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藤岡喜美子のブログ

これまで細分化されてきた日本のサードセクターを横断的に再構築し、政府・行政セクター、企業セクターといった
従来のセクターに、イノベーティブで力強く活動するサードセクターが加わることで、3つのセクターが一体的に変化し、多様な主体者が社会問題を解決していく未来に日本に変えていきます。


地域防災力向上 女性防災リーダー育成事業 [2023年06月18日(Sun)]
地域防災女性リーダー育成事業
宮城県視察(報告その3)
「復興は私たちの手で」と語る女性起業家
南三陸町の女性起業家内海明美さん、阿部民子さんの震災の時のお話とその後の起業について、私を交え鼎談し、受講生と意見交換しました。
1.リーダーとは何か
地域防災力をあげる、復興への地域力
それは
ヒエラルキー組織のトップになることだけでなく、自分の手が届く身近なところで、優しく強く問題を解決するリーダーへ
●内海明美さん
阿部さん、内海さん.jpg
東日本大震災発災
その夜、宮城県南三陸町志津川高校避難所には500人を超える人々が押し寄せました。人数の確認や怪我の手当て、水、食べ物、寒さをどうしのぐか。役場の職員もいないので、自分たちでなんとかしようと避難所を運営。そこで暮らしていた人と仲良くなりコミュニティができました。ところが徐々に仮設住宅への入居が始まり、どこに入居するかはすべて抽選。家族と家、仕事を失った人たちが、仮設住宅に入ると本当の孤独に。 その「つながr」を断ち切ってはいけない。その思いから、がれきの中に「さんさカフェ」がオープンしました。
経営仲間とのトラブル
コンテナでカフェを営業していたが、立ち退き。
震災後に事業を始めているので、さんさん商店街に住居できない
補助金が使えない
その後自分の住宅用の資金でカフェを建てた。
困難を乗り越えても乗り越えても目の前に山脈のように困難が
復興は私たちの手で
といつも、意地をはっても、力強く話す内海さんをみると、拳をにぎりしめながら、前を向く顔をみると私は涙がにじむ。
●阿部民子さん
阿部さん.jpg
津波と地震の恐怖。海が怖い。毎日が不安との戦い。涙がかれるまで泣き、徐々にこれからの事を考えるようになり、南三陸町から離れようとも思う。
実際離れていったひともみえる。
いろいろ考え迷い
女性、特に小さい子がいるママたちが働ける場所が、町にはない。やる気さえあれば、時間に制約があっても、働ける、その中で前を向ける。
南三陸の未来のために、女性がいきいき働ける、そんな場をつくりたい。南三陸のミネラルたっぷりの海で育てた最高の海の幸を厳選。乾物はすべて、手作業で天日干し、無添加。
新鮮な素材に、じっくり手間と愛情を注ぎ込み、妥協のない商品
南三陸町の復興を自分達の身近なところからやっていきたい。
と語る阿部さん
●遠藤美恵子さん
今回の受講生のみなさんにはご案内できませんでしたが、庁舎を見ながら
起業支援であった遠藤美恵子さんのお話もました。
南三陸町庁舎は高さ12mあり、津波の初めの予想は「最大6m」でした。 未希さんたちは町の人に「避難して」と40回以上も呼びかけ続け、そして15m以上の大津波に飲み込まれたのです。
防災庁舎では職員方など43人が命を落としました。
当時の未希さんのアナウンスを録画の声にもお母さんの声が
「まだ、呼びかけている・・・・」
苦しいことやつらいことが乗り越えられない。
そんなとき未希さんの日記の一言
「母さん 私を生んでくれてありがとう」
もっと生きたかっただろう娘の思いや、あの震災で起きたこと、そして大きな災害が起きたときにすべきことを、誰かに伝える場を作ろうと民宿をはじめようと思われました。
最初は自宅を改修してみえましたが、居住禁止区域に
少し上に、平屋を建てられました。
1日1組限定の「未希の家」は、時間を忘れゆったりと過ごしてほしいという遠藤ご夫妻の想いがつまっているお宿です。
南三陸町の女性の起業物語
起業は事業を起こすだけでなく
自分を「起こす」物語、受講生のかたに現地で
聞いていただきました。
社会を変える起業家 [2021年04月18日(Sun)]
岡部さん.jpg














認定特定非営利活動法人パンドラの会
設立時代表 岡部芙美子さんが
本を出版されました。
頂きましたので、読ませていただきました。
日本のNPOの地域における成長過程、その工夫と努力がひしひしと伝わってきます。
これぞ、日本のNPOの成長の記録だと思います。
今後福祉分野で活動されるかたが、何が大切なのか
どのように事業性と社会性のバランスをとっていくのか
参考になると思います。
我が子が、生後7か月で重責痙攣を引き起こし、知的障がを被らせてしたっまた。
お子さんの障がいを受け入れ
この子をなんとか良くしたい、よかれと思うことはなんでもやる
1996年ひととの出会いがあり、仲間と任意団体をつくる
障がいのあるこどもが御世話になる施設はほぼ満員、わたしたちのこどもは入所できない
そこで、資金調達し、地域資源を引き寄せ
2000年お菓子工房パンドラスタート
そして、
2001年組織となり、試行錯誤にてNPO法人化する
2002年企業との協働(パートナーシップ大賞受賞)
どのようにして企業との協働事業がはじまったのか
2003年制度の活用(愛知県第1号就労支援A型事業所)
2009年全国ソーシャルビジネス55選に選ばれる
2012年経営は悪化傾向へ
2012年愛知県認定第1号認定NPO法人となる
事業が軌道にのってきたときの挫折
(ガバナンス、マネジメントを含む)
そこからの出口がみえない再出発
(私もNPOの経営者の端くれですので、よくわかります)
2020年つぎの代表へのバトンタッチする。代表を退く
(後継者問題)
岡部さんとは、ある居酒屋さんで、別の経営者のかたと私の3人で、NPOの経営者の悩みや愚痴をさんざんぶちまけた記憶があります。
あー。それ私もとか
そうだそうだとか
ありえないよねーとか
なぜに、その場ができたのかはよく覚えていませんが
すっきりしたことは覚えています。
若いNPOの経営者のかたも、本を読んでいただいたり、話を聞いていただいたりしてほしいと思います。
出版記念会の御案内がありましたら、またご案内します。
特定非営利活動法人半六コラボ [2015年11月09日(Mon)]
 しばらく、ブログをお休みしていました。
 思うことあり、再開します。
 NPO法施行15年
 NPO法人の数は増え、一般社団・財団も急増しています。
 自発的に活動する組織の数は増えましたが、ほんとうに社会の期待に応える組織となっているのか。
各自治体にNPO支援センターができ、法人化、会計支援、助成金の獲得、寄付文化の醸成、プロボノの促進などのNPO施策が展開されています。
しかし
自治体のNPO政策もNPO支援組織もすべてがその支援の在り方を見直すべきではないでしょうか。
もともと対価を得にくい活動であり、起業の覚悟をきめたリーダーに寄り添う経営支援、コンサルティングが有効であると考え実践してきました。
地域にしっかり足をつけ、地域を変えつつある、変えている組織があります。
今日から、起業支援、経営支援させていただいたサードセクター組織の経営者をご紹介していきたいと思います。

特定非営利活動法人半六コラボ

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理事長の杉浦明巳さんとの出会いは15年以上前
半六プロジェクトの話を聞いたのは2011年
iSB公共未来塾を受講頂き
ビジネスプランコンペに応募いただきました。
審査項目は社会貢献性、事業性、経営者としての資質
当時、事業性には乏しく、なんとか採択
採択された方にコンサルティングしますが
行政に対し、建物の取り壊しの見直しの提案のためのサポートから始まる支援です。
目標達成のための、いくつものハーヂルがあるプランです。
だからこそ、応援をしたいのです。
ひとりでできることはひとりでできます。
当時半六亭は取り壊しがきまっていました。
歴史ある佇まいがまちから消えていくのは忍びない
市民グループが立ち上がりました
熱い思いはありましたが
最初は行政への憤り、批判・要望が多かったと記憶しています。
しかし
だんだん、意識や姿勢に変化が現れました。
多様な主体者と連携・協力し
目標を達成するというあきらめない信念と真摯で適正な行動により
半六亭復活です。
私もとてもうれしいです。
土地は行政が所有、庭は行政が整備
土地代は当面は無償貸与
建物の耐震工事、改修、維持管理はNPO法人が行う
これも全国的に珍しい、市民と行政との協働のスタイルだと思います。
復活までは、ワークショップを行い
寄付を集めてきました。
市民が公共施設の利用者から主体者へと意識が変わっていきます。
これからは、半六亭を活用し、地域がどのようになっているとよいのか
目標をさらに明確にし、事業を考え、仕事をつくっていくことが大切です。
イベントや行事のアイデアはでてきますが
「事業を創る」必要があります。




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