残る福島県からの奉納芸能紹介!
遅くなってすみまません・・・
直前ですが、要チェックです!
E「相馬宇多郷の神楽(そうまうだごうのかぐら)」
【福島県相馬市】
磯部敬神会(いそべけいしんかい)
「相馬宇多郷の神楽」は相馬市域(中村藩宇多郷)の21集落に分布する獅子神楽の総称です。秋彼岸には雷(らい)神社(坪田地区)に各地区の神楽組が集合し、地域の安泰と豊饒祈願のための舞を奉納してきました。
磯部地区では毎年4月15日の寄木(よるき)神社例祭、小正月には村祈祷として各戸を回る行事が行われており、住民たちにとって神楽は精神的な支柱だったのです。
東日本大震災では、磯部地区を18mの津波が襲い、氏子の350戸以上が流失、350人以上が亡くなりました。代表宅に管理されていた獅子頭や楽器、衣装等のほとんど全てを流失しましたが、奇跡的に獅子頭が発見され、本年4月15日の寄木神社例祭で奉納し、活動を再開しました。
「相馬宇多郷の神楽」分布地で磯部の他、原釜(はらがま)、松川(まつかわ)、岩子(いわのこ)の各神楽も壊滅的な被害を受けましたが、各方面の支援を受けて復興に取り掛かっています。
5月、仙台から車で福島県を目指しました。
沿岸沿いに南下し、宮城県山元町を過ぎると福島県新地町に入ります。この辺りの海岸線は今まで見てきた岩手、宮城県北のものとは様相を変え、非常に見晴しがよく穏やかで、その分遠く広く海が見渡せます。
相馬市磯部地区は南相馬市にほど近い地域で、大洲海岸という美しい松林と7キロに及ぶ白砂浜を眼前に控えた美しいところだったそうです。
しかし、その平らかな安らかな浜とそこにあった建造物は、全て流し尽くされて、一年経った今、車も人も何もない空白の地域となっていました。未だ立ち入り制限地域も多く、岩手、宮城とは違った雰囲気を感じました。

:磯部の寄木神社からは津波で破壊された海岸線が見える
磯部では寄木神社の氏子で組織されている「敬神会」の唯野哲夫会長のお宅でお話しを伺いました。
なんと、会長宅は海岸にも近くそれほど高くない土地にあり、津波にほとんど呑まれながらも、流失を免れたお宅でした。住居の横には大きな石蔵がありますが、これも全くびくともしなかった様子で建っていました。不思議なことです。

そのすぐ目の前には、標識が。てっぺんまで波が来たのでしょう、曲がっています。
唯野会長ご自身も大津波から命からがら逃げ延びた一人です。磯部の辺りは太平洋側に突き出た地域で、宮城県沖で起きた地震と、福島県沖でその後起きた地震による第一波、第二波の津波がぶつかって出来た大、大津波が、最も速く到達したところではないかと会長のお話しでした。
さて、神楽は磯部地区にとってはとても重要な存在で、やはり農家の跡取り長男だけが出来るもので、今もそうした風潮は生きているそうです。
会長になると、年に2回の祭りの一か月前には会長宅が「宿」となり、一月毎晩十数人の若手と先輩師匠がやって来て、踊りの練習場所と食事などを賄ったものだそうです。練習場所の大きな座敷の畳はすぐにだめになり、勿体ないからと畳を上げて床で稽古させると、今度は床が抜ける、というほど熱心なものでした。
獅子頭と神楽道具は一年を通して、この座敷に飾ってありました。
そして、この仕来りは震災直前まで続いていたのです。
津波は家を呑み込み、獅子頭と道具一切を流失させました。

:座敷の現在
しかし、会長は津波が引いてすぐ、大事な大事な獅子頭を探しに自宅に戻り、何と家を取り囲む竹林に引っかかっていた獅子頭を、奇跡的に発見したのでした。

手前が、奇跡の獅子頭。奥のは神社にあり無事でした。この2つの頭は同じ時期に大工さんのから奉納された手作りのものだそうですが、とてもいい顔をしています。
奇跡の獅子頭は救出後、「魂を抜き」ご隠居されたそうです。
明治神宮にお見えになる獅子頭は新しい方を予定しており、「魂を入れた」そうですが、この二つを並べると「喧嘩してしまう」ので一緒に上京できるのか、まだ分かりません。
このように、震災前も震災後も、獅子頭と神楽を中心にして地域は成り立ち、住民たちはそのことをとても大事に思っています。
こうした日本が、まだまだ全国にはたくさんあるということを、この奇跡の神楽実際にご覧になり、それを一例として考えてみませんか。
「相馬宇多郷の神楽」の登場は
7/28(土) 御社殿 12時25分頃、原宿口 17時55分頃
7/29(日) 原宿口 14時30分頃、同 17時45分頃、御社殿一斉奉納 20時半から
7/30(月) 原宿口 12時50分頃
お楽しみに。