2011年12月17日
河北新報社 論説委員長の講演会
京都CSR研究会にて、河北新報社 論説委員長 鈴木素雄氏の講演を聞いてきました。
今一度、東北復興を考えるうえで、とても有意義な機会を頂いたことに、感謝です。
---新聞の意義---
3.11以前から防災について、再三啓発活動をしてきた。
災害時の対応、避難場所、それへの備えなど。
これは日本のどのメディアよりも自負できると。
しかしながら、これら防災策は全て1978年を想定したものだった。
指定避難場所に避難した人も、多くが津波に襲われなくなった現実。
「 何を書いたらいいんだ? 」
筆が進まない。
記者の方々はまさにそんな状態であったという。
新聞は社会の木鐸、権力の監視機能なんて綺麗事を言っていられない。
客観報道をしてる場合じゃない。
被災者、被災地に寄り添って、その共感を紙面に出していくことだけを考え、そして、提言していく。
「被災者の視線にたて、境地を訴えろ!」と、論説委員長である鈴木氏は記者たちに指示をした。
社説の体を成してないものを、書いた。
震災発生直後の社説 表題:「生きてほしい!」
被災地に行く記者にもご飯を与えられない状況時の社説 表題:「HELP!」
また印象的だった事として、
3月11日の号外午後8時ごろ、光のない中で配られた号外を、携帯の明かりで見ている光景は
唯一新聞だけが、その日何が起きたのかを伝えるものだった。
苦しい中で書いた紙面が大切なことを伝えていく。
「新聞記者名利に尽きる光景だった」
---企業の社会的責任---
企業の社会的責任とは何か。
災害時において、 河北新報社は新聞社として、新聞を出し続ける事が、それであったと鈴木氏。
餅は餅屋 本業にまずは特化すること、本業を最大限に活かした社会貢献こそが、CSR活動であるはずだという。
「企業にもたくさんのドラマがあった」と、いくつかのストーリーが挙げられた。
岩手県大船渡市に本社を置く株式会社マイアの社長は
スーパーの社会的責任は、「ものを売ること」
とにかくいろんなルートを使って仕入・販売
100円・200円・300円と、どんぶり勘定で震災翌日から販売を再開した。
マイアの社長は、松下幸之助氏の
「理を追いかければ理は逃げていく、お客を追えばお客は逃げていく」
との言葉を思い起こし、食のライフラインを守り続けたという。
そして、特に仙台のダイエーが凄かったと語る。
1995年の震災で、綿密なマニュアルを作っていた当社は、
震災直後より確かな流通網を確保していた。
仙台のダイエー店は長い時に3キロくらい行列だったという。
「ダイエーのノウハウは流通業の全てに共有して欲しい」と仰られていた。
緊急時には、現場の意思決定が全てだったと、鈴木氏。
餅は餅屋で、それぞれの企業が得意分野に特化してこそ、道は開けていくと。
----フッコウとは----
最後に、「東北復興」を考える上で、とても興味深いお話をしてくださった。
河北新報社の創業の精神には、ある種のレジスタンスの精神があるという。
1897年1月17日に一力健次郎によって創刊された当紙は、「東北振興」と「不羈独立」を社是とした。
明治維新以来、「白河以北一山百文」と軽視されていた東北を、
まず東北を開くことによって、その差別意識を払拭したい、と。
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以上、講演会でのお話を簡単にまとめてみました。
東北フッコウという言葉が、100年も前より意識されてきたことだと知り、
今一度フッコウを考えるうえで大切なことを教えて頂いきました。
岡あゆみ
2011年12月16日
東北物産展@神戸ルミナリエ
神戸ルミナリエ(12月1日〜12日)にて、
みちのくあきんどオフィスの東北物産展も出張出店していました!
12月12日(月)ルミナリエ最終日の様子をお伝えしたいと思います。
木の屋石巻水産さんを中心に、東北のさまざまな企業の商品が店頭に並んでいました。その周りをたくさんのお客さんがごった返しており、はじめはなかなか近づけませんでした。
お店の前に着くと若者たちの元気のいい声が聞こえてきました。
ルミナリエの開催期間中、神戸夙川学院大学の学生さんたちが販売のお手伝いをされていました。

神戸夙川学院大学の学生の一人、岩佐さんに売れ筋の商品をお聞きしました。
すると、さすが一週間以上もお店に立たれていらっしゃる、すらすらと商品の説明をしてくれました。
たくさんある商品の中の売れ筋はこちら!
「くるみかりんとう」

私も実際に購入し食べてみました。
−食べて一言
おいしいです!
これ本当に。
硬さも控えめで、パリッと一口ほおばると沖縄名産のちんすこうの様なぱさぱさした甘さが噛むごとに増していきます。
一つ食べ終わると、次へ次へと口の中へほうりこんでしまいました。一度食していただくことをお勧めします!
そんな、かりんとうの生産者の方は夢食研(株)阿倍社長です。
阿倍社長は宮城県女川で被災をし、工場を流されたそうです。しかし、かりんとう製造器一つ持って、鳥取県にて会社をたった一人で再開させたのだそうです。
阿倍社長について詳しく知りたい方は是非こちらへ!
http://www.yomiuri.co.jp/osaka/feature/kansai1308155431752_02/news/20110723-OYT8T00096.htm
また、梅田スカイビルにあるミンナDEカオウヤにて販売開始予定ですのでそちらでもぜひお買い求めください!
続いての人気商品は「感謝の缶詰」です!

シロナガスクジラの缶詰で、木の屋石巻水産の商品です。
初めはあまり売れないだろうと、400缶程度しか発注していなかったそうです。
しかし、たった4日間で400缶を売り切ったそうです!
MBSで取材された後お客さんが急激に増え、1日100缶限定にして販売したそうです。
なんと、30分で完売してしまった日もあるそうです。初日の売り上げをうけて大急ぎで発注し、その後は1日あたり約1000缶を売り上げるヒット商品なのだとか!
この感謝の缶詰は木の屋石巻水産と神戸夙川学院大学とを結びつけるきっかけにもなった商品です。
3月11日のあの日、木の屋水産大阪事業所の三浦さんもたまたま会議のために宮城県石巻の本社に来ていました。大きな揺れの後、大急ぎで近くの中学校へ避難し、そこで津波を経験したそうです。人や車が流されていくのを中学校の4階から眺めていたといいます。津波から数日後、ヘリコプターで救助され、そのままやっとの思いで大阪に帰られたそうです。
大阪に帰ってきてから、一番初めに思われたことは「明るい」ということ。東日本では停電が続いており、関西の信号機がついていることに感動されたそうです。
一方で、本社があった石巻の工場は津波で流され、製造がストップしてしまいました。そんな中、工場の中で泥だらけで残っていた缶詰たちがいました。そんな缶詰たちをきれいに洗ってまたお客様のもとへ届けようという動きが震災が起きてから数ヶ月後起こり始めました。その情報をたまたま耳にしたのが神戸夙川学院大学教授疋田先生でした。
疋田先生は学生を引き連れ8月末に缶詰洗いのボランティアに石巻の木の屋水産の工場を訪れました。学生や他のボランティアの人たちと作業を進め、そこから掘り起こされた缶詰たちは「希望の缶詰」として、販売されていきました。疋田先生もその「希望の缶詰」を神戸夙川学院大学の学園祭や関西の各イベントで販売していきました。さまざまな人が「希望の缶詰」を購入し、ついには完売したそうです。
商品が完売してしまった木の屋石巻水産さんは、自社工場は被災し製造ができないため、岩手の別の会社の工場を借りて製造を再開しました。その商品が「感謝の缶詰」なのです。商品名の由来は、今まで協力、応援してくれたたくさんの人たちに向けての感謝の気持ちを商品にこめているのだそうです。多くのボランティアの方々や、木の屋石巻水産の商品を愛してくれている消費者の方々、他にも多くの協力者の方々への感謝の気持ちが込められています。
この「感謝の缶詰」をぜひとも関西に届けたいと疋田先生も協力して、神戸ルミナリエにて販売されることとなりました。木の屋石巻水産さんと「みちのくあきんどオフィス」で一緒に仕事をしている高松さんも仲間に加わり、多くの東北の企業の商品が並ぶ、東北物産展が神戸ルミナリエで販売されることとなりました。

三浦さん、疋田先生や神戸夙川学院大学の学生さんが口を揃えておっしゃるのは、「神戸の人たちは温かい」ということです。神戸の多くの人たちは阪神淡路大震災を経験し、東日本大震災を人ごととは思えないという人たちが多いようにお客さんの様子を見て感じるのだそうです。しかも、神戸ルミナリエは震災復興の祈りが込められています。訪れる人の多くは、「やめてはならない」「続けてほしい」という声を多く聞きます。神戸の人たちにとって、震災とはけして忘れてはならない、伝え続けなければならないものとして心に刻み込まれているようでした。
東北物産展の商品を購入していくお客さんの多くは「何か東北のためにしたいけれど、関西から遠い。」という想いを持っていらっしゃるようだと、ボランティアの学生さんたちは口を揃えます。そして、東北の商品だとわかると大量に購入していってくれるそうです。段ボール一箱購入した人もいるそうです。
ある学生さんにお話を伺うと、はじめは興味本位でこの物産展のボランティアに参加したそうです。しかし、お客さんの会話を聞いたり、購入していく様子をみていくうちに自分も何かしなければならないという気持ちに変わっていったそうです。

(左から疋田先生、三浦さん、高松さん)
「震災」というキーワードで繋がる東北と神戸。ルミナリエという震災復興を願う光の中に確かに東北の人と神戸の人の繋がりがありました。商品を届けることによって結びつく復興の一滴一滴は、多くの人を巻き込んで一つの流れとなりつつあります。
繋がることによって広がっていく「縁」が復興への特効薬であると感じた瞬間でした。
これからも、みちのくあきんどオフィス「東北物産展」をおいかけていきたいと思います。
みちのくあきんどオフィスの東北物産展も出張出店していました!
12月12日(月)ルミナリエ最終日の様子をお伝えしたいと思います。
木の屋石巻水産さんを中心に、東北のさまざまな企業の商品が店頭に並んでいました。その周りをたくさんのお客さんがごった返しており、はじめはなかなか近づけませんでした。
お店の前に着くと若者たちの元気のいい声が聞こえてきました。
ルミナリエの開催期間中、神戸夙川学院大学の学生さんたちが販売のお手伝いをされていました。

神戸夙川学院大学の学生の一人、岩佐さんに売れ筋の商品をお聞きしました。
すると、さすが一週間以上もお店に立たれていらっしゃる、すらすらと商品の説明をしてくれました。
たくさんある商品の中の売れ筋はこちら!
「くるみかりんとう」

私も実際に購入し食べてみました。
−食べて一言
おいしいです!
これ本当に。
硬さも控えめで、パリッと一口ほおばると沖縄名産のちんすこうの様なぱさぱさした甘さが噛むごとに増していきます。
一つ食べ終わると、次へ次へと口の中へほうりこんでしまいました。一度食していただくことをお勧めします!
そんな、かりんとうの生産者の方は夢食研(株)阿倍社長です。
阿倍社長は宮城県女川で被災をし、工場を流されたそうです。しかし、かりんとう製造器一つ持って、鳥取県にて会社をたった一人で再開させたのだそうです。
阿倍社長について詳しく知りたい方は是非こちらへ!
http://www.yomiuri.co.jp/osaka/feature/kansai1308155431752_02/news/20110723-OYT8T00096.htm
また、梅田スカイビルにあるミンナDEカオウヤにて販売開始予定ですのでそちらでもぜひお買い求めください!
続いての人気商品は「感謝の缶詰」です!

シロナガスクジラの缶詰で、木の屋石巻水産の商品です。
初めはあまり売れないだろうと、400缶程度しか発注していなかったそうです。
しかし、たった4日間で400缶を売り切ったそうです!
MBSで取材された後お客さんが急激に増え、1日100缶限定にして販売したそうです。
なんと、30分で完売してしまった日もあるそうです。初日の売り上げをうけて大急ぎで発注し、その後は1日あたり約1000缶を売り上げるヒット商品なのだとか!
この感謝の缶詰は木の屋石巻水産と神戸夙川学院大学とを結びつけるきっかけにもなった商品です。
3月11日のあの日、木の屋水産大阪事業所の三浦さんもたまたま会議のために宮城県石巻の本社に来ていました。大きな揺れの後、大急ぎで近くの中学校へ避難し、そこで津波を経験したそうです。人や車が流されていくのを中学校の4階から眺めていたといいます。津波から数日後、ヘリコプターで救助され、そのままやっとの思いで大阪に帰られたそうです。
大阪に帰ってきてから、一番初めに思われたことは「明るい」ということ。東日本では停電が続いており、関西の信号機がついていることに感動されたそうです。
一方で、本社があった石巻の工場は津波で流され、製造がストップしてしまいました。そんな中、工場の中で泥だらけで残っていた缶詰たちがいました。そんな缶詰たちをきれいに洗ってまたお客様のもとへ届けようという動きが震災が起きてから数ヶ月後起こり始めました。その情報をたまたま耳にしたのが神戸夙川学院大学教授疋田先生でした。
疋田先生は学生を引き連れ8月末に缶詰洗いのボランティアに石巻の木の屋水産の工場を訪れました。学生や他のボランティアの人たちと作業を進め、そこから掘り起こされた缶詰たちは「希望の缶詰」として、販売されていきました。疋田先生もその「希望の缶詰」を神戸夙川学院大学の学園祭や関西の各イベントで販売していきました。さまざまな人が「希望の缶詰」を購入し、ついには完売したそうです。
商品が完売してしまった木の屋石巻水産さんは、自社工場は被災し製造ができないため、岩手の別の会社の工場を借りて製造を再開しました。その商品が「感謝の缶詰」なのです。商品名の由来は、今まで協力、応援してくれたたくさんの人たちに向けての感謝の気持ちを商品にこめているのだそうです。多くのボランティアの方々や、木の屋石巻水産の商品を愛してくれている消費者の方々、他にも多くの協力者の方々への感謝の気持ちが込められています。
この「感謝の缶詰」をぜひとも関西に届けたいと疋田先生も協力して、神戸ルミナリエにて販売されることとなりました。木の屋石巻水産さんと「みちのくあきんどオフィス」で一緒に仕事をしている高松さんも仲間に加わり、多くの東北の企業の商品が並ぶ、東北物産展が神戸ルミナリエで販売されることとなりました。

三浦さん、疋田先生や神戸夙川学院大学の学生さんが口を揃えておっしゃるのは、「神戸の人たちは温かい」ということです。神戸の多くの人たちは阪神淡路大震災を経験し、東日本大震災を人ごととは思えないという人たちが多いようにお客さんの様子を見て感じるのだそうです。しかも、神戸ルミナリエは震災復興の祈りが込められています。訪れる人の多くは、「やめてはならない」「続けてほしい」という声を多く聞きます。神戸の人たちにとって、震災とはけして忘れてはならない、伝え続けなければならないものとして心に刻み込まれているようでした。
東北物産展の商品を購入していくお客さんの多くは「何か東北のためにしたいけれど、関西から遠い。」という想いを持っていらっしゃるようだと、ボランティアの学生さんたちは口を揃えます。そして、東北の商品だとわかると大量に購入していってくれるそうです。段ボール一箱購入した人もいるそうです。
ある学生さんにお話を伺うと、はじめは興味本位でこの物産展のボランティアに参加したそうです。しかし、お客さんの会話を聞いたり、購入していく様子をみていくうちに自分も何かしなければならないという気持ちに変わっていったそうです。

(左から疋田先生、三浦さん、高松さん)
「震災」というキーワードで繋がる東北と神戸。ルミナリエという震災復興を願う光の中に確かに東北の人と神戸の人の繋がりがありました。商品を届けることによって結びつく復興の一滴一滴は、多くの人を巻き込んで一つの流れとなりつつあります。
繋がることによって広がっていく「縁」が復興への特効薬であると感じた瞬間でした。
これからも、みちのくあきんどオフィス「東北物産展」をおいかけていきたいと思います。