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2026年08月09日

剱岳 登山体験記 〜憧れの岩峰に立った日〜

剱岳 登山体験記 〜憧れの岩峰に立った日〜
   「いつかは剱岳へ登りたい。」     理事 田川裕則

 登山を始めた頃から抱き続けてきた夢でした。標高2,999メートル。日本百名山の中でも「一般登山道最難関」と称されるその山は、私にとって憧れであると同時に、畏敬の念を抱かせる特別な存在でした。険しい岩峰の写真を見るたびに、「本当に自分があそこへ立てる日が来るのだろうか」と思っていました。

 室堂から剱沢へ向かう道を歩き始めると、立山連峰の雄大な景色が迎えてくれました。しかし、遠くに姿を現した剱岳は、その美しさ以上に圧倒的な迫力を放っていました。鋭く天を突く岩峰はまさに「岩の殿堂」。近づくほどに存在感を増し、期待が膨らむ一方で、不安も大きくなっていきました。

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 剱沢で一夜を過ごし、翌朝はまだ星が輝く午前4時前に出発しました。ヘッドランプの灯りだけを頼りに歩く静かな登山道。冷たい空気が頬を刺し、足音だけが闇に響きます。東の空が少しずつ明るくなるにつれ、目の前には荒々しい岩壁が浮かび上がり、「いよいよ剱岳が始まる」と気持ちが引き締まりました。

 前剱を越えると、本格的な岩場が続きます。一歩進むたびに手足を慎重に置き、三点支持を意識しながら岩をよじ登ります。足元を見れば切れ落ちた谷。振り返れば、歩いてきた道がはるか下に見えます。高度感に足がすくみそうになる場面もありましたが、「焦らず、確実に」と自分に言い聞かせながら、一歩ずつ前へ進みました。

 そして、最大の難所である「カニのタテバイ」。ほぼ垂直に近い岩壁を鎖と岩のくぼみを頼りに登っていきます。心臓の鼓動は速くなり、手のひらには汗がにじみます。それでも、一つひとつ岩を越えるたびに「自分にも登れる」という自信が少しずつ生まれ、恐怖は次第に達成感へと変わっていきました。

 最後の岩を越えた瞬間、ついに剱岳山頂へ。残念ながら霧の世界です。

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 山頂に立ちながら、ふとこれまで歩いてきた登山の道のりを思い返しました。体力づくりを重ね、さまざまな山で経験を積み、この日を目標に努力してきた時間。その積み重ねがあったからこそ、この景色に出会えたのだと思うと、胸が熱くなりました。山頂で吹く冷たい風さえも、心地よく感じられました。

 下山は「カニのヨコバイ」を慎重に通過します。横向きに岩壁を進む緊張感は、登りとはまた違う怖さがあります。登山は山頂に立つことが目的ではなく、無事に下山してこそ本当の達成です。最後まで気を緩めず、一歩一歩慎重に歩き続けました。

 剱岳は、確かに厳しい山でした。しかし、その厳しさがあったからこそ、山頂で味わった喜びはこれまで登ったどの山よりも大きなものでした。自然の雄大さと厳しさ、人間の小ささ、そして挑戦することの素晴らしさを改めて教えてくれた一日でした。

 下山後に振り返る剱岳は、朝と変わらぬ堂々たる姿で空高くそびえていました。その姿を見上げながら、「また必ずこの山に帰ってきたい」と心から思いました。憧れだった剱岳は、登頂を果たした今、私にとって忘れることのできない特別な一座となりました。
posted by 田川 at 09:48| 活動報告

大分県国東半島・両子寺について

大分県国東半島・両子寺について
                       理事 田川裕則
 8月のフォーラム委員会は、メルマガの発行日以降になりますので、昨年お伺いした
両子寺について記載します。

 両子寺(ふたごじ)は、大分県国東市安岐町、国東半島のほぼ中央にそびえる両子山(標高約721メートル)の中腹に位置する天台宗の古刹です。正式名称は「足曳山(あしびきさん)総持院両子寺」といい、養老2年(718年)に仁聞菩薩(にんもんぼさつ)が開いたと伝えられています。約1300年の歴史を誇り、国東半島に独自に発展した山岳仏教文化「六郷満山(ろくごうまんざん)」の中心寺院として栄えてきました。

 六郷満山は、宇佐神宮の神仏習合思想と天台仏教、さらに山岳信仰が融合して形成された、日本でも非常に特色ある宗教文化です。その中で両子寺は総持院として多くの寺院を統括し、修行僧たちが厳しい山岳修行を積む重要な霊場でした。現在もその歴史と伝統が受け継がれ、多くの参拝者や巡礼者が訪れています。

 境内へ続く石段の入口には、国東半島最大級といわれる堂々とした石造仁王像が参拝者を迎えます。その力強い姿は、寺の歴史と格式を象徴する存在であり、多くの人々が足を止めて見上げる名所となっています。石段を登ると護摩堂や大講堂、本堂が点在し、静寂に包まれた境内では厳かな雰囲気を感じることができます。本尊は不動明王で、奥之院には千手観音や両子大権現などが祀られています。

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 両子寺は「子授けの寺」としても広く知られています。古くから子宝や安産、家内安全を願う人々が全国から訪れ、現在でも多くの参拝者が祈願に訪れています。また、不老長寿や厄除けのご利益がある寺としても信仰を集め、毎月28日には護摩祈願が行われています。

 自然豊かな境内も両子寺の大きな魅力です。境内一帯は「森林浴の森日本100選」に選ばれており、春には鮮やかな新緑、夏には深い緑陰、秋には県内屈指の紅葉の名所として多くの観光客で賑わいます。特に紅葉の時期には、朱色や黄金色に染まった木々が歴史ある堂宇を彩り、幻想的な景観を楽しむことができます。冬には雪景色の中に静かにたたずむ寺院が、また違った趣を見せてくれます。

 境内には鎌倉時代に造られた石造国東塔をはじめ、阿弥陀如来坐像や鬼面など数多くの文化財が残されており、大分県指定文化財や史跡として保護されています。これらは国東半島独自の仏教文化や中世の信仰を知る上で貴重な資料となっています。

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 現在の両子寺は、歴史ある寺院としてだけでなく、国東半島観光の代表的な名所としても高い人気を誇ります。大分空港から車で約30分とアクセスも良く、近年は六郷満山の歴史を学びながら自然を満喫できる「仏の里・国東」を代表するスポットとして注目されています。深い森に囲まれた静かな境内を歩くと、1300年もの間受け継がれてきた祈りと信仰、そして山岳文化の息吹を今なお肌で感じることができるでしょう。両子寺は、歴史・文化・自然が調和した、国東半島を代表する名刹です。
posted by 田川 at 09:42| フォーラム委員会より

味覚を取り入れる→里山で食べる工夫

【役員コラム】味覚を取り入れる→里山で食べる工夫
                          理事 鈴木友よ

 森林セルフケアのプログラムとして取り入れにくいもの・・そう、味覚。
食べるという行為は、フィールドにもよりますが、結構ハードルが高いですよね。
私の場合は、野草茶を味わう、などで取り入れるくらいにとどまっています。

 少し前ですが、野草を味わう会に参加しました。
野草博士のような野草愛溢れる講師の方に誘われて、見慣れた場所の足元に生えている、一般には「雑草」と総称される野草たちが、まるで宝の山のようにキラキラと変身し、皆夢中で味見をしたり、収穫したりと夢中になりました。
 収穫した野草はもれなくランチやデザートやお茶の材料として生まれ変わり、盛り付けも可愛くておしゃれ、多彩なメニューのランチを皆で美味しく味わいました。
その中で芽生えた、「野草への愛」を共有できた素敵な会でした!

 余談ですが、野草の食べ方を知っておくことは、もしかして食べるものに困るときがきても少し心強いのでは?と思ったりします。
日本で古来より息づく民間の知恵、私達が少しでも後世に伝えていきたいですね。

 話を戻して。勿論、味覚を味わう機会を作るのは、相当詳しい方のリードが必要ですし、フィールドも限られます。
 それでも、そのハードルを越えられたら、森林セルフケアとの組み合わせを試みることができるのかも!
 もしそのフィールドにクロモジの木があったら最高です・・
実現したらご報告させていただきますね。
posted by 田川 at 09:36| 役員コラム

伝統文化の森も里地里山も「戸隠」で味わう

おすすめの森林セルフケアフィールド
      伝統文化の森も里地里山も「戸隠」で味わう
                               理事 原田純子

 今までに会報誌やメルマガで何度も書いてはご紹介してきた「戸隠」だが、だれが何と言おうとも戸隠推しなので、今回もやはり「戸隠」を森林セルフケアのおすすめフィールドとして書かせて頂く。

 そもそも信州に移住した理由が「森に住みたい」という単純な理由が根底にあること、そしてなぜ信州なのかということも何度も書いてきた。信州は我が両親が愛した地であり、彼らの定年後には移住するはずの地であった。残念ながら思いを果たせぬまま逝ってしまった両親の思いも、現在住まいにしているこの家屋も、全て引き継いで「我が家遺産」なのだ。定年を迎えて自由な身分となった私が彼らの夢を叶えるべく移住したと言うことにして格好をつけて関東圏から転居してきて、早くも12年目を迎えている。

 我が家は黒姫山の麓、信濃町にあり、家から歩いて行ける黒姫の森は(そもそも家が森の中だし)毎日の散歩で行ける「My森」であり、日々のセルフケアには欠かせない森となっている。それに対して只今絶賛推し活中の「戸隠」は車で小一時間ほどかかるので毎日は行かれない。しかし、その距離を隔てなければ行かれないと言う点も、森林セルフケアフィールドの欠かせない要素だと考えている。言わば非日常の世界であるからだ。家を出る時から、「戸隠」へ向かう道中はワクワクして、既に非日常の世界に気持ちが飛んでいることが自分でも判って笑ってしまう。

 その「戸隠」の中でも、今までに何回か協会の森林セルフケア体験会を「戸隠森林植物園」で開催してきた。今年も企画はしたものの残念ながら申し込みがなく開催を見合わせたが、下見を兼ねて何回か足を運ぶうちに、植物園以外でも森林セルフケアフィールドになりそうな場所にいくつも出会ったので、次回は新しいフィールドでの体験会開催も企画したいと密かに策を練っている。今まで紹介してきた「戸隠」も奥が深いと思っているが、森林植物園では森の植物の植生やそこに住む生き物たちに、神社仏閣ではその歴史、伝統、文化に興味が湧いてくる。どちらも知れば知るほど、行けば行くほど、なのである。ちょうど来年は戸隠神社の6年(数えで7年)に一度の式年遷宮の年に当たり、4月〜5月に掛けては「杜の弥栄(もりのいやさか)」という言葉を掲げて、その関連の伝統行事が相次いで行われるという。「杜の弥栄」とは、戸隠信仰の発祥の地である奥社をはじめとした水を育む神域の杜を、祈りとともに未来へと繋ぎ豊かに栄え行くことを願う言葉だそうで、水は命の源であるとしていることから、杜=森も命も永遠の未来へ繋ぎ栄えさせようという思いが伝わってくる。来年の戸隠の式年遷宮は、4月25日の式年大祭執行奉告祭(中社月並祭)に始まり、5月25日の式年大祭終了奉告祭まで、ほぼ一日おきと言って良いほど既に詳細な日程が出されている。1つでも多くの行事をこの目で見ておきたいと願っているが、何回足を運べるのか楽しみでもある。

 さて式年遷宮とは別に、今頃になって「戸隠古道」にも興味が湧いてきている。言わずもがなの中社や奥社を回ったり、植物園を散策することはバスで来る観光客でもできるのだが、戸隠には神社が五社もあるので古くからの神社巡りの道がある訳で、それを戸隠古道と言うのだ。戸隠観光協会が毎年開催している「戸隠古道大ウォーク」というイベントは2日の行程で、なんとスタートは長野市の善光寺!牛に引かれていくあの善光寺なのだ。今年も開催されるようなので興味がおありの方は戸隠観光協会のHpで確認されたい。今までにその古道の一部は何度も歩いていたが、最近はあの道を歩くとここに出るのか…などそれぞれが繋がってくる面白さもあって、今年のグリーンシーズンもできるだけ古道を歩いてみたいと考えている。中社や奥社など古道のスポット各所に、悪目立ちしない程度の新しい石柱が立てられているのだが、その石柱にはスポットに相応しいマークが刻まれていて、そのマークの拓本を収集するスタンプラリーのような楽しみが設けられている。さらに戸隠観光協会は上手にお誘いの企画を投げてきて、案内所ではそのための拓本帳も販売されているという用意周到さ。それでも楽しく歩くための小道具としてもなかなかよく考えられた仕掛けだと思うので、まんまとその企みに乗せられて拓本帳をコンプリートすることを目標に古道をくまなく歩いてみようと思っている。

 最後に「戸隠」の里地里山についても一言記しておきたい。協会の森林セルフケアのフィールドとして@都市公園A伝統文化の森B里地里山という三本柱を掲げていることはご承知の通りと思うが、ここまで伝統文化の森で推してきた「戸隠」で里地里山と言われてもピンとこないことと思う。しかし地図を広げてみれば一目瞭然。古道で巡る神社仏閣のある地区は「戸隠」のごく一部に過ぎず、広くは戸隠山の麓と捉えられる里地里山なのだ。中社から火の御子社、宝光社方面へずっと下って鬼無里方面へ向かうと、鬼女紅葉の伝説がある地域へ行かれるのだが、その付近は正に日本の田園風景の見本ともいえる里地里山が広がっている。山奥なのに太古の化石から貝殻などが多数出土され、展示されている戸隠地質化石博物館なども訪ねることができる。地名も「柵(しがらみ)」と読むその付近は、まだまだ興味をそそる歴史を抱えていそうなフィールドになる。この地域は我が家からは2つ山を越えることになるので、ますます非日常の世界に浸かることができそうと期待しているのだが、「戸隠」だけでさえ奥が深いのに、さらにその先には…なかなか見通しも立たないでいる。あまり期待せずに続報を待たれたし。