ここは「つなプロ」のその後ということで、書かせて頂いてますが
決して「つなプロ」は主軸の活動が終わったのではなく
避難所へのアプローチを継続的に行いながら
それぞれが専門性のある分野へも活動の幅を広げているのです。
つまり「つなプロ」内、さらに言えばややこしくなりますが
「やっぺす石巻」という団体とも連携して、
いろいろな活動が枝状に結び付いていると言ったところです。
―――――――
続きまして登場いたしますのは、つなプロ1期で
「やっぱりイナバ100人付き合っても大丈夫」のキャッチフレーズを頂いた稲葉さん。
教育を軸に東京で「カタリバ」を創業されたお方。
アプローチ対象は、次の大人である中高生の普通の子。
そしてここ「完成出来てないオトナコドモ」に大学生を絡めることで
双方に気づきや学びを作っている。
潜在的に何か種をもっているけど、
自分ではその種をなかなか咲かせる事が出来ない。
やらないで、自分には出来ないって思っちゃってる子に
アプローチをして、「きっかけ」を提供している。
震災後は石巻の寺子屋なるものを中心に以下、3点をおこなっている。
・居場所づくり
・学習サポート
・ユースプロジェクト
「震災はもともとあった潜在的な問題解決のいい契機」
に、曲がりなりにもなったんではないかと稲葉さん。
震災後は何をやっても、「ありがとう」と言われる。感謝される。
これが子ども達には、何よりの糧となる。
そして現在、子どもたちが頑張っている
大人の写真にとって個展を開くことを画策中。
CANNONに協賛を取りに行ってる最中だとか(^^)
せんだい・みやぎNPOセンターの
紅邑さんもおっしゃってたという
「子どもの頑張り→対価。これが出来ればイノベーションだよね」
確かに、子どもの時って何か頑張って
褒められたり、何か次に繋がるものがあると、すっっごく嬉しかったっけ。
そしてワクワクして、もっと頑張ろうって思って、
その物事を自然と好きになったり得意になったり。
子どもの未来への種まき。
これほど未知数で可能性は無限大な投資はない。
石巻の子どもたち!ミサンガをありがとう。
今も私の左手にはついています。
目標の1万本=1万人のボランティアに届きますように(v_v)♪
http://www.asahi.com/national/update/0420/TKY201104200101.html
――−‐‐‐‐‐‐
その他も「つなプロ」は面白い事がたくさん!
*あんどぅーさんは漁協の会議に出席するらしい
*南三陸で大変お世話になった「及川さん(いっぱいいますが、あの及川さん!)」が
海洋博物館を復活させて、ニッチの集客を志津川荘で!と考えておられすらしい
*友廣さんのゲリラ隊「トモノテ」は、
石巻の地元では有名な缶詰屋さんで缶詰拾いをしていると。
メディアにもよく出ているけど、42万個とも言われる缶詰が埋もれている工場内。
もともと缶詰は保存食だから、外が泥だらけでも食べれるから
それを発掘して、綺麗にして、安く販売している。
そして缶詰の中身は絶品!!らしい
みなさんもお手元に届く事があれば、是非!ご賞味ください。
http://tomonote.org/
そんな感じで、「つなプロ」のその後のお話は一端終わり。
この中にも震災後の「今」と「今後」を考える上でのヒントが沢山あります。
地元の人の雇用に繋がるために、どんなお手伝いが出来るかな。
ない頭をフル稼働だ!!!!
岡あゆみ
2011年05月31日
「つなプロ」のその後@
以前にも書かせて頂いたように、
山中さんと私はつなプロの南三陸烈空隊で出会いました。
その後、つなプロとは離れてJAEの活動として
関西企業連携復興支援プロジェクトを行っているわけなんですが、
現地で動いたり、情報を得ようと思うと、
継続的に滞在しているつなプロの人脈が欠かせないわけなんです。
そんなこんなで今回も南三陸を回る為に、
つなプロの陰の本拠地である香林寺へ
ここに来るまで過酷な道でした・・・・
回想すると
仙台を22時ごろ軽トラで出発
なんと山中さんはミッションの軽トラを運転するの10年ぶり・・・
どったんばったん揺られながら、高速に乗り北へ!
と思いきや夜間は道路修復の為、途中で高速をおろされ
明りの少ない田舎道をぼつぼつと・・・
といった感じで、香林寺に着くと
なんとこの日は、ボランティアの第7期の打ち上げ会。
みんなビールを持って、熱く語らっておりました。
そこに入れてもらって、今、それぞれがどんな活動をしているのかを伺いました!
――友廣さん 牡鹿地区にコミット
わかめの養殖を10月から始めるために動いている。
この資金を集めるために、地元に元々あるもので、元手いらずで
地元の人が簡単に作れるもの!ということで、目を付けたのが
牡鹿の角
牡鹿の角がそこらしゅうに落ちていて、これなんか使えないかな?と思っていたところに
偶然にも牡鹿の角で工芸品を作っている方を発見!ということで、
地元のおばちゃんたちと内職に励んでいるようです。
ちょっと言い方は悪いかもしれないけど、東北のもの!といえば
1年くらいは何でも売れる。関心が高いうちに売れるモノを売って、
チャリティーで今後の事業資金を集めて、支援が途絶えた後も
地元の人が事業を営んで、生計を立てていけるようにと。
具体的には、お弁当屋さんを作ろうとしている。
牡鹿半島にはこれまでほとんどお店がなかった。
これからインフラ整備などで業者さんは必ずやってくるから
そこをターゲットに商売をしようというのだ。
すごい先を見据えて、一手二手と展開を考えている。
流石つなプロ1期で結婚したい男 NO.1 !!
次へ続く〜
岡あゆみ
山中さんと私はつなプロの南三陸烈空隊で出会いました。
その後、つなプロとは離れてJAEの活動として
関西企業連携復興支援プロジェクトを行っているわけなんですが、
現地で動いたり、情報を得ようと思うと、
継続的に滞在しているつなプロの人脈が欠かせないわけなんです。
そんなこんなで今回も南三陸を回る為に、
つなプロの陰の本拠地である香林寺へ
ここに来るまで過酷な道でした・・・・
回想すると
仙台を22時ごろ軽トラで出発
なんと山中さんはミッションの軽トラを運転するの10年ぶり・・・
どったんばったん揺られながら、高速に乗り北へ!
と思いきや夜間は道路修復の為、途中で高速をおろされ
明りの少ない田舎道をぼつぼつと・・・
といった感じで、香林寺に着くと
なんとこの日は、ボランティアの第7期の打ち上げ会。
みんなビールを持って、熱く語らっておりました。
そこに入れてもらって、今、それぞれがどんな活動をしているのかを伺いました!
――友廣さん 牡鹿地区にコミット
わかめの養殖を10月から始めるために動いている。
この資金を集めるために、地元に元々あるもので、元手いらずで
地元の人が簡単に作れるもの!ということで、目を付けたのが
牡鹿の角
牡鹿の角がそこらしゅうに落ちていて、これなんか使えないかな?と思っていたところに
偶然にも牡鹿の角で工芸品を作っている方を発見!ということで、
地元のおばちゃんたちと内職に励んでいるようです。
ちょっと言い方は悪いかもしれないけど、東北のもの!といえば
1年くらいは何でも売れる。関心が高いうちに売れるモノを売って、
チャリティーで今後の事業資金を集めて、支援が途絶えた後も
地元の人が事業を営んで、生計を立てていけるようにと。
具体的には、お弁当屋さんを作ろうとしている。
牡鹿半島にはこれまでほとんどお店がなかった。
これからインフラ整備などで業者さんは必ずやってくるから
そこをターゲットに商売をしようというのだ。
すごい先を見据えて、一手二手と展開を考えている。
流石つなプロ1期で結婚したい男 NO.1 !!
次へ続く〜
岡あゆみ
2011年05月25日
東北みらつくプロジェクト
東北みらつくプロジェクトの事業図案とミッション・ポリシーを一同に発信いたします★
◇事業図案

◇ミッション
東北事業者の未来への想いを関西企業と繋ぎ、シゴトを創る
◇ポリシー
@未来に向かって自立的に頑張ろうとする事業者を後押しする
A持続可能な支援にするために関西企業にとっても経済性を確保する
B次世代を担う若者をプロジェクトのメンバーとして巻き込む
以上のもとに、邁進していきます!
岡あゆみ
◇事業図案

◇ミッション
東北事業者の未来への想いを関西企業と繋ぎ、シゴトを創る
◇ポリシー
@未来に向かって自立的に頑張ろうとする事業者を後押しする
A持続可能な支援にするために関西企業にとっても経済性を確保する
B次世代を担う若者をプロジェクトのメンバーとして巻き込む
以上のもとに、邁進していきます!
岡あゆみ
2011年05月08日
JAE 復興支援プロジェクト
私たちは、NPO法人JAE(日本アントレプレナーシップアカデミー)として
復興支援プロジェクト準備事務局を立ち上げました。
この立ち上げは、JAEの理事長である山中昌幸氏と私の出会いに始まります。
はじめに ( https://blog.canpan.info/jaetohoku/archive/2 )
でも少し触れさせていただきましたが、「つなプロ」の活動に参加した際に
南三陸烈空隊 隊長をつとめていた山中さんと出会いました。
そして震災について語るうちに、「雇用」が必要であるとの
共通の想いから、一緒に活動させていただく事となりました。
これ、とてもすごい事なんです!
だって被災地でたった数日顔を合わせて、
話を少ししただけでこのように動き出したのですから!
ゆってしまえば、知らないおじさんについてきてしまったとも。笑
******
さてさて、具体的に私たち復興支援プロジェクト準備事務局は
関西と東北の企業を支援ではなくビジネスで繋ぐコーディネーターを担おうとしています。
平素よりJAEでは、多くの関西企業とのつながりをもっており
震災後、山中さんが現地に入っていたことから
「何か」したいとの声を多く寄せて頂いていました。
関西と東北は地理的な不便もありこれまで繋がりがあまりなく、
「何かしたい」と思ったときに、「誰に」「何を」「どのように」するのが良いのか
掴めないという現状があったのです。
ここを私たちが間に入り、関西企業のできることを集約・被災企業のニーズ把握をおこない
コーディネートに徹する事で、情報を円滑に提供していこうと考えています。
そしてビジネスとしてマッチングできるところを繋いでいき、
支援という短絡的な形ではなく、末永くビジネスパートナーとしてあり続けられる
関係構築の一助を担えればと考えています。
ここまで読んで頂いた方で、「ん?どこかで見た構図だな?」と、
思われたそこのあなた!鋭いですね。
これはまさに、「つなプロ」の産業振興版そのものなのです。
山中さんと私が、「つなプロ」で活動した事により
避難所から企業へと対象を変えて、この構図を使わせて頂いています。
そんな形で動いている、関西企業連携復興支援プロジェクトを
以後よろしくお願いいたします。
岡あゆみ
2011年05月06日
はじめに
3.11. 東日本大震災
被災された皆さまとご家族に心からお見舞い申しあげるとともに、
1日も早い復興復旧をお祈り致します。
****************
当ブログで拙いながら筆をとらせて頂きます、岡あゆみと申します。
私は、3月28日より「被災者とNPOを繋いで支える合同プロジェクト」の
ボランティアとして、宮城県に入りました。
詳しくは以下詳細 つなプロ
https://blog.canpan.info/tsunapro/
避難所を回りお困りごとのサポートをしていく中で、
多方面からの支援で、曲がりなりにも生活ベースが整えられていく動きを見ました。
そして今後を考えた時に、何より望まれる事は「雇用」であると強く感じました。
あるおばあちゃんは、長引く避難所生活で呆けてきたといいます。
毎日が単調で時間・曜日感覚がなく、季節もわからないと。
最初はなんでかわららなかっ私も、話を聞いて行くうちに納得。
ふつうは朝になれば、家族が学校や仕事に出かける時間があって、夕方になったら帰ってくる時間がある。休みの日があったり、寄り合いの日があったり。
そして4月に入って温かくなったら、芋の苗を植えて、田んぼを耕して田植えの準備をする。
そんな当たり前がなくなってしまった。
今さらかもしれないけど生活リズムって、
いろんな意味の「仕事」で作られていたものだったんだと改めて気づいた。
あるおじいちゃんは避難所生活をしていて、やっと家に帰れるようになり、
家に片づけをしていく中で段々元気になってきたという。
表情も明るくなって、いきいきしてきた!と家族の人。
おじいちゃんだって、じっとしてればいいってもんじゃない。
余計気持ちも沈んでしまう。
何でもいい、自分に役割・仕事があってこそ、人って本当に輝けるんだと思う。
支援ももちろん必要。なくてはならない。
でも支援に頼らなくても生活ができるようになったら、
今度はその生活を自分の力で送っていく、そんな仕組みがなくてはならない。
そんな想いから、私は今の活動に身をおいています。
(これについては次の記事に詳しく書きますね!)
当ブログでは、そんな想いのもと活動している様子を伝えていきます。
メディアや新聞ではまず取り上げられない、
地表スレスレの小さな話や地元企業・事業者さんの声。
インパクトは少ないかもしれないけど、
震災後の「今」を知る上で、欠かせないものだと思います。
至らない点も多く、拙い文章ですが、みなさんに伝えたい事を
徒然なるままに毎日キーボードに向かって発信していきます。
今後ともよろしくお願いいたします。
岡あゆみ
被災された皆さまとご家族に心からお見舞い申しあげるとともに、
1日も早い復興復旧をお祈り致します。
****************
当ブログで拙いながら筆をとらせて頂きます、岡あゆみと申します。
私は、3月28日より「被災者とNPOを繋いで支える合同プロジェクト」の
ボランティアとして、宮城県に入りました。
詳しくは以下詳細 つなプロ
https://blog.canpan.info/tsunapro/
避難所を回りお困りごとのサポートをしていく中で、
多方面からの支援で、曲がりなりにも生活ベースが整えられていく動きを見ました。
そして今後を考えた時に、何より望まれる事は「雇用」であると強く感じました。
あるおばあちゃんは、長引く避難所生活で呆けてきたといいます。
毎日が単調で時間・曜日感覚がなく、季節もわからないと。
最初はなんでかわららなかっ私も、話を聞いて行くうちに納得。
ふつうは朝になれば、家族が学校や仕事に出かける時間があって、夕方になったら帰ってくる時間がある。休みの日があったり、寄り合いの日があったり。
そして4月に入って温かくなったら、芋の苗を植えて、田んぼを耕して田植えの準備をする。
そんな当たり前がなくなってしまった。
今さらかもしれないけど生活リズムって、
いろんな意味の「仕事」で作られていたものだったんだと改めて気づいた。
あるおじいちゃんは避難所生活をしていて、やっと家に帰れるようになり、
家に片づけをしていく中で段々元気になってきたという。
表情も明るくなって、いきいきしてきた!と家族の人。
おじいちゃんだって、じっとしてればいいってもんじゃない。
余計気持ちも沈んでしまう。
何でもいい、自分に役割・仕事があってこそ、人って本当に輝けるんだと思う。
支援ももちろん必要。なくてはならない。
でも支援に頼らなくても生活ができるようになったら、
今度はその生活を自分の力で送っていく、そんな仕組みがなくてはならない。
そんな想いから、私は今の活動に身をおいています。
(これについては次の記事に詳しく書きますね!)
当ブログでは、そんな想いのもと活動している様子を伝えていきます。
メディアや新聞ではまず取り上げられない、
地表スレスレの小さな話や地元企業・事業者さんの声。
インパクトは少ないかもしれないけど、
震災後の「今」を知る上で、欠かせないものだと思います。
至らない点も多く、拙い文章ですが、みなさんに伝えたい事を
徒然なるままに毎日キーボードに向かって発信していきます。
今後ともよろしくお願いいたします。
岡あゆみ