「いつかは剱岳へ登りたい。」 理事 田川裕則
登山を始めた頃から抱き続けてきた夢でした。標高2,999メートル。日本百名山の中でも「一般登山道最難関」と称されるその山は、私にとって憧れであると同時に、畏敬の念を抱かせる特別な存在でした。険しい岩峰の写真を見るたびに、「本当に自分があそこへ立てる日が来るのだろうか」と思っていました。
室堂から剱沢へ向かう道を歩き始めると、立山連峰の雄大な景色が迎えてくれました。しかし、遠くに姿を現した剱岳は、その美しさ以上に圧倒的な迫力を放っていました。鋭く天を突く岩峰はまさに「岩の殿堂」。近づくほどに存在感を増し、期待が膨らむ一方で、不安も大きくなっていきました。
剱沢で一夜を過ごし、翌朝はまだ星が輝く午前4時前に出発しました。ヘッドランプの灯りだけを頼りに歩く静かな登山道。冷たい空気が頬を刺し、足音だけが闇に響きます。東の空が少しずつ明るくなるにつれ、目の前には荒々しい岩壁が浮かび上がり、「いよいよ剱岳が始まる」と気持ちが引き締まりました。
前剱を越えると、本格的な岩場が続きます。一歩進むたびに手足を慎重に置き、三点支持を意識しながら岩をよじ登ります。足元を見れば切れ落ちた谷。振り返れば、歩いてきた道がはるか下に見えます。高度感に足がすくみそうになる場面もありましたが、「焦らず、確実に」と自分に言い聞かせながら、一歩ずつ前へ進みました。
そして、最大の難所である「カニのタテバイ」。ほぼ垂直に近い岩壁を鎖と岩のくぼみを頼りに登っていきます。心臓の鼓動は速くなり、手のひらには汗がにじみます。それでも、一つひとつ岩を越えるたびに「自分にも登れる」という自信が少しずつ生まれ、恐怖は次第に達成感へと変わっていきました。
最後の岩を越えた瞬間、ついに剱岳山頂へ。残念ながら霧の世界です。
山頂に立ちながら、ふとこれまで歩いてきた登山の道のりを思い返しました。体力づくりを重ね、さまざまな山で経験を積み、この日を目標に努力してきた時間。その積み重ねがあったからこそ、この景色に出会えたのだと思うと、胸が熱くなりました。山頂で吹く冷たい風さえも、心地よく感じられました。
下山は「カニのヨコバイ」を慎重に通過します。横向きに岩壁を進む緊張感は、登りとはまた違う怖さがあります。登山は山頂に立つことが目的ではなく、無事に下山してこそ本当の達成です。最後まで気を緩めず、一歩一歩慎重に歩き続けました。
剱岳は、確かに厳しい山でした。しかし、その厳しさがあったからこそ、山頂で味わった喜びはこれまで登ったどの山よりも大きなものでした。自然の雄大さと厳しさ、人間の小ささ、そして挑戦することの素晴らしさを改めて教えてくれた一日でした。
下山後に振り返る剱岳は、朝と変わらぬ堂々たる姿で空高くそびえていました。その姿を見上げながら、「また必ずこの山に帰ってきたい」と心から思いました。憧れだった剱岳は、登頂を果たした今、私にとって忘れることのできない特別な一座となりました。