理事 原田純子
昨年のフォーラムが終了した直後の10月30日から今年の3月31日まで、何とこの歳で地元の小中学校(小中一貫校)の養護教諭を拝命した。全く人生は何があるかわからないものだ。産休代替えの養護教諭、それも半年間限定…。なんとも中途半端な立ち位置だ。でも他に頼める人がいないのだと。
東京で定年を迎えた私が長野に移住して数年経ったころ、地元の学校の保健室を手伝ってくれる人材を探しているので、資格を持っているのなら手を貸してほしいと打診を受けた。近くに住む支援員の先生からだったが、話を聞けばなんでも週に1日、1時間だけ保健室を手伝って欲しいとのこと。特に定職を持っていたわけではないので、そんな気楽な仕事もあるのかと引き受けた。町の会計年度臨時職員とかという身分らしい仕事はそのまま継続して7,8年は経っただろうか。しかし今回は臨時職員ではなく、半年間の正規の採用(地方公務員?通達は町ではなく県から届いた)。自分にとっての難題は雪の季節に毎日車で通勤する事さんざん悩んだ挙句、まぁ、やってみましょう、ホワイトアウトで通えなかったら御免なさいねと引き受けた。
思えば以前、在京の時に引き受けた養護教諭の時も「臨時」が付いた1年限定の就職だった。結局2年と2か月勤めることになったが、その時も次の正式な先生が決まるまでの繋ぎだった。今回は産休代替なので正真正銘の繋ぎということになる。結果的に何事も無く(と自分では思っている)半年は無事に過ぎ、新任の先生に繋いで今は基本的に週1日1時間勤務の、元の臨時職員の立場に戻った。春は健診のシーズンで、週に2,3回手伝いに学校に行く日があるが、半年間の保健室勤務があったお陰で顔なじみになった児童・生徒、それに先生もいて、顔を合わすたびに一言二言会話があったり、会話はなくとも会釈して気持ちを通わせることができたりしている。半年という短い時間ではあったが、そこでできた人との繋がりは財産であること、やはり週に1時間では出会えない瞬間や共有した時間には意味があったことに改めて気づかされている。
そんなことを思っていたら、知り合いからなぜか林業の本を送られた。まだ読み込めてはいないその本の著者は、先代から引き継いだ山に継続して手を入れ、先祖が作ってきた理想の山をもう一度作り直す決意をしたと書かれている。その作業は次に繋いでいくための大切な作業なのだという事のようだ。そのように考えるならば、私の人生も次の世代を生きる人への何らかの繋ぎになっているのだろうか。大仰な事ではなくとも、次世代への繋ぎの一つになるのであれば、今過ごしているこの時間も、大切な一瞬一瞬なのだと自覚せねばなりますまい。人生に無駄なことは1つも無いのだから
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