東北みらつくプロジェクトの事業図案とミッション・ポリシーを一同に発信いたします★
◇事業図案
◇ミッション
東北事業者の未来への想いを関西企業と繋ぎ、シゴトを創る
◇ポリシー
@未来に向かって自立的に頑張ろうとする事業者を後押しする
A持続可能な支援にするために関西企業にとっても経済性を確保する
B次世代を担う若者をプロジェクトのメンバーとして巻き込む
以上のもとに、邁進していきます!
岡あゆみ
2011年05月25日
2011年05月08日
JAE 復興支援プロジェクト
私たちは、NPO法人JAE(日本アントレプレナーシップアカデミー)として
復興支援プロジェクト準備事務局を立ち上げました。
この立ち上げは、JAEの理事長である山中昌幸氏と私の出会いに始まります。
はじめに ( https://blog.canpan.info/jaetohoku/archive/2 )
でも少し触れさせていただきましたが、「つなプロ」の活動に参加した際に
南三陸烈空隊 隊長をつとめていた山中さんと出会いました。
そして震災について語るうちに、「雇用」が必要であるとの
共通の想いから、一緒に活動させていただく事となりました。
これ、とてもすごい事なんです!
だって被災地でたった数日顔を合わせて、
話を少ししただけでこのように動き出したのですから!
ゆってしまえば、知らないおじさんについてきてしまったとも。笑
******
さてさて、具体的に私たち復興支援プロジェクト準備事務局は
関西と東北の企業を支援ではなくビジネスで繋ぐコーディネーターを担おうとしています。
平素よりJAEでは、多くの関西企業とのつながりをもっており
震災後、山中さんが現地に入っていたことから
「何か」したいとの声を多く寄せて頂いていました。
関西と東北は地理的な不便もありこれまで繋がりがあまりなく、
「何かしたい」と思ったときに、「誰に」「何を」「どのように」するのが良いのか
掴めないという現状があったのです。
ここを私たちが間に入り、関西企業のできることを集約・被災企業のニーズ把握をおこない
コーディネートに徹する事で、情報を円滑に提供していこうと考えています。
そしてビジネスとしてマッチングできるところを繋いでいき、
支援という短絡的な形ではなく、末永くビジネスパートナーとしてあり続けられる
関係構築の一助を担えればと考えています。
ここまで読んで頂いた方で、「ん?どこかで見た構図だな?」と、
思われたそこのあなた!鋭いですね。
これはまさに、「つなプロ」の産業振興版そのものなのです。
山中さんと私が、「つなプロ」で活動した事により
避難所から企業へと対象を変えて、この構図を使わせて頂いています。
そんな形で動いている、関西企業連携復興支援プロジェクトを
以後よろしくお願いいたします。
岡あゆみ
2011年05月06日
はじめに
3.11. 東日本大震災
被災された皆さまとご家族に心からお見舞い申しあげるとともに、
1日も早い復興復旧をお祈り致します。
****************
当ブログで拙いながら筆をとらせて頂きます、岡あゆみと申します。
私は、3月28日より「被災者とNPOを繋いで支える合同プロジェクト」の
ボランティアとして、宮城県に入りました。
詳しくは以下詳細 つなプロ
https://blog.canpan.info/tsunapro/
避難所を回りお困りごとのサポートをしていく中で、
多方面からの支援で、曲がりなりにも生活ベースが整えられていく動きを見ました。
そして今後を考えた時に、何より望まれる事は「雇用」であると強く感じました。
あるおばあちゃんは、長引く避難所生活で呆けてきたといいます。
毎日が単調で時間・曜日感覚がなく、季節もわからないと。
最初はなんでかわららなかっ私も、話を聞いて行くうちに納得。
ふつうは朝になれば、家族が学校や仕事に出かける時間があって、夕方になったら帰ってくる時間がある。休みの日があったり、寄り合いの日があったり。
そして4月に入って温かくなったら、芋の苗を植えて、田んぼを耕して田植えの準備をする。
そんな当たり前がなくなってしまった。
今さらかもしれないけど生活リズムって、
いろんな意味の「仕事」で作られていたものだったんだと改めて気づいた。
あるおじいちゃんは避難所生活をしていて、やっと家に帰れるようになり、
家に片づけをしていく中で段々元気になってきたという。
表情も明るくなって、いきいきしてきた!と家族の人。
おじいちゃんだって、じっとしてればいいってもんじゃない。
余計気持ちも沈んでしまう。
何でもいい、自分に役割・仕事があってこそ、人って本当に輝けるんだと思う。
支援ももちろん必要。なくてはならない。
でも支援に頼らなくても生活ができるようになったら、
今度はその生活を自分の力で送っていく、そんな仕組みがなくてはならない。
そんな想いから、私は今の活動に身をおいています。
(これについては次の記事に詳しく書きますね!)
当ブログでは、そんな想いのもと活動している様子を伝えていきます。
メディアや新聞ではまず取り上げられない、
地表スレスレの小さな話や地元企業・事業者さんの声。
インパクトは少ないかもしれないけど、
震災後の「今」を知る上で、欠かせないものだと思います。
至らない点も多く、拙い文章ですが、みなさんに伝えたい事を
徒然なるままに毎日キーボードに向かって発信していきます。
今後ともよろしくお願いいたします。
岡あゆみ
被災された皆さまとご家族に心からお見舞い申しあげるとともに、
1日も早い復興復旧をお祈り致します。
****************
当ブログで拙いながら筆をとらせて頂きます、岡あゆみと申します。
私は、3月28日より「被災者とNPOを繋いで支える合同プロジェクト」の
ボランティアとして、宮城県に入りました。
詳しくは以下詳細 つなプロ
https://blog.canpan.info/tsunapro/
避難所を回りお困りごとのサポートをしていく中で、
多方面からの支援で、曲がりなりにも生活ベースが整えられていく動きを見ました。
そして今後を考えた時に、何より望まれる事は「雇用」であると強く感じました。
あるおばあちゃんは、長引く避難所生活で呆けてきたといいます。
毎日が単調で時間・曜日感覚がなく、季節もわからないと。
最初はなんでかわららなかっ私も、話を聞いて行くうちに納得。
ふつうは朝になれば、家族が学校や仕事に出かける時間があって、夕方になったら帰ってくる時間がある。休みの日があったり、寄り合いの日があったり。
そして4月に入って温かくなったら、芋の苗を植えて、田んぼを耕して田植えの準備をする。
そんな当たり前がなくなってしまった。
今さらかもしれないけど生活リズムって、
いろんな意味の「仕事」で作られていたものだったんだと改めて気づいた。
あるおじいちゃんは避難所生活をしていて、やっと家に帰れるようになり、
家に片づけをしていく中で段々元気になってきたという。
表情も明るくなって、いきいきしてきた!と家族の人。
おじいちゃんだって、じっとしてればいいってもんじゃない。
余計気持ちも沈んでしまう。
何でもいい、自分に役割・仕事があってこそ、人って本当に輝けるんだと思う。
支援ももちろん必要。なくてはならない。
でも支援に頼らなくても生活ができるようになったら、
今度はその生活を自分の力で送っていく、そんな仕組みがなくてはならない。
そんな想いから、私は今の活動に身をおいています。
(これについては次の記事に詳しく書きますね!)
当ブログでは、そんな想いのもと活動している様子を伝えていきます。
メディアや新聞ではまず取り上げられない、
地表スレスレの小さな話や地元企業・事業者さんの声。
インパクトは少ないかもしれないけど、
震災後の「今」を知る上で、欠かせないものだと思います。
至らない点も多く、拙い文章ですが、みなさんに伝えたい事を
徒然なるままに毎日キーボードに向かって発信していきます。
今後ともよろしくお願いいたします。
岡あゆみ