京都CSR研究会にて、河北新報社 論説委員長 鈴木素雄氏の講演を聞いてきました。
今一度、東北復興を考えるうえで、とても有意義な機会を頂いたことに、感謝です。
---新聞の意義---
3.11以前から防災について、再三啓発活動をしてきた。
災害時の対応、避難場所、それへの備えなど。
これは日本のどのメディアよりも自負できると。
しかしながら、これら防災策は全て1978年を想定したものだった。
指定避難場所に避難した人も、多くが津波に襲われなくなった現実。
「 何を書いたらいいんだ? 」
筆が進まない。
記者の方々はまさにそんな状態であったという。
新聞は社会の木鐸、権力の監視機能なんて綺麗事を言っていられない。
客観報道をしてる場合じゃない。
被災者、被災地に寄り添って、その共感を紙面に出していくことだけを考え、そして、提言していく。
「被災者の視線にたて、境地を訴えろ!」と、論説委員長である鈴木氏は記者たちに指示をした。
社説の体を成してないものを、書いた。
震災発生直後の社説 表題:「生きてほしい!」
被災地に行く記者にもご飯を与えられない状況時の社説 表題:「HELP!」
また印象的だった事として、
3月11日の号外午後8時ごろ、光のない中で配られた号外を、携帯の明かりで見ている光景は
唯一新聞だけが、その日何が起きたのかを伝えるものだった。
苦しい中で書いた紙面が大切なことを伝えていく。
「新聞記者名利に尽きる光景だった」
---企業の社会的責任---
企業の社会的責任とは何か。
災害時において、 河北新報社は新聞社として、新聞を出し続ける事が、それであったと鈴木氏。
餅は餅屋 本業にまずは特化すること、本業を最大限に活かした社会貢献こそが、CSR活動であるはずだという。
「企業にもたくさんのドラマがあった」と、いくつかのストーリーが挙げられた。
岩手県大船渡市に本社を置く株式会社マイアの社長は
スーパーの社会的責任は、「ものを売ること」
とにかくいろんなルートを使って仕入・販売
100円・200円・300円と、どんぶり勘定で震災翌日から販売を再開した。
マイアの社長は、松下幸之助氏の
「理を追いかければ理は逃げていく、お客を追えばお客は逃げていく」
との言葉を思い起こし、食のライフラインを守り続けたという。
そして、特に仙台のダイエーが凄かったと語る。
1995年の震災で、綿密なマニュアルを作っていた当社は、
震災直後より確かな流通網を確保していた。
仙台のダイエー店は長い時に3キロくらい行列だったという。
「ダイエーのノウハウは流通業の全てに共有して欲しい」と仰られていた。
緊急時には、現場の意思決定が全てだったと、鈴木氏。
餅は餅屋で、それぞれの企業が得意分野に特化してこそ、道は開けていくと。
----フッコウとは----
最後に、「東北復興」を考える上で、とても興味深いお話をしてくださった。
河北新報社の創業の精神には、ある種のレジスタンスの精神があるという。
1897年1月17日に一力健次郎によって創刊された当紙は、「東北振興」と「不羈独立」を社是とした。
明治維新以来、「白河以北一山百文」と軽視されていた東北を、
まず東北を開くことによって、その差別意識を払拭したい、と。
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以上、講演会でのお話を簡単にまとめてみました。
東北フッコウという言葉が、100年も前より意識されてきたことだと知り、
今一度フッコウを考えるうえで大切なことを教えて頂いきました。
岡あゆみ