理事・森林セルフケアコーディネーター 鈴木 友よ
「兎追いし かの山 小鮒釣りし かの川・・」1914年(大正3年)の唱歌、「ふるさと」の歌詞にある情景は、私にとって、日本の原風景=里地里山そのもののイメージです。
そのイメージの中の森、もしかしたら今の森とはかなり違う姿だったのかも・・
東海道五十三次などの浮世絵の世界では、森、というよりも「はげ山」!松が少し生えている感じの丘陵地が描かれています。
古来の日本にはスギの原生林が各地にあったようで、しかも直径2.5m、樹高40mの大木が生えていたそうです。そうした湿り気のある場所に田畑を開拓して定住した人類。原生林を切り開き、材木は寺社、屋敷や城建築、燃料などへと活用してきたのでしょう。木材(由来)からエネルギーを生み出していたし、建物も木造。となると山から木が少なくなるくらいまで消費しているのは納得です。
「おじいさんは山に柴刈りに」は、食事や暖をとるための大切な労働。特に江戸以降、人口が増えたことではげ山へと追い込まれていったらしい・・
林床に栄養分が乏しくて松がまばらに生えているので、マツタケがたくさんとれたみたいです。私の住んでいるみよし市でも、70年前までは沢山のマツタケが収穫できたよ、というお話を伺ったことがあります。
だから戦後の植林事業であれだけびっしりとスギ、ヒノキを植えることができたのでしょう。
見晴らしは良いので、山越えなど、移動する際に方向が分かりやすかったのかなとも想像します。隣接した斜面同士、手旗信号で会話ができたほど見通せたそうです。
ただ大変なことに、表土が流れやすく、山は洪水が多発していたそうで、健全な森であることは防災の意味からも重要ですね。
昭和30年以降、人が手を入れ続けた雑木林(二次林)が、エネルギー利用の変化等によって利用されなくなり放置され、落葉樹から常緑樹への遷移、また同じく放置した竹林による森の荒廃が続いています。スギ、ヒノキの人工林の乱立、放置した状態も問題となっています。また、荒れた場所は不法投棄場所となってしまうなど、放置、無関心による弊害が目立ちます。開発による森の消失、分断なども並行して起こっています。
こうした状態はたぶん、有史以来初めてのことです。
今各地でなされている里山保全の活動は、放置による暗くて藪化する森を明るい里山林として保全するために人が除伐、落ち葉かき等の手入れ作業している状態です。
私も身近な森での活動を続けています。こうした草の根の活動がもっと増えてくるといいなと願っています。いろいろなタイプの森が点在することで、生物多様性の維持に貢献できるし、私達自身が活動することによって、身近な森に対して関心を向け続けることにつながるのではと期待できるからです。
なにより、「森林作業」は森林セルフケアのメニューの一つ。森の活動で出会う人たちが元気なのはセルフケアできているからなのですね!