C「下増田麦搗き踊(しもますだむぎつきおどり)」
【宮城県名取市】
下増田麦搗き踊保存会
名取市下増田地区の農家では、田植えが済む頃に麦刈りが始まり、刈った麦を庭に運び入れて麦打ちをし、田の草取りの始まる頃になると夜鍋仕事で麦搗きが行われていまいた。その際に隣近所の女たちが集まって竪杵(たてぎね)で臼を取り巻き、にぎやかに作業に合わせて麦搗き歌が歌われ、後に踊りも添えられるようになったのがこの芸能のはじまりだといいます。
明治9年6月24日、明治天皇東北御巡幸の折、増田地区に設けられた行在所(あんざいしょ)で御休憩の際、15歳〜20歳の女子が揃いの衣装で麦搗き歌を歌いながら麦を搗いて天覧に供したと言われています。
東日本大震災の津波によって、仙台空港に隣接する当地域沿岸部は甚大な被害を受けました。ほとんどの保存会員の家はひびが入ったり壁が崩落したりしましたたが、津波被害はかろうじて床下浸水までで免れました。
名取市一丸となって、閖上(ゆりあげ)地区とともに復興に向けての活動を再開させました。
仙台市を抜け、名取市へ。津波を止めたといわれる仙台東部道路を超え、仙台空港方面(海側)へ向かいます。
まっさらな海岸ぺりにポツンと祠が残されていました。

ここは、下増田神社。小さな丘ですが、ここに登って助かった人も多かったとか。すぐ側にはあの、仙台空港。

木立の奥に見えるのが空港。その手前にはお墓が見えます、お寺があったそうですが津波で流されたそうです。
名取市の街中、増田地区には明治天皇の行在所跡に残る「衣笠の松」という大変立派な松が。この辺りで麦搗き踊が披露されたのでしょうか。

保存会の佐藤はる子会長(御歳84!)のお宅にお邪魔し、お話を・・・と思ったら食事が出てくる出てくる。全てが手作り。蕗の煮物や閖上から貰ったばかりの塩鱒、お赤飯が美味しすぎて、訛りの懐かしさ、勧め上手な姿が亡き祖母と重なって、少々いただきすぎました。ありがとうございました!

はる子会長もよく召し上がり、さすが農家のお母さんと感心しました。
全員満腹な状態で、耕谷集会所で行われる麦搗き踊の練習に。

多くの方が集まって練習をしていました。下増田麦搗き踊を中心に、男も女も老いも若きも地域を盛り上げていこうという気持ちが見えて、また明治神宮への気合も漲っていて、とても素敵な光景でした。こういうの大好きです。
ここに、明治天皇の天覧に供した時のような少女、子ども達が増えてくるとなお良いですね!
はる子会長はじめ皆さん、東京の暑い3日間体を壊さないように、と願うばかりです。
「下増田麦搗き踊」の登場は
7/28(土) 御社殿 12時45分頃、原宿口 18時40分頃
7/29(日) 原宿口 15時10分頃、同 18時半頃、御社殿一斉奉納 20時半から
7/30(月) 原宿口 13時半頃
お楽しみに。