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2012年08月09日

学生の本気がプロジェクトを動かす


5月12日のブログでもご紹介させて頂いた、滋賀大学の夏季集中講座
「被災地応援プロジェクト」へ協力してきました晴れぴかぴか(新しい)


この集中講座は、企業の本業×被災地支援をテーマとしており、
私たちの前には、企業として3.11に関わっている2社が講義をしている。
マイクロ・ファイナンスで被災企業の再建に取り組む、でミュージック・セキュリティーズと
塩害農地の再生に取り組む、株式会社MY FARMのお話は、被災地の様々な課題を改めて痛感する内容であり
企業の力強さを感じるものであったとの事。

私たちは、そこにプラスして「関西にいても」「学生だから」出来ることを伝えたい。
実際に企業と一緒になって実際に活動している学生とともに伺った。

元気だ状プロジェクト 
大阪大学4回生 鍛冶屋くん
立命館大学3回生 服部くん

ミンナDEカオウヤプロジェクト 
花園大学3回生 東本くん

そして私、同志社大学5回生の岡あゆみ、以上4名が同じ学生の視点で
各プロジェクトの活動内容、今後の展望、滋賀大学と共に出来ることを提案。


まずは導入として、NPO法人日本アントレプレナーシップアカデミー理事長の山中さんのお話から
学生が企業とともに挑戦する意義・可能性についてのお話から始まり、
その後、被災地に向けて活動する各プロジェクトの説明に入った。

学生に対し、同じ学生が授業をする。
これ自体なかなかない機会。
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ミンナDEカオウヤプロジェクトについて説明する東本くん


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なぜ活動に携わろうと思ったのか、3.11後の自身の心の動きを話す服部くん


同じ関西にいても、ほとんどの人が元気だ状やミンナDEカオウヤの動きを知らず、衝撃は大きかったよう。
ある滋賀大学の学生からは...
「元気だ状に衝撃を受けた。年賀状は出しにくいだろうから、それに代わるものを立ち上げよう。
そんな小さな事も復興に繋がるとは考えもしなかった。被災を受けた場所・人に対してばかりに目がいっていた。」

との感想を得た。
新たな復興に関わる視点を持つことにも繋がったようだ。

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元気だ状プロジェクトの立ち上げの経緯を話す鍛冶屋くん



滋賀大学からは、この日、10名の学生が参加。
講義開講前のアンケートでは、
「何かしたいけど、何をしたらいいのか分からない」
「被災地にボランティアに行きたかったけど、時間やお金の関係で行けなかった」
「関西からでも出来ることを考えたい」

など、1歩踏み出せずにいる様子が伺えていた。

しかし講義の後半、この日の授業を受けて自分が感じたこと、思ったことなどを
一人一人紙に書いたところ・・・
「 行動 」「 発進 」など、ここから次へ動き出そうという言葉がたくさん!

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「何かしたい」
そう想っている滋賀大学の学生に動き出すきっかけを
与えるものになっていれば幸いだ。


岡あゆみ

2012年08月07日

EAST LOOP プロジェクト

株式会社福市でEAST LOOPプロジェクトを担当している、海老川広子さんを取材に伺った。

同社はかねてから本業として、社会的に弱い立場にいる人々に、
働く事から生きていく力を与える「フェアトレード」を展開してきた。
そんな中、3.11の震災が起こり「海外の支援も大切だが、同時に東北の人たちを助けなければ。」と、
これまで培ったノウハウを生かし、NPO法人遠野山・里・暮らしネットワークに協力いただき、
被災地と全国を繋げるEAST LOOPプロジェクトを立ち上げた。
EAST LOOPプロジェクトのHP

仮設住宅でもかぎ針ひとつで、場所をとらずにできるものとして、
デザインはニットなどのデザーナーの岩切エミさんの協力を得て
被災地に仕事を作る最初の商品ハートブローチが生まれた。
商品代金800円(税抜)のうち、50%の400円が作り手さんに送られる仕組みだ。
ひと編み、ひと編みが作り出すハートからは作り手さんの温かさが感じられる。

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写真:ピンク色のハートブローチ。カラー展開は赤・ピンク・ベージュ・きみどり・水色の5種類。

2011年7月から講習会などで作り手さんの輪を広げ、岩手県ではNPO法人遠野山・里・暮らしネットワーク、宮城県では石巻復興支援ネットワーク、東松島の婦人団体まざ〜らいんと協力しながら、現在総勢200名近くの作り手さんによってプロジェクトは形作られている。


-- 作り手さんの声
海老川さんが、岩手県宮古の作り手さんを訪問した際のお話を伺った。
 仮設住宅に入り、6畳の空間で夫と娘3人で暮らしていると、プライベートの時間がなくストレスが溜まる。
 先の不安 もあった中、お金が貰える事は勿論だけれど、とりあえず、手を動かせたのが救いだった。
 夫も最初は協力的じゃなかったが、最近では糸を巻くのを手伝ってくれている。
 なかなか仕事がなく、夫が働けない状況がある中で、このプロジェクトに参加してお金を得ることが出来、
 自分の自信になっている。こうゆうプロジェクトに参加できていることが誇らしい。
 頂いたお金は使おうと思っていたが、もったいなくて使えずにいる。貯めているんだ。
と、宮古の仮設住宅で暮らす作り手さんにお話を伺い、
「関西にいてだんだん気持ちが薄れていく中で、もっと頑張らないと!と思えた日だった。」 と海老川さん。


-- 商品として
支援でもあるが商品でもある。直接販売できる機会ばかりでなく、卸商品として自分たちの手を離れた販売機会も多い為、買って頂く人に喜んでもらう為には、商品という意識・基準をしっかりしなければいけない。被災地から届けられたハートブローチを一つ一つ検品して、基準に達しないものは作り手さんへ返している。商品としての完成度を高めているからこそ、様々な企業にも受け入れられイベントや店舗などの販売へと輪が広がっている。
東松島の婦人団体まざ〜らいんの方からは、
「不備などがある商品は、どんどん返してくれたら良いよ」
「高いお金を払って買ってくれているんだから、良いものを作らなきゃ」と。
一つでも多く売れることが仕事を生み出し、さらには作り手さん自身の働いているという意識を高める事に繋がっている。
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-- 作り手さんと応援する人を繋げるもの
商品を手にしたお客さんから「ミヨちゃんの買いました」「ばぁばさんの届きました」など、
Facebookページには購入した人の声がずらりと並ぶ。
商品の裏面に、制作した方のニックネームが書かれているからだ。
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株式会社福市では、その投稿された声を定期的に切り貼りして、作り手さんに届け、
そして、HPでは作り手さんからのメッセージを発信して、双方を繋げる仕組みを生み出した。
誰もが利用・投稿・閲覧可能なFacebookが、応援してくれる人々を巻き込むのに大きな役割を担っている。
EAST LOOPプロジェクトFacebookページ


-- 今後の展開
将来的にEAST LOOPプロジェクトは、株式会社福市の手を離れ、運営される形を目指しているそうだ。
現地の人にアンケートで意見聞きながら、何らかの形で現地に引き継ぎができないか模索中だ。
例えば販路開拓などは、現地での展開が望ましい。
地域の状況・作り手さんの意見をふまえ移転を進めていく予定だ。


株式会社福市は本業のフェアトレードは勿論、NPOではなく株式で社会貢献をしている。
助成金に頼ることなく利益を生み出し、継続的に事業を行っている。
「これからのソーシャルビジネスはそうゆう形でやっていかなければならない。本当にチャレンジ。」と、語る海老川さん。

今後のEAST LOOPプロジェクトが、支援から現地の人が自ら行う事業となり、どんな展開をするのか楽しみだ。


岡あゆみ

2012年07月15日

つながる支援 ハート トゥ ハートポーチ


つながる支援 ハート トゥ ハートポーチを企画・販売している
株式会社イストワールの加藤社長を取材に伺った。

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ハート トゥ ハートポーチは、2つのポーチを合わせるとハートの形になるデザイン。
この刺繍やパーツ付けを宮城県石巻のママ達が手掛けており、1点につき500円の工賃が送られる。
裏面には東北の子ども達の笑顔が咲き、開くたびにほっと心が温かくなると共に、
これからの東北の未来を担う子ども達の笑顔から被災地を忘れないことにも繋がっている。
子ども達の写真は、「笑顔に勝るデザインはない」と
世界中の笑顔を撮影しアート活動を展開しているMERRY PROJECT代表の水谷考次さん撮影のものだ。

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株式会社イストワールは「全ての人が幸福の物語の主人公になるために」を企業理念として掲げ、
服飾雑貨などを企画・製造・販売している。このハート トゥ ハートポーチでも
被災地支援という一方的な形ではなく、お客さんも巻き込んで震災復興に向けて
共に働き行動する物語を持った商品を展開できないか。

そして、生まれたのがパパママポーチだ。
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パパママポーチの裏地は自由に絵や文字をプリントすることが出来、
父の日や母の日に日頃の想いをのせてプレゼントするにはぴったりの商品。
もちろん表面の刺繍やパーツ付けは石巻のママ達によるもので、被災地のシゴト創りにも繋がっている。


「単発ではなく長く継続させていこうと考えると、被災地支援という
一方的な形や利己的な利益ではなく、『三方良しの精神を持った利益』を生む構造を作ることが大事。」
この考えは、パパママポーチで十分に表現されている。

買い手は良いもの買うことができ、さらには善を積める
上り手も売り上げが増えていき、商売を大きくできる
そして、このポーチが増えると、社会には親孝行が増えていく

「だからこそ、私たちはこのポーチをもっと本気で売っていかなければならない」と、語る加藤社長。



石巻のママ達と出会うきっかけになったのは、
2011年7月〜隔月で株式会社旅日記の星さんと盛和塾が共働で行っている
石巻震災復興創造ツアーで石巻復興支援ネットワークと繋がったことから。
この日伺った大阪の南堀江本店の店舗には、石巻復興支援ネットワークと
様々な企業がコラボして生まれた商品もたくさん並べられていた。

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2012年7月4日から梅田スカイビル 1F にリニューアルオープンした
ミンナDEカオウヤプロジェクトの「梅田スカイビルを被災地支援のメッカに!」との呼びかけに答え、
ハートトゥハートのポーチも当ビルで販売を開始している。

つながる支援 ハート トゥ ハートのポーチがどこまで繋がっていくのか、これからの活動が楽しみだ。



岡あゆみ

2012年06月07日

神戸の学生と商店街の協働


「これまで大学で学んだ事などが震災をきっかけとして、繋がり1つの形になった。」
そう振り返る、流通科学大学 RYUKA被災地復興サポートチームの代表 時井勇樹さんを取材に伺った。
この日は、神戸新長田の大正筋商店街で開催されたビエナフェスタで南三陸の物産販売。

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―はじまり
2010 年夏にラジオ関西主催により、「災害対応のためのマルチラジオカー人材育成講座」が開催された。地域災害が発生した時、現地の人が自ら臨時災害FMを立ち上げることが出来る人材を育成しようというものであり、このプログラムに参加した学生らが、3.11後、ラジオ関西からの呼びかけに賛同しRYUKA被災地復興サポートチームが結成された。そして南三陸町での臨時災害FM立ち上げに協力。(※現在、南三陸町で「FMみなさん」として自主運営されている)


―大正筋商店街との協働
南三陸町での臨時災害FM立ち上げを終え、神戸に戻ってきたRYUKA被災地復興サポートチームはかねてから親交のあった、大正筋商店街の株式会社味萬 伊東正和さんとともに神戸から何が出来るかを一緒に模索する。
2011年秋、伊東さんとサポートチームは、南三陸町に建設される仮設商店街に街灯を設置するため神戸ともしびプロジェクトを立ち上げ、新長田のイベントや大学内での募金活動により12月に12本の街頭を、南三陸さんさん商店街に届けた

伊東さんは、「町に灯りがないと気持ちまで暗くなってしまう。灯りがともればそこには人が集まる。1つの灯りにたくさんの人が集まると、温かくなる。12本という少ない数かもしれないけど、街頭を届けた商店街から「ありがとう」その声を聞いて、学生達はもっと何かしたいと動こうとしている。神戸ともしびプロジェクトの後も一緒にやりたいと思った。」と、振り返る。

RYUKA被災地復興サポートチーム代表の時井さんも、街頭を届けに行った際に、
「初めて被災者の顔が見えた。この人たちのために何かしたい。」

大正筋商店街のイベントを中心に、南三陸の物産販売が始まった。

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△時井さん、南三陸町の山内鮮魚店の商品を手に。

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△学生らの物産販売の様子


―それぞれの想い
時井さんは、自身たちの活動をきっかけ作りだという。
「大きなことはできないかもしれないけど、小さなことを積み上げていくことで、他のところからも東北を応援する活動が生まれている。神戸ともしびプロジェクトを知り賛同した神戸大学の学生からは、釜石市に街灯を届ける活動がはじまった。復興には10〜15年かかるといわれ、その時々でニーズは変わってくる。長い視点で関わることが何より大切。そのためにもお互いに利益ある形をとることが必要だと考えている。今後、計画中である東北居酒屋も「居酒屋やってみたい」「お酒が好き」など、それぞれの興味にあった部分から入ってもらう事で多くの人が気軽に集える場を作っていきたい。」

湊川商店街の空き店舗を学生で運営できないかと、商店街から大学に持ちかけられた話を東北居酒屋として、今後展開すべく7・8月のOPENに向け準備を進めている。


「10年後、子供が出来たときにお父さんはこんなことをしてたんだと語れる人になってほしい。」伊東さんは、そんな想いで彼らと関わっているという。
「若さとエネルギーをもらう代わりに、商店街だから教えられる事がある。学生たちは、知識はあるが知恵はない。損益分岐点などの経営に必要なことや、販売の際に心がける事など、実学を教えている。」
「商店街に来てるからには全部売って帰れ!そのくらいの気持ちでやれ。販売は戦争だ!」

時には、厳しい声をあげながらも、学生らが掲げた目標を達成できるように今後もサポートを続けたいと話してくれた。



流通科学大学が掲げる、実学の精神「実学を通して社会人として自律的に生きていける人物を育てる」

学生だけでは、決して成し得ないことも周囲の大人が学生にきっかけを与え、一緒に作り上げていこうとする環境と、かつての被災地から今の被災地を応援したい、その想いが共鳴して、神戸の地で南三陸町の商店街復興に向けたシゴトが生まれている。


岡あゆみ

2012年05月13日

岩手の食育とOlahono

盛岡の東屋 高橋さんから、盛岡で飲食店を経営されている仲間が
関西でのイベントを企画されているという事で、ご紹介を頂いた(有)秀吉さんとのイベントご報告です。

* 東屋さん 2011年7月29日の記事より
https://blog.canpan.info/jaetohoku/archive/26
* 秀吉さんのHP
www.hideyoshi-inc.com



‐--【5/12*みんなで岩手の美味しい食材を食べよう!】-‐‐

これまで秀吉さんは地元盛岡で、「里の幸会」と題し、生産者と消費者を繋ぐ会を実施してきた。
今回は、岩手を飛び出し初の関西!
5月10日〜15日に兵庫・大阪・奈良・京都の各所を
遠い岩手を少しでも身近に感じてもらおうと行脚した
(有)秀吉の渡邉ご姉弟の熱い想い・行動力には本当に感服だ。

私たち東北みらつくプロジェクトでは、5月12日にフロムエイト高松さんご協力のもと
大阪難波近くのまいど市にて、「みんなで岩手の美味しい食材を食べよう!」を開催した。
(有)秀吉さんが震災後立ち上げられた「Olahono〜おらほの〜」の活動を広報すると共に
まいど市登龍門さんのご協力で岩手のおいしい食材をふんだんに使った料理を食べて、
岩手弁を聞いて、生産者さんの声を映像で見て、と五感で岩手を感じる会となった。

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岩手県盛岡市で焼き鳥屋、イタリア料理、和食の店など
飲食店を37年営んできた秀吉さんは、
「自分たちが商売してこれたのも美味しい食材を作る一次産業があったから」と言う。

3.11があり生産がままならなくなった水産業・農業。
カキ養殖は、いかだ作りから始めなければならない状況にあるという。
いかだを作り、そこに種をつけ育成させ収穫までにかかる期間はおよそ3年。
陸前高田では震災前に30名いたカキ養殖者の内、10人が再開を決めた。
3年間収入は見込めない事、いかだを作ると借金が増えていくばかりである事を前提に再開を決断したのだ。

震災が起こり、食の需要が東北から様々な地へ代替される中
東北の食が本当の意味で復興した時にはもう消費者はいない。
生産者と消費者がリアルに繋がっていける仕組みを作らなければいけない。
そんな想いから、Olahonoの活動は始まったという。

「おらほの」は方言で「私の」という意味だ。
まさに自分のハタケを持っているように消費者の方々に感じてもらい、
多くの人を岩手の食の復興に巻き込んでいく仕掛けである。

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今回、参加いただいた方々から色々な声があった。
まいど市の森本理事長
「東北は遠い!関西にいるとやっぱり忘れがちになる。
被災者の為じゃなくて、本当に美味しいんだっていう事をPRしていけるような、仕掛けづくりが必要。
そのために、まいど市には高松さんがいるんだから、東北・関西、双方の声を受発信できる窓口に使ってもらってもいい」

フロムエイト高松さん
「秀吉さんのおかげで良いヒントを貰った。
今度は福島や宮城版をまいど市でやっていきたい。」

他にも
「東北のために何かしたいと、これまで寄付をたくさんしてきた。
でもそれがどこに流れ何に使われたのか全く分からない。
支援内容を明確に、見える形で示してほしい!」



秀吉さんが立ち上げられた「Olahono〜おらほの〜」は
支援する相手の顔も見え、その後も定期的に情報を発信する仕組みがある。
東北の生産者の方々も、待ってくれている人が見える事によってさらに前に進めるはずだ。

1年ほど前、支援には5つのフェーズがあると、ある岩手の経営者から教えて頂いた。

1 緊急支援
2 必要支援
3 希望支援
4 教育支援
5 進化支援

3.11から1年が過ぎた今、求められているのは3〜5の支援。
Olahonoは「希望支援」に当たるのではないかと思う。
10・20年とかかるといわれる復興への道を、支えるために
「忘れていない」「待ってるよ」という姿勢を伝えることが出来るこの仕組みは、
もっと広げていく意義がある活動だと、私自身感じさせていただいた。




****


ご協力いただいた、フロムエイト高松さん、まいど市の皆様、
そして何より岩手から生産者の声を伝えに来て下さった
有限会社秀吉の渡邉ご姉弟様、本当に有難うございました。

また秀吉さんは、岩手のこだわりの食材をS-FARMという屋号でネット販売もしており
「これから東北のものも扱っていきたい」と、お考えの飲食店様には
是非、「Olahono〜おらほの〜」のサイトと共にチェック頂きたい。



岡あゆみ

2012年05月12日

滋賀大学から高田友美さんがお越しくださいました★


滋賀大学経済学部にて、就業力育成支援事業の担当教員として
勤務されている高田友美さんが、大阪オフィスにお越しくださいましたexclamation
「企業の本業×被災地支援(仮)」をテーマとした、シリーズ講義を検討されているという事で
一緒に授業づくりが出来ないかとのご相談ぴかぴか(新しい)

滋賀大学が取り組まれている就業力育成支援事業 
http://www.econ.shiga-u.ac.jp/main.cgi?c=28


これまでも地域活性化にいろいろな形で取り組まれていた高田さんは
山中さんとも旧知の仲らしく、日本各地の興味深い話題で盛り上がりました (*^^*)

東北みらつくプロジェクトとしては、関係の深い、
元気だ状やなまずん事業を始め、実際に企業と一緒になって活動している
学生たちと一緒に、何かしたいと考えている滋賀大学の学生が一歩を踏み出す
機会作りに協力していきたいなぁと、考えています。

これまで滋賀の方にはあまり繋がりがなかったのですが、
ここから滋賀の学生と一緒に、東北と繋がる機会が生まれていきそうで、わくわくです晴れ

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さらに、高田さんは12日に難波で開催した
「みんなで岩手のおいしい食材を食べよう!」の主催者である
岩手の(有)秀吉の渡邉さんとも、かねてからのお知り合いだそうるんるん

世間は狭いなぁと感じつつ、志を同じくする人たちは
どんどん繋がっていくと、素敵な出会いに改めて感謝!な、一日でしたかわいい


岡あゆみ
posted by Ayumi at 23:24| Comment(1) | TrackBack(0) | @関西

2012年05月07日

【5/12】みんなで岩手のおいしい食材を食べよう!【大阪開催】


岩手県盛岡市で焼き鳥屋、イタリア料理、和食の店など
飲食店を36年経営している、(有)秀吉が大阪なんばにやってくる!
秀吉HP:http://www.hideyoshi-inc.com

地元岩手では、生産者と消費者をつなぐ会として「里の幸(さとのさち)会」と題し定期的にイベントを開催。
各回テーマを決め、そのテーマに沿った食材をシェフがその日オリジナルのコースメニューを作り、
お客様は料理を食べるだけでなく、生産者と触れ合ったり、同席した方とチームになって
食や農に関するクイズで盛り上がったり、最後にはシェフに料理の話をしてもらう機会をつくってきた。

今回は岩手県を飛び出して、初の大阪開催!!

◎震災から1年が過ぎ、今の岩手の食について知りたい方
◎有機農家に関心がある方
◎これから岩手の食材を使いたいとお考えの飲食店様
◎岩手のことが好きな方!

必見です!!

岩手の美味しい食材を堪能しながら、食材にまつわるエピソードを見て聞いて、みんなで楽しみましょう!
(有)秀吉が取り組まれている復興支援を兼ねた「Olahonoおらほの」の事業紹介と岩手の食材販売も行います。

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 日時 :5月12日(土)19:00〜
 定員 :30名
 場所 :まちの駅まいど市
      大阪市中央区難波千日前14-7( 南海本線 難波 駅 徒歩5分)
      http://g.co/maps/32z5w

参加費 :3000円/人
岩手の食材をたくさん使ったコースメニュー
ちりとり鍋、冷奴、雑炊、唐揚げ、サラダ、ソフトドリンク

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みなさま、お気軽にお越しください。
定員に達し次第締め切らせて頂きますので、
参加をお考えの方は、お気軽にご連絡ください。
  岡あゆみ
 080-3427-6798
 tohoku@jae.or.jp



〜*〜* (有)秀吉 関西でのイベント開催にあてて *〜*〜

東日本大震災により、岩手県は三陸を中心に大きな影響を受け、さらには放射性物質の問題などもあり、「食」に関わる事業主は大変苦労しています。
一方、消費者も様々な情報が錯綜する中で、被災地の今の情報を知りたい、離れていても支援できることをしたいと考えている方も多く、さらに食に対する安心安全の関心が今まで以上に高まっています。そこで、岩手県に所在し食に関わる弊社より、岩手県外在住の方々に被災地の生の声や岩手の食に触れる機会を提供したいと考えています。
そして弊社が新たに取り組む復興支援を兼ねた「Olahonoおらほの」事業に少しでも関心をもっていただけるイベントを全国の飲食店様と協力して組んでいければと企画しました。

(有)秀吉 食材事業部の紹介
S-FARMという屋号でネット販売実施中 http://www.hideyoshi-inc.com/s-farm
2009年に立ち上げ、岩手のこだわり食材をインターネットを通じてお届けしている。
また、関東圏を中心に、飲食店にも卸し実績あり。
これまでの里の幸会の様子(2012年1月開催)→ http://blog-s-farm.hideyoshi-inc.com/article/53325309.html
posted by Ayumi at 00:16| Comment(0) | TrackBack(0) | @関西

2012年04月20日

べこっこMaMa


神戸に避難されている福島のママたちと、神戸旧居留地 美侑が繋がり生まれた
べこっこロール販売を取材に伺いました。

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この繋がりを生んだのは、神戸のたくさんのママ達です。
その一人である、子育て支援NPO法人ウィズネイチャー代表西森さんがお話しして下さりました。

はじまりは4月に神戸に避難してきたある福島のお母さんが、神戸の産婦人科に受診した事。
2011年3月11日の震災発生時、外出先から着の身着のまま、
お腹の子を守るため、西へ西へと非難されてきたお母さん。
診察をうけもった産婦人科の方から、西森さんに「手助けできないか」とお声がかかり、
NPO法人ウィズネイチャーで繋がりのあったママネットワークから衣類や育児・生活用品を提供。
この支援の輪が、神戸に避難されてきた多くのママ達を支えるものへと広がってきたのだという。

福島の特色ある言葉として、子牛を「べこっこ」と呼ぶこと、
神戸で暮らす人のことを「こうべっこ」と呼ぶことに何か縁を感じ、
神戸の地で愛する子供たちを守るためにやってきたママグループ「べこっこママ」が結成された!
「支援されるばかりでなく、ママたちが自立して避難先での生活を送れるように」
と、スイーツ販売から収入を得ようと、企画が持ち上がり、
美侑さんの一ファンであった神戸のママがFacebookで美侑代表の方に連絡を取ったところ、
快く商品開発を受けてもらえ、赤をキーワードとしてべこっこロールが生まれたのです。

NPO法人ウィズネイチャー代表西森さんは、「子どもはお母さんありきで育つ」と言います。
お母さんが毎日、笑顔で楽しく過ごしてこそ、子ども達の豊かな生活につながると。

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べこっこMaMaの集まりが回を増すごとに、福島のママ達の表情も変わってきたそうです。
お化粧をして、お洒落をして外に出る機会が出来たとにより、表情がイキイキしていたと、
ママになっても女性はキレイでいる事で、輝くのだと教えて頂きました。


今後は雑貨やかばんを製作・販売することで、
さらなる収入に繋がるように、べこっこママのグループを支えていきたいと、西森さん。
阪神淡路大震災の際は、自身も被災を受け
自分の子どもを守ることで精いっぱいだったといいます。
周りからの支援に本当に助けられたたからこそ、今、自分に出来る事をしたいと、お話ししてくださいました。


神戸で大人気の洋菓子店 美侑さん とのコラボ商品
べこっこロールは毎週日曜日限定16本の販売です。

子育て支援NPO法人ウィズネイチャーの軒先で販売しています。
(神戸市長田区二葉町5丁目1-1-110)
     
お近くにお立ち寄りの際は、愛する子ども達を守るべこっこMaMaのもとへ
美味しいロールケーキを買いに行ってみてください。


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                                       岡あゆみ

2011年12月17日

河北新報社 論説委員長の講演会


京都CSR研究会にて、河北新報社 論説委員長 鈴木素雄氏の講演を聞いてきました。
今一度、東北復興を考えるうえで、とても有意義な機会を頂いたことに、感謝です。


---新聞の意義---

3.11以前から防災について、再三啓発活動をしてきた。
災害時の対応、避難場所、それへの備えなど。
これは日本のどのメディアよりも自負できると。
しかしながら、これら防災策は全て1978年を想定したものだった。
指定避難場所に避難した人も、多くが津波に襲われなくなった現実。

「 何を書いたらいいんだ? 」

筆が進まない。
記者の方々はまさにそんな状態であったという。

新聞は社会の木鐸、権力の監視機能なんて綺麗事を言っていられない。
客観報道をしてる場合じゃない。
被災者、被災地に寄り添って、その共感を紙面に出していくことだけを考え、そして、提言していく。
「被災者の視線にたて、境地を訴えろ!」と、論説委員長である鈴木氏は記者たちに指示をした。

社説の体を成してないものを、書いた。
 震災発生直後の社説 表題:「生きてほしい!」

 被災地に行く記者にもご飯を与えられない状況時の社説 表題:「HELP!」


また印象的だった事として、
3月11日の号外午後8時ごろ、光のない中で配られた号外を、携帯の明かりで見ている光景は
唯一新聞だけが、その日何が起きたのかを伝えるものだった。
苦しい中で書いた紙面が大切なことを伝えていく。

「新聞記者名利に尽きる光景だった」



---企業の社会的責任---

企業の社会的責任とは何か。
災害時において、 河北新報社は新聞社として、新聞を出し続ける事が、それであったと鈴木氏。
餅は餅屋 本業にまずは特化すること、本業を最大限に活かした社会貢献こそが、CSR活動であるはずだという。

「企業にもたくさんのドラマがあった」と、いくつかのストーリーが挙げられた。

岩手県大船渡市に本社を置く株式会社マイアの社長は
スーパーの社会的責任は、「ものを売ること」
とにかくいろんなルートを使って仕入・販売
100円・200円・300円と、どんぶり勘定で震災翌日から販売を再開した。
マイアの社長は、松下幸之助氏の
「理を追いかければ理は逃げていく、お客を追えばお客は逃げていく」
との言葉を思い起こし、食のライフラインを守り続けたという。

そして、特に仙台のダイエーが凄かったと語る。
1995年の震災で、綿密なマニュアルを作っていた当社は、
震災直後より確かな流通網を確保していた。
仙台のダイエー店は長い時に3キロくらい行列だったという。
「ダイエーのノウハウは流通業の全てに共有して欲しい」と仰られていた。


緊急時には、現場の意思決定が全てだったと、鈴木氏。
餅は餅屋で、それぞれの企業が得意分野に特化してこそ、道は開けていくと。



----フッコウとは----

最後に、「東北復興」を考える上で、とても興味深いお話をしてくださった。

河北新報社の創業の精神には、ある種のレジスタンスの精神があるという。
1897年1月17日に一力健次郎によって創刊された当紙は、「東北振興」と「不羈独立」を社是とした。
明治維新以来、「白河以北一山百文」と軽視されていた東北を、
まず東北を開くことによって、その差別意識を払拭したい、と。


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以上、講演会でのお話を簡単にまとめてみました。
東北フッコウという言葉が、100年も前より意識されてきたことだと知り、
今一度フッコウを考えるうえで大切なことを教えて頂いきました。


岡あゆみ
posted by Ayumi at 14:11| Comment(0) | TrackBack(0) | @関西

2011年12月16日

東北物産展@神戸ルミナリエ

神戸ルミナリエ(12月1日〜12日)にて、
みちのくあきんどオフィスの東北物産展も出張出店していました!

12月12日(月)ルミナリエ最終日の様子をお伝えしたいと思います。


木の屋石巻水産さんを中心に、東北のさまざまな企業の商品が店頭に並んでいました。その周りをたくさんのお客さんがごった返しており、はじめはなかなか近づけませんでした。

お店の前に着くと若者たちの元気のいい声が聞こえてきました。
ルミナリエの開催期間中、神戸夙川学院大学の学生さんたちが販売のお手伝いをされていました。


 

 神戸夙川学院大学の学生の一人、岩佐さんに売れ筋の商品をお聞きしました。
すると、さすが一週間以上もお店に立たれていらっしゃる、すらすらと商品の説明をしてくれました。
 たくさんある商品の中の売れ筋はこちら!

「くるみかりんとう」


私も実際に購入し食べてみました。

−食べて一言


おいしいです!




これ本当に。


硬さも控えめで、パリッと一口ほおばると沖縄名産のちんすこうの様なぱさぱさした甘さが噛むごとに増していきます。
一つ食べ終わると、次へ次へと口の中へほうりこんでしまいました。一度食していただくことをお勧めします!



そんな、かりんとうの生産者の方は夢食研(株)阿倍社長です。
阿倍社長は宮城県女川で被災をし、工場を流されたそうです。しかし、かりんとう製造器一つ持って、鳥取県にて会社をたった一人で再開させたのだそうです。

阿倍社長について詳しく知りたい方は是非こちらへ!

http://www.yomiuri.co.jp/osaka/feature/kansai1308155431752_02/news/20110723-OYT8T00096.htm

また、梅田スカイビルにあるミンナDEカオウヤにて販売開始予定ですのでそちらでもぜひお買い求めください!




続いての人気商品は「感謝の缶詰」です!



シロナガスクジラの缶詰で、木の屋石巻水産の商品です。
初めはあまり売れないだろうと、400缶程度しか発注していなかったそうです。

しかし
、たった4日間400缶を売り切ったそうです!

MBSで取材された後お客さんが急激に増え、1日100缶限定にして販売したそうです。
なんと、30分で完売してしまった日もあるそうです。初日の売り上げをうけて大急ぎで発注し、その後は1日あたり約1000缶を売り上げるヒット商品なのだとか!


 この感謝の缶詰は木の屋石巻水産と神戸夙川学院大学とを結びつけるきっかけにもなった商品です。
3月11日のあの日、木の屋水産大阪事業所の三浦さんもたまたま会議のために宮城県石巻の本社に来ていました。大きな揺れの後、大急ぎで近くの中学校へ避難し、そこで津波を経験したそうです。人や車が流されていくのを中学校の4階から眺めていたといいます。津波から数日後、ヘリコプターで救助され、そのままやっとの思いで大阪に帰られたそうです。

 大阪に帰ってきてから、一番初めに思われたことは「明るい」ということ。東日本では停電が続いており、関西の信号機がついていることに感動されたそうです。
 
 一方で、本社があった石巻の工場は津波で流され、製造がストップしてしまいました。そんな中、工場の中で泥だらけで残っていた缶詰たちがいました。そんな缶詰たちをきれいに洗ってまたお客様のもとへ届けようという動きが震災が起きてから数ヶ月後起こり始めました。その情報をたまたま耳にしたのが神戸夙川学院大学教授疋田先生でした。
 
 疋田先生は学生を引き連れ8月末に缶詰洗いのボランティアに石巻の木の屋水産の工場を訪れました。学生や他のボランティアの人たちと作業を進め、そこから掘り起こされた缶詰たちは「希望の缶詰」として、販売されていきました。疋田先生もその「希望の缶詰」を神戸夙川学院大学の学園祭や関西の各イベントで販売していきました。さまざまな人が「希望の缶詰」を購入し、ついには完売したそうです。

 商品が完売してしまった木の屋石巻水産さんは、自社工場は被災し製造ができないため、岩手の別の会社の工場を借りて製造を再開しました。その商品が「感謝の缶詰」なのです。商品名の由来は、今まで協力、応援してくれたたくさんの人たちに向けての感謝の気持ちを商品にこめているのだそうです。多くのボランティアの方々や、木の屋石巻水産の商品を愛してくれている消費者の方々、他にも多くの協力者の方々への感謝の気持ちが込められています。
 
 この「感謝の缶詰」をぜひとも関西に届けたいと疋田先生も協力して、神戸ルミナリエにて販売されることとなりました。木の屋石巻水産さんと「みちのくあきんどオフィス」で一緒に仕事をしている高松さんも仲間に加わり、多くの東北の企業の商品が並ぶ、東北物産展が神戸ルミナリエで販売されることとなりました。




 三浦さん、疋田先生や神戸夙川学院大学の学生さんが口を揃えておっしゃるのは、「神戸の人たちは温かい」ということです。神戸の多くの人たちは阪神淡路大震災を経験し、東日本大震災を人ごととは思えないという人たちが多いようにお客さんの様子を見て感じるのだそうです。しかも、神戸ルミナリエは震災復興の祈りが込められています。訪れる人の多くは、「やめてはならない」「続けてほしい」という声を多く聞きます。神戸の人たちにとって、震災とはけして忘れてはならない、伝え続けなければならないものとして心に刻み込まれているようでした。
 
 東北物産展の商品を購入していくお客さんの多くは「何か東北のためにしたいけれど、関西から遠い。」という想いを持っていらっしゃるようだと、ボランティアの学生さんたちは口を揃えます。そして、東北の商品だとわかると大量に購入していってくれるそうです。段ボール一箱購入した人もいるそうです。
 ある学生さんにお話を伺うと、はじめは興味本位でこの物産展のボランティアに参加したそうです。しかし、お客さんの会話を聞いたり、購入していく様子をみていくうちに自分も何かしなければならないという気持ちに変わっていったそうです。


(左から疋田先生、三浦さん、高松さん)

 「震災」というキーワードで繋がる東北と神戸。ルミナリエという震災復興を願う光の中に確かに東北の人と神戸の人の繋がりがありました。商品を届けることによって結びつく復興の一滴一滴は、多くの人を巻き込んで一つの流れとなりつつあります。
繋がることによって広がっていく「縁」が復興への特効薬であると感じた瞬間でした。
これからも、みちのくあきんどオフィス「東北物産展」をおいかけていきたいと思います。