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〔後房雄のブログ〕

現実関与型の政治学者が、日本政治、自治体改革、NPOやサードセクターの動向などについて話題を提供しています。一応研究者なので、面白かった本や論文の紹介もします。


オリーブの木 [2012年01月28日(Sat)]
今日の中日に、石原新党についてややニュアンスの違う続報が出ました。

具体的な内容としては、3大都市圏の知事がそれぞれ政治塾を開くというものです。

これは、近づく総選挙に向けて既成政党へ強力なプレッシャーになるでしょうが、総選挙にどのような体制で臨むかについては、複数の路線が混在しているというのが現状でしょう。

もっともダメそうなのは、昨日も書いたような石原新党のイメージです。石原氏の政治家としての力量はかなり高く評価しますが、もう一度国政を担うという点からみると時代とはズレているという感が否めません。都知事というポストがなぜかハマったということでしょう。

石原氏が背後に引いて、3知事の連携という側面が前面に出た方が可能性は高まると思います。

小沢さんが絡むというのはもはやあまりそそられません。小沢ーみんなの党が二者択一ならば、後者と連携した方が未来志向でしょう。

ちょっとおもしろかったのは、中日の記事に、誰が言ったのか知りませんが、「イタリアの政党連合『オリーブの木』をモデルとした協力体制を構築する」という記述があったことです。

紹介者として言えば、要はみんなの党が言っているような総選挙後の政界再編というような姑息な戦略ではなく、共通の首相候補・マニフェストを掲げて全国の小選挙区に統一候補を立てるという形で政権に挑戦するという戦略です。

それで勝ったならば、政権を担う多数派は、選挙後のでっち上げではなく政権選択選挙で民意の支持を得たという正当性を持つことができます。

とはいえ、日本では、二院制というネックがあるため、総選挙での政権選択だけでは政権を担える体制ができません。

それを承知で、無謀な一点突破をもう一度試みるのかどうかということになります。それほど、自民、民主の二大政党がひどいということではありますが。

しかし、こういうことを繰り返しても次の日本政治の姿は見えてきそうもありません。

総選挙が近づくたびに離合集散で生き残ろうとうする悪習を断って、自民なり民主なりの政党内できちんとした議論をしながら選択肢を出していくことが不可欠です。政党という組織を運営できる政治家がほとんどいないということが諸悪の根源かもしれません。

イタリアでも多数の政党が選挙ごとに離合集散していますが、それぞれの政党自体はそれなりの実体を備えており、離合集散は個人ではなく政党単位で行われ、政党連合が作られます。

1990年代後半に一時試みられた日本版オリーブの木が挫折した主な理由は、日本における政党の弱さにあったのだと考えています。

政党運営というのも一種のマネジメントであり、日本の政治家たちには政権運営のマネジメントも含めて、総じてマネジメントに重大な弱点があるようです。




石原新党 [2012年01月27日(Fri)]
今日の朝日の1面で、「石原新党3月発足」という記事が出ました。

大阪の橋下氏との連携が焦点ということですが、橋下氏や大阪維新の会(松井府知事など)は消極的なコメントをしているようです。当然でしょう。都知事としての石原氏とは連携する価値は大きいでしょうが。

石原氏は、都知事としてはアピールしましたが、国政の政治家としては保守的すぎて支持は広がらないと思います。亀井・平沼という旧福田派の残党の生き残り策という色彩が強く、「たちあがれ日本」の二の舞になるしかないのではないでしょうか。

それとは別に、みんなの党と大阪維新の会を核にした別グループができるでしょうし、そちらの方が支持を伸ばすでしょう。

次の総選挙では、自民・公明が過半数を取れるか、第三勢力が予想以上に伸びて自民・公明だけで過半数がとれない結果となるかが焦点でしょうが、また新党騒ぎがにぎやかになることはどういう効果をもたらすでしょうか。

石原新党が伸びれば自民党が食われるでしょうし、みんなの党や維新の会の新党が伸びれば前回総選挙の民主党票が食われることになるでしょう。

ということは、やはり自民・公明が漁夫の利で過半数を押さえるということになりそうです。

ちなみに、石原新党や、2月に名古屋市で開かれるという大都市制度をめぐる知事の会議などに関して、大村知事は出てきても名古屋市長の河村氏の名前がまったく言及されなくなっています。

他方で、今日の朝日の社会面では、河村市長が新年度予算案に関して、各区横並びの文化小劇場の建設など、減税をテコに削減するはずだったばらまき事業を自民、民主市議団の要望を丸のみしているという報道があります。

朝日ですら、「国政進出への置きみやげか」という見出しを付けるほどです。

やはり、あまりに水準の低い政治家の実態は徐々にではあれ、広まるということでしょう。2010年の4月に、私がマネジメント能力の欠如という批判を始めてから2年近くになるわけで、時間はかなりかかりはしましたが。

それにしても、新聞各紙は、実態に迫る批判的な記事を依然としてほとんど載せませんね。そして、いつのまにか論調を変えていくのでしょうが、やはり最低限のけじめくらいはつけるべきだと思います。でないと、総選挙で減税日本が名古屋市内で議席を獲得するなどという恥さらしな事態は避けられないでしょう。
寄付幻想 [2012年01月18日(Wed)]
『中日新聞』1月15日付けの6面の記事によると、河村市長は5%減税が通ったあと、減税にあわせた寄付制度の実現をめざしているそうです。

地域委員会または財団に寄付をしてもらい、それを地縁組織やNPOなどに分配するというイメージらしい。

根本的な問題点は、こうして市が強く関与する団体に寄付を集めようとするのは、記者も書いているように、「市民が減税で還元された金を再び市に戻すのは本末転倒とのそしりを免れない」。(本末転倒という形容詞が変ですが)

税金は、使い道を特定せず強制的に集め、そのあとで予算によって使い道を議会で決めるという制度である。

その税金を減らした分を、行政が主導する団体に使い道も特定せずまた集めるのでは、減税分をまた巻き上げるだけのことである。

本来の寄付とは、民間の自主的な活動であり、しかも、是非こういう問題を解決したい、こういう人たちを支援したいという目的があるものである。

目的も特定せず寄付を集める共同募金などの例もあるが、周知の通り、その使い道の決定は不透明もいいところであり、しかも、議会が少なくとも選挙で選ばれるのとは違って、使い道を決定する人たちを私たちがコントロールする手段もない。税金以上に、ごく少数の人たちのお手盛りになる危険が高い。

河村氏は、前から寄付、寄付と叫んでいるが、相変わらず思いつきだけで、具体化するための理念も制度設計もないままである。寄付に政府行政が関与することが、自分が唱えている新自由主義の理念に矛盾することすら理解できていないのだろう。

昨年6月のNPO改正で、民主党政権の数少ない成果として、NPOや公益法人に対する約50%の税額控除の制度が導入され、諸外国と比べても突出した寄付促進税制がこの4月から始まる。

政府行政がやるべきことはここまでであり、民間の代わりに寄付を集めて配分してやろうなどというのは大きなお世話である。しかも、それは、NPOなどの他力本願を強めることになりかねない。

実際、税額控除制度が導入されて以降、認定さえうければ自動的に寄付が集まってくるかのような幻想が広まっている気配がある。

寄付額の半分が税金還付されるとしても半分は持ち出しであるわけで、何よりもその団体やその活動が支援しようという魅力を持ったものでなければ持ち出しで支援しようとする人など出てこないだろう。

NPOにとっては、支援を集めれるだけの魅力ある団体となり、魅力ある活動を生み出すことが最大の寄付集めの原動力である。それなしに、制度だけで寄付が集まるかのような幻想は早急に一掃する必要がある。現状では、そうした幻想を煽るような動きばかりが目立つ。

これに関連して、年間で約35億円もの寄付金を集めているプラン・ジャパンの鶴見専務理事が、資金の使い方についての透明性、情報公開が決定的に重要だと指摘していたことを紹介しておきたい。

まさにその点で、NPO法人の現状には重大な問題点がある。前から、NPO法人のホームページに決算書類が掲載されなくなってきていることが気にかかかっていたが、2010年末に経済産業研究所のプロジェクトで私たちが行ったサードセクター調査の結果から、それを裏付ける数字が出てきてしまった。

事業報告や決算報告をホームページで公開しているNPO法人の割合は9.3%にとどまり、旧来からの財団(65.3%)や社団(46.3%)に比べて著しく低いだけでなく、学校法人(34%)や社会福祉法人(23.8%)に比べてさえ半分以下の低さである。

また、法律で義務付けられている所轄庁への事業報告、決算報告の提出すら約1割のNPO法人が怠っているという事実もある。

他力本願の寄付幻想に踊るまえに、まずは最低限の情報公開をしなければ話にもならない。どう使うかも明らかにしていない団体に誰が寄付するだろうか。

しかし、寄付幻想が広がる中で、河村氏の思いつきに飛びつくNPOも出てこないとも限らない。

NPOとしての真贋が試されるいい機会となるだろう。
2012年の日本政治 [2012年01月14日(Sat)]
野田内閣は岡田氏を副総理に入れて、いよいよ消費税増税で突っ走る方針のようです。自由VS民主という構図からすれば、民主党が相対的に大きな政府を掲げるのは自然ではありますが、「自由主義的改革の時代」を前提にすれば、市場主義に基づく行政改革や社会保障改革とセットでないと支持は得られないでしょう。

ギデンスのいう「市場主義改革と福祉改革の同時推進」です。

事業仕訳、公務員の人数や給与の削減、独法の削減などのような機械的な芸のない行革ではなく、市場主義にもとづく本来の行政改革、行政経営改革ができないものでしょうか。

たとえば保育所や老人ホームへの社会福祉法人以外の参入禁止くらいは撤廃したらどうでしょうか。

いずれにしても、マネジメント能力のあまりの欠如のため、今回の民主党政権は増税+その場しのぎの社会保障改革=大きな政府路線と心中することになるのでしょう。

法案は参議院で通らないでしょうから、そういう中途半端な状態で解散総選挙に踏み切るというのは文字通り自殺行為ですが、なぜか民主党指導部はそれに使命感を持っているようです。

週刊誌では総選挙での獲得議席の予想が出始めています。

1・13週刊ポストでは、民主党160に対し、自民党195、みんなの党38、公明党31、維新の会18などとなっています。

1.15サンデー毎日では、民主党158、自民党229、みんなの党33、公明党31、減税日本3、などとなっています。

要するに、自民党と公明党で過半数を占めるということですね。当然でしょう。

ところが、参議院では、自民党83と公明党19で合わせて102しかなく、122の過半数を大きく割ります。みんなの党も11しかなく、それを合わせてもまだ足りません。なにしろ、民主党が102も持っているので(そのうち61は来年7月に改選ですが)。

攻守所を変えてまたネジレの再現です。参議院での問責決議とそれを盾にした審議拒否が頻発することでしょう。

政治家たちは、相変わらず数合わせで当面与党になることしか考えていないようです。その政権が機能する可能性がほとんどないということなどどうでもいいようです。

どう考えても、参議院問題について主要政党で対処策を合意するしかないと思いますが、この問題に正面から取り組む動きが出てくるのはかなり先になりそうです。

運よく、政界再編で衆議院でも参議院でも過半数を持つ勢力が一時的にできる可能性はあるでしょうが、それも次の国政選挙で崩れる可能性の高いガラスの城にすぎません。そしてまた政界再編をやるのでしょう。

こういう一時しのぎの政権を作っては壊し、という見通しについて、本格的に解決策を考える能力が日本政治あるのかどうか、もはや期待せずに見守るしかないでしょう。