ部族が戦っているが、イランは反体制派のイエメンに組織に対し、対空ミサイルを含む武器を大量に供与している。
 先日もその密輸船が拿捕されたが、また密輸が行われたようだ。それらの武器はイエメンの反体制派だけではなく、サウジアラビアの反体制派にも、流れているのであろう。そうなるとサウジアラビアは、放置しておくわけには行かなくなる。
 サウジアラビアとイランとの対立は、バハレーンでも見え隠れしている。述べるまでも無く、現在バハレーンの体制に反対しているのは、多数派のシーア派国民である事から、サウジアラビアもバハレーンも、イランの介入を警戒してきていた。
 最近そうしたことからか、バハレーン政府はイランに敵対知るMKO(ムジャーヒデーン・ハルク)に対する支援を始め、近い将来、彼らを国内に受け入れシーア派対策に、導入しようと考えているようだ。
 MKOはイランの反体制運動の一組織であり、イラクがサダム・フセイン大統領の時代の1998年に、イラクに拠点を移して、イランに対するゲリラ闘争を継続していた組織だ。当初はイランの国境に近い、アシュラフに基地をおいていたが、最近では米軍が駐留していたキャンプ・リバテイに移ったようだ。
 バハレーン政府がサウジアラビアに対し、デモ鎮圧に派兵依頼しただけではなく、MKOを受け入れたということは、イランに対するあからさまな敵意を示すものであろう。それが吉と出るか凶と出るかはまだ分からない。イエメンもバハレーンも、サウジアラビアの意向で動いていることだけは確かだ。
Posted by 佐々木 良昭 at 13:07 | この記事のURL
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