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NO・2176「3つのアラブ王国で不安拡大?」 [2011年12月24日(Sat)]

 『アラブの春』の影響であろうか、3つのアラブ王制諸国で、不安な状況が発生している。それが今後拡大していくのか、政府が賢明な対応をすることで、拡大を避けられるのか不明だ。
 第一の国は、世界最大の石油埋蔵量を持つサウジアラビアだ。この国でも金曜礼拝の後、モスクに留まる形の政府に抗議する行動が、全国的に始まっている。これはなかなか取締りが困難であろう。
それは、ムスリムがモスクに留まることは、なんら問題が無い行動だからだ。しかし、政治的な意図を持って留まられた場合は、話は違ってくる。現段階では警察や軍人が、モスクを遠巻きにして監視するに、留まっているようだ。
サウジアラビアではシーア派が集中する、アルカテイーフ地域で以前から政府に抗議するデモが起こっていたし、都市部ではインテリによるデモが行われ、女性による運転許可要求の、実力行使も起こっていた。
次いで、ヨルダンでも政府に対する抗議デモが、次第に拡大している。しかも、最近では全国規模に、抗議デモが拡大しているようだ。マフラク市ではバニー・ハサン部族が警察と衝突し、双方に負傷者が多数出たということだ。このバニー・ハサン部族はヨルダン国内で、最大の部族の一つであり、その部族が動き出したということは、要注意ということであろう。
ヨルダンのデモの一般的要求は、首相の国民による直接投票による選出の実現と、経済改革のようだ。そのことは、間接的にアブドッラー二世国王の、権限縮小を要求しているということであろう。
最後はクウエイトだ。クウエイトでは以前から何度も問題化した、ビドーンに対する処遇問題が、今後拡大して行きそうだ。ビドーンとは国籍を与えられないままに、クウエイトに50年以上も、居住している人たちのことだ。
ビドーンとは無国籍者を意味する、アラビア語の呼称だ。彼らはクウエイトに105000人居住しているが、そのうちの34000人に対しては、国籍を与えられる方向で、クウエイト政府が検討を始めている。
しかし、残りの71000人については、元々何処の国の出身者なのかが、証明されることが条件とされている。しかも、それが証明されたから国籍が与えられる、ということではなさそうだ。
クウエイト政府の説明によれば、ビドーンは周辺諸国から移住してきた人たちであり、国籍を付与する必要が無い、ということのようだ。クウエイト政府は彼らに対し、出生証明も死亡証明書も出していないし、もちろんクウエイト国籍のパスポートも支給していない。ビドーンの給与はクウエイト国民に比べ、大幅に安いし、クウエイト国民が享受している、各種の特典も与えられていないのだ。
最近では、このビドーンの権利要求行動に対し、人権委員会や活動家が参加し始めている。去る金曜日には、ジャフラ市の金曜礼拝の後、抗議デモが断行された。
サウジアラビアにしろ、ヨルダンにしろ、クウエイトにしろ、反政府行動の原因は異なるとしても、今後、拡大していく可能性は否定できない。政府は早急に対応策を、講ずるべきであろう。他の国の例を見ると、政府に対する要求デモが拒否された結果、抗議行動は激しさを増し、最終的には国家元首の追放や、処刑が叫ばれるようになっている。その現実を無視するべきでは無い、ということだ。
Posted by 佐々木 良昭 at 22:51 | この記事のURL
NO・2175「シリアの爆弾テロは末期症状の現れか」 [2011年12月24日(Sat)]
 シリアの首都ダマスカス市にある、治安本部の事務所を狙った、爆弾テロが起こった。その爆弾テロにより、50人以上の人たちが死亡している。シリア人の性格から考えると、これは末期症状と言わざるを得ないのではないか。
 シリア人はアラブ世界にあって極めて謙虚であり、穏健であり、賢い人種と評されてきている。シリアは過去にイスラエルと起こった戦争でも、勝ち目が無いと分ると、何の躊躇も無く停戦に踏み切ってきている。
そのことを『シリア人は臆病だ』と評するアラブ人もいるが、それは臆病なのではなく、現実的な思考と判断がシリア人には出来る、ということであろう。
そうしたシリア人の性質からか、アサド体制は故ハーフェズ・アサド大統領の時代から数えると、既に40年にも及んでいる。それは流血の事態を起こすことが、結果的には国家としても個人としても、得る部分よりも失う部分の方が多い、と判断していたからではないか。
今回シリアで始まった、アラブの春革命に連動する動きは、これまでのシリア人の優れた特徴を、拭い去り始めているのではないか。反体制運動が長期化し、国民の間に多数の死傷者が出ているが、軍や警察のなかからも、相当数の犠牲者が出ている。
アラブ連盟が調査団を送ろうとした矢先には、100人以上とも言われる犠牲が国民の間から出ているし、それに続いて、今回の爆弾テロが起こっているのだ。あまりにも酷い状況が、堅実な考え方をするシリア人の感覚を、破壊したのかも知れない。
アラブ紙が書いていたが『もう死を恐れる国民は、シリアにはいなくなった』ということは事実かもしれない。もちろん、シリア人も人間である以上、死を恐れないはずは無い。しかしその恐れの度合いが、相当低下してきている、ということであろう。
シリア政府は今回の爆破犯を、アルカーイダに結び付けようとしているが、それは断定できないのではないか。アルカーイダによる単独犯はありえないのだから、シリア人の協力があった、あるいはシリア人とアルカーイダとの間には、協力体制が既に出来ているのかもしれない。
私はこうした類の犯行を簡単に、アルカーイダの責任にしてしまうのは嫌いだが、シリア国民が限界点に達したからこそ、アルカーイダ的な犯行が、起こるのではないのか。
アルカーイダはあくまでも、極端な犯行を説明する上での、便利なトレードマークかもしれない。外国からの介入、アルカーイダの犯行、アルカーイダはCIAが創った、という単純な論理の展開で片付けられるほど、事態は簡単ではないだろう。
そもそも、こうした事態にシリアが到った原因は何かを、真剣に考えるべき時期が、既に到達しているのだから。
Posted by 佐々木 良昭 at 13:34 | この記事のURL
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