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2026年06月15日

世田谷に残る里地里山の風景

世田谷に残る里地里山の風景 〜成城・国分寺崖線を歩く〜
                  森林セルフケアコーディネーター 小川純子

 東京都世田谷区と聞くと、住宅地や商店街が広がる都市のイメージを持たれる方も多いかもしれません。
 しかし世田谷には、今もなお豊かな自然が息づく里地里山の風景が残されています。
 その代表的な場所のひとつが、成城周辺を通る国分寺崖線です。
国分寺崖線は、立川市から大田区まで約25kmにわたって続く地形で、多摩川が長い年月をかけてつくり出しました。世田谷区内では成城周辺にその姿をよく見ることができ、崖線から湧き出す水は野川へと注いでいます。
 雑木林に囲まれた湧水地では、水の流れる音や鳥たちの声が響き、都内にいることを忘れてしまうような静かな時間が流れています。
 成城みつ池緑地や成城三丁目緑地には、武蔵野の面影を残す森が広がり、四季折々の自然を感じることができます。
 国分寺崖線の魅力は、森だけではありません。
 高低差のある地形、そこから湧き出す水、人々の暮らしの歴史が重なり合い、歩くたびに新しい発見があります。
 普段は住宅街として見過ごしてしまう世田谷のまちの中にも、このような豊かな自然環境が残されていることに驚かされます。
 成城の国分寺崖線は、都市と自然、人の暮らしが共存する、世田谷らしい里地里山の風景を今に伝えてくれています。

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【豆知識】
 成城周辺を歩いていると、「国分寺崖線」という言葉のほかに、「ハケ」という呼び方を耳にすることがあります。
 実は、同じ地形を指していても、学術的な呼び名と地域で受け継がれてきた呼び名があるのです。
 国分寺崖線は、地形学では「崖線(がいせん)」と呼ばれます。これは台地と低地の境目にできた連続した崖を意味します。
 一方、「ハケ」は武蔵野地域に古くから伝わる呼び名で、人々が暮らしの中で使ってきた言葉です。
 また、「へり」は大地の端や縁(ふち)を表す一般的な表現で、崖線をわかりやすく説明するときに使われます。
つまり、
・崖線=地形学的な名称
・ハケ=地域に伝わる暮らしの言葉
・へり=わかりやすく説明するための表現
という違いがあります。
 成城の国分寺崖線は、単なる地形ではなく、人々の暮らしや文化の中にも息づいている風景なのです。
posted by 田川 at 10:59| 身近な森のご紹介

鳥取大山の山開き行事「火祭り」に参加してきました

鳥取大山の山開き行事「火祭り」に参加してきました
                          理事 田川裕則

 6月7日(土)、鳥取県の名峰である大山で開催された大山火祭りに参加しました。古くから続く伝統行事に実際に参加することができ、大変貴重な体験となりました。

 当日は多くの参拝者や観光客が集まり、山麓には祭り独特の厳かな雰囲気が漂っていました。日が暮れるにつれて期待感が高まり、やがて松明に火が灯されると、周囲は幻想的な光に包まれました。燃え上がる炎は力強く、美しく、まるで神聖な世界に足を踏み入れたような気持ちになりました。

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 火祭りは、山の安全や五穀豊穣、人々の健康を祈願する伝統行事として受け継がれてきたそうです。参加者が松明行列に加わり、ゆっくりと歩く姿からは、地域の人々が大切に守り続けてきた歴史と文化を感じることができました。私もその一員として歩きながら、日頃の感謝の気持ちや家族の健康、登山の安全を静かに祈りました。

 参加者は2000人もおり、特に印象に残ったのは、暗闇の中で揺れる無数の炎の光景です。炎の温かさと人々の祈りが一つになり、心が洗われるような感覚を覚えました。また、地域の方々の温かいおもてなしにも触れ、大山が多くの人に愛されている理由を実感しました。

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 今回の火祭りへの参加を通して、日本の伝統文化の素晴らしさと、人と自然との深い結びつきを改めて感じることができました。これからも大山を訪れ、四季折々の自然や歴史、文化に親しみたいと思います。
posted by 田川 at 10:49| 活動報告

2026年06月13日

熊野古道中辺路を歩いてきました

トピックス:熊野古道中辺路を歩いてきました
                        理事:田川裕則

 先日、かねてから念願であった熊野古道中辺路を歩いてまいりました。熊野古道は、古来より多くの人々が信仰の心を抱いて歩いた巡礼の道であり、その中でも中辺路は京都や大阪などから熊野三山へ向かう主要な参詣道として栄えてきた歴史あるルートです。

 実際に歩いてみると、豊かな自然と長い歴史が見事に調和した素晴らしい道であることを実感しました。深い杉林の中を進む石畳の道、木漏れ日が差し込む山道、時折聞こえる鳥のさえずりや川のせせらぎは、都会では味わうことのできない静けさと安らぎを与えてくれました。歩を進めるたびに、何百年もの昔から多くの人々が同じ道を歩いてきたことを思い、その歴史の重みを感じました。

 道中では、急な登りや長い下りもあり、決して楽な行程ではありませんでした。しかし、一歩一歩を積み重ねながら歩くことで、自分自身と向き合う貴重な時間を持つことができました。日頃の生活では時間に追われることが多いものですが、熊野古道では目の前の道に集中し、自然の中でゆっくりと流れる時間を味わうことができました。疲れを感じながらも峠を越えたときの達成感は格別で、歩くことの喜びを改めて感じました。

 特に印象的だったのは、道中で出会った方々との交流です。国内外から訪れた多くの巡礼者やハイカーと挨拶を交わし、励まし合いながら歩いたことは忘れられない思い出となりました。言葉が十分に通じなくても、同じ道を歩く仲間として自然に笑顔が生まれ、人と人とのつながりの温かさを感じました。スペインの巡礼の道とタイアップしており(サンティアゴ・デ・コンポステーラは、聖ヤコブ(サンティアゴ)の遺骸があるとされ、ローマやエルサレムと並ぶキリスト教の三大巡礼地です)スペイン人も多く歩いていました。

 また、熊野本宮大社へと近づくにつれ、長い道のりを歩いてきた達成感とともに、どこか厳かな気持ちになりました。古くから人々がこの地を目指して歩き続けた理由が少し理解できたような気がします。自然への畏敬の念や感謝の気持ち、人々の祈りが積み重なった特別な場所であることを肌で感じました。

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(写真)嵐の松本潤さんが熊野古道で写真集用にに撮った場所

 今回の熊野古道中辺路の旅は、単なるハイキングではなく、自然、歴史、文化、そして自分自身と向き合う貴重な体験となりました。歩き終えた今も、あの静かな森の空気や石畳を踏みしめる感覚が心に残っています。この経験を大切にしながら、これからも健康に感謝し、一日一日を大切に過ごしていきたいと思います。

 熊野古道中辺路を歩けたことは、私にとって人生の大きな財産となりました。機会があれば再び訪れ、今度は季節を変えて熊野の魅力を味わってみたいと思います。
posted by 田川 at 14:38| 活動報告

フォーラム委員会だより 森林セルフケアフォーラム2026

フォーラム委員会だより 森林セルフケアフォーラム2026
宇佐神宮・国東半島の伝統文化の森で森林セルフケア
                             理事長 太田博幸

 2026年10月25日(日)開催「森林セルフケアフォーラム2026 in 宇佐神宮・国東半島の
伝統文化の森で森林セルフケア」は、九州大分県の宇佐神宮・両子寺・はやしファーム等で実施します。
オンライン受講も可能なハイブリット開催となります。

 2026年3月5日にフォーラム委員会が立ち上がり、毎月ZOOMで首都圏、信州、中部、関西、九州のフォーラム委員メンバーがオンライン会議を開催し、10月25日のフォーラム実施に向けて準備をすすめています。

 宇佐神宮は、全国4万社「八幡さま」の最高峰、「神仏習合」の文化が始まった地、境内を彩るパワースポットが魅力の1300年以上の歴史を誇る日本屈指の聖地です。

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 国東半島の中央に位置する両子寺(ふたごじ)は山岳信仰と仏教が融合した独自の文化「六郷満山(ろくごうまんざん)」の総持院として栄えた古刹です。
*六郷満山とは国東半島一帯に広がる天台宗の寺院群とその地域に根づいた独特の宗教文化の総称です。

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 1300年以上の歴史を誇り、古くから神仏が融合する「神仏習合」の聖地での森林セルフケアは、心身の調和をもたらす特別な魅力があります。

 是非とも、みなさまのご参加を心からお待ちしています。
よろしくお願いします。
posted by 田川 at 14:24| フォーラム委員会より

繋ぐということ―後期高齢者雑感

理事コラム   「繋ぐということ―後期高齢者雑感」  
理事 原田純子

 昨年のフォーラムが終了した直後の10月30日から今年の3月31日まで、何とこの歳で地元の小中学校(小中一貫校)の養護教諭を拝命した。全く人生は何があるかわからないものだ。産休代替えの養護教諭、それも半年間限定…。なんとも中途半端な立ち位置だ。でも他に頼める人がいないのだと。

 東京で定年を迎えた私が長野に移住して数年経ったころ、地元の学校の保健室を手伝ってくれる人材を探しているので、資格を持っているのなら手を貸してほしいと打診を受けた。近くに住む支援員の先生からだったが、話を聞けばなんでも週に1日、1時間だけ保健室を手伝って欲しいとのこと。特に定職を持っていたわけではないので、そんな気楽な仕事もあるのかと引き受けた。町の会計年度臨時職員とかという身分らしい仕事はそのまま継続して7,8年は経っただろうか。しかし今回は臨時職員ではなく、半年間の正規の採用(地方公務員?通達は町ではなく県から届いた)。自分にとっての難題は雪の季節に毎日車で通勤する事さんざん悩んだ挙句、まぁ、やってみましょう、ホワイトアウトで通えなかったら御免なさいねと引き受けた。

 思えば以前、在京の時に引き受けた養護教諭の時も「臨時」が付いた1年限定の就職だった。結局2年と2か月勤めることになったが、その時も次の正式な先生が決まるまでの繋ぎだった。今回は産休代替なので正真正銘の繋ぎということになる。結果的に何事も無く(と自分では思っている)半年は無事に過ぎ、新任の先生に繋いで今は基本的に週1日1時間勤務の、元の臨時職員の立場に戻った。春は健診のシーズンで、週に2,3回手伝いに学校に行く日があるが、半年間の保健室勤務があったお陰で顔なじみになった児童・生徒、それに先生もいて、顔を合わすたびに一言二言会話があったり、会話はなくとも会釈して気持ちを通わせることができたりしている。半年という短い時間ではあったが、そこでできた人との繋がりは財産であること、やはり週に1時間では出会えない瞬間や共有した時間には意味があったことに改めて気づかされている。

 そんなことを思っていたら、知り合いからなぜか林業の本を送られた。まだ読み込めてはいないその本の著者は、先代から引き継いだ山に継続して手を入れ、先祖が作ってきた理想の山をもう一度作り直す決意をしたと書かれている。その作業は次に繋いでいくための大切な作業なのだという事のようだ。そのように考えるならば、私の人生も次の世代を生きる人への何らかの繋ぎになっているのだろうか。大仰な事ではなくとも、次世代への繋ぎの一つになるのであれば、今過ごしているこの時間も、大切な一瞬一瞬なのだと自覚せねばなりますまい。人生に無駄なことは1つも無いのだから
posted by 田川 at 14:19| 役員コラム