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05OCT2018 本質を、理解しなけりゃ、伝えられん [2018年10月06日(Sat)]
みなさんこんにちわ、きぼうときずな活動報告の(あ)です。

今週の福島県内の活動は打ち合わせでした。
予定されている活動の調整と、新たな現地活動の計画。
ひとつひとつ実現に向かう過程はとても楽しいです。

久しぶりに、2030年まで残したい話。

保健師として(あ)の考えるべき部分は、
WHAT => HOW
と再確認できたエピソードです。

===
打ち合わせの中の雑談で、介護保険制度のお話になりました。
「介護保険の理念が、サービス提供者も受益者にも伝わっていない」
ということです。

介護保険法より抜粋します。

〜〜〜
第一章 総則
(目的)
第一条 この法律は、加齢に伴って生ずる心身の変化に起因する疾病等により要介護状態となり、入浴、排せつ、食事等の介護、機能訓練並びに看護及び療養上の管理その他の医療を要する者等について、これらの者が尊厳を保持し、その有する能力に応じ自立した日常生活を営むことができるよう、必要な保健医療サービス及び福祉サービスに係る給付を行うため、国民の共同連帯の理念に基づき介護保険制度を設け、その行う保険給付等に関して必要な事項を定め、もって国民の保健医療の向上及び福祉の増進を図ることを目的とする。
〜〜〜

注目すべきは、赤字で示した部分です。

(あ)なりの解釈を表現をすると、

「介護サービスを必要とする人は、できること・できないことが人それぞれ違う。
その人のできること、できないことに合わせて、その人自身が望む生活を送れるように
必要なサービスを提供する」

ということだと思います。

しかし実態として、こんな事例があるそうです。

〜〜〜
同じ要介護2のAさんとBさん。あるデイサービスでの入浴の場面。

Aさんは、自身の手を頭まで持っていくことができません。
そのためスタッフが、Aさんの頭を洗うお手伝いをします。

Bさんは、自分で頭を洗うことができます。
そのためスタッフは、Bさんの頭を洗うお手伝いをしません。

Aさんが頭を洗ってもらっているのを見て、Bさんはスタッフにこう言います。
「Aさんばっかりずるい、自分の頭も洗ってくれ」と。

〜〜〜
(あ)がその場にいるスタッフだったら、どう対応するか考えました。
負担は増えますが、おそらくBさんの頭を洗うお手伝いをしてしまいそうです。
『Bさんの要望を叶えることが、最終的によりよい生活につながる』とも考えそうです。

この事例は、背景となる情報が不足しています。
それまでの経緯を考えると、この行動も間違いではないのかもしれません。

けれど、Bさんが理解しやすい表現で、介護保険法の理念を言うこともできるはずです。
それを伝えた上で、頭を洗うお手伝いをする、という方法もあると思います。


===
最近真剣に考えています。
(あ)の持論は、健康は幸せを得るための手段の一つに過ぎない、です。

この考え方を前提とすると、保健師として次に考えるべきことは、
健康に生活するための方法を実践してもらうためには、どうやって伝えればよいか(=HOW)
だと思っています。

何をつたえるか(=WHAT)、ではなく、どうやって伝えるか(=HOW)。

介護保険制度に関する事例のお話は、HOWを考える上で良い刺激になっています。
14APR2018 踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら踊らにゃ損損 [2018年04月14日(Sat)]
みなさんこんにちわ、きぼうときずな活動報告の(あ)です。

今週は、今年度の活動の下準備をかねて、いわき市内をうろうろしておりました。

(あ)にとって、初めての民間助成金の獲得ができまして、
その事業を実施するための調整を兼ねた挨拶回りというのが1つ目の目的です。

そして、学生時代の恩師が監修した「虐待を防ぐ保健師訪問」という本を、
いわき市の保健師さんたちにお渡しするのが2つ目の目的です。

今回の助成金で実施する事業は、本当にやりたいことに近いのですが、
成功のためには、計画段階でどれだけ時間をかけ、考え抜けるかがポイント(*1)です。
最近はまっているプロジェクトマネジメント、思う存分活用しております。

===
そんなわけで活動報告もあまりできないので、前回の続きをいたします。

<人生は7勝8敗>
人生で起きる出来事に対して、全勝とは行かない。
敗が必ず起こってしまうなら、楽しんでしまった方がいいじゃない。
では、辛い時、どうやって楽しむのか?
というお話でした。

原点を振り返ってみると、こんなエピソードがあります。
(あ)は高校生のとき、入学早々登校拒否(*2)をしておりました。
心配した中学時代の担任が、我が家を家庭訪問しました。

担任
「(あ)よ、お前このまま登校拒否してどうするつもりだ?自分で行きたいと思った高校だったんだろ?」
(あ)
「高校なんて大学に行くまでの通過点、行く必要はないから退学して大検受けて大学に行きます。」
担任
「そうかわかった、でも高校はただの通過点で、行っても行かなくても良いのだったら、行ったっていいだろう?」
(あ)
「そう言えばそうですね、どうせ同じことなら取り敢えず高校に通ってみて、本当に必要なければ辞めればいいですもんね」

という出来事がありました。
最終的には高校も無事卒業して現在に至る、という流れになって行きます。


大学に入り、社会人になってからのことです。
アルバイトをすぐ辞めたり、お酒の席で失敗したり、留年したり。
年に一度は完全に気持ちがダメになって、適度に引きこもるのです。
そのとき、必ず周りの人が(あ)を引っ張りあげてくれました。

高校の時よりも自我が芽生えているせいか、あっさり復帰はできませんでしたが、
周りの人が絶対に(あ)を見捨てることはありませんでした。


そしてきぼうときずなに関わるようになります。
震災で大切なものを失ったり、その後の避難生活で辛い経験をしている人たちとお話するようになりました。

支援に対し温かい言葉をかけてくれる方、悲しい心情を話してくれる方、どうしようもない怒りをぶつけてきてくれる方。
嬉しいことも、辛いこともありました。
自分がいかに無力か気づかされ、ちょこちょこ涙も流しました。
でも、なぜだか「辞めたい」とは思いませんでした。

被災された皆さんとのお話を通じて、(あ)がどんなに恵まれた環境で、
ぬくぬくと過ごし、周りから大きな愛情をもらっていたのか。
改めて実感したからです。

そんな幸せ者の(あ)は、とことん人生を楽しまなきゃいけない。

大変な経験をした方々が、ちょっとでも笑ったり、安心できる瞬間を作るためにも、
まずは自分自身が楽しまなきゃいけないんだ、と。

幸せ者は、とことん幸せに生きなきゃ、バチが当たっちゃいますからね。


・少なくとも、自分より壮絶な体験をした人を知っている。
・その人がどうにか乗り切って、笑顔を見せることができることを知っている。
・そういう人を、結構数多く知っている
・乗り切れなくて困っている人たちも、自分をねぎらうような言葉をかけてくれる。

こんな状況ですよ?

(あ)に限らず、
「こりゃどんなに辛いことも楽しむしかない!そういう姿を体現しなくてはいけない!!」
ってなりますよ。


過去に起こったことは変えられません。
その過去と一緒に、”今”どう生きるかは変えられます。

辛い出来事は避けられないかもしれません。
でも、その出来事を捉える視点は変えられます。


<人生は7勝8敗>
どんなに才能があって努力しても、トータルではちょっと負け越すんだと思います。
負け越すとしても、楽しい人生か、つまらない人生かどうかは別問題です。
今まで出会ってきた人から、そのことを教わりました。

客観的には負け越すけれど、主観的には楽しい人生。
これを絶対に実現できると思わせてくれる、(あ)にとってとても大切な言葉です。



*1
高校時代のエピソードを読んでいただければわかるとおり、
(あ)は無計画の行き当たりばったりで何とか切り抜けてきた節があります。
それなので、計画を身につけると鬼に金棒、というわけです。

*2
そもそも、なぜ高校を拒否していたのか。
それは、公立の中学校から進学した高校は私立中高一貫校だったのですが、
クラスに自分と同じ中学の人がいない状態(=知っている人がいない状態)に耐えられなかったからなんです。
そのとき気づいたのですが、(あ)は自分から主体的に友人を作る行動をとったことがない、
友達づくりが全くできない奴だったのです。
そして、それは現在まで続いております、また別の機会にいたしましょう。。。苦笑



07APR2018 実験的に新シリーズ開始します [2018年04月07日(Sat)]
みなさんこんにちわ、きぼうときずな活動報告の(あ)です。

新年度が始まり、今週はひたすら事務所で内勤。
報告することがないかな〜、と思っていたので、新カテゴリ始めます。

「2030年までのこしたい話」

今までの(あ)の人生で得た、是非とも残しておきたい体験、思考。
思い切って公開しておこうという試みです。
実験精神からくる思い付きではありますが、おつきあいくださいませ。

初回は、(あ)の座右の銘<人生は7勝8敗>です。

これは中学時代で学んだ麻雀からの派生で、大学時代に読み漁った阿佐田哲也さんの小説に書かれていた言葉です。
阿佐田さんは、本名の色川武大として「離婚」で直木賞を受賞する作家です。
ちなみに色川さん名義だと、(あ)のベストは「狂人日記」です。

人生は7勝8敗。
ギャンブルで生活する漢たちを描いた「麻雀放浪記」の続編(?)の、
「新・麻雀放浪記〜申年生まれのフレンズ〜」の中で出てきます。

人生で起こるあらゆることについて、すべてうまくいくことはない。
ある出来事を、長い目で見たとき、別の視点を変えたとき、
<勝>と思っていたことも<敗>である場合がある。
長続きするためには、いかに勝つかより、いかに敗けるかが大切な心構え。

大きく勝つときは、自分の実力だけではない何かの要素がかかわる。
大きく敗けるときは、自分のエラーが原因にある。

という文脈です。

リスクマネジメントの考えも連想されますが、(あ)はこう思いました。

『敗けるのが避けられないなら、どうせなら楽しく敗けよう。そういう人生を歩もう。』
勝つときは、だいたい楽しいです。
敗けるときは、だいたい辛いです。
一度しかない人生なら、どうせだったら楽しみたい。
だったら、どんなことも楽しんでしまおう。

辛いとき、どうやって楽しみを見出すか。
(あ)はどうやって楽しみをみいだしてきたのか。

これはまた後日、お伝えしようとおもいます。

===
今日はこれから、ふくしま百年基金設立発起人会@郡山市に行ってきます。
どうせだったら人生を楽しむ、そういう人が増えたほうが世の中が楽しくなる。
そのために(あ)は看護を学び、ファンドレイジングを学んで来た。

2030年までのこしたい話でした。

IMG_1577.jpg

地元の栃木県の枝垂桜と夕暮れ。
愛犬ちゃたろのキョトン顔も、ずっとのこしたい。