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〔後房雄のブログ〕

現実関与型の政治学者が、日本政治、自治体改革、NPOやサードセクターの動向などについて話題を提供しています。一応研究者なので、面白かった本や論文の紹介もします。


被災地NPO支援(2) [2011年03月23日(Wed)]
明日24日(木)午後6時から、被災地NPO支援・東海ネットワークの第2回目の会議を、市民フォーラム21・NPOセンターの3階会議室で開きます。

前回参加の方も、新しい方も是非ご参加ください。

以下は、ネットワークの全国連絡会をつくる準備過程の資料です。東海ネットワークについてもこれをたたき台にして議論したいと思います。

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 「東日本大震災・被災地NPO支援全国プロジェクト」設立趣旨

 かつてない規模の東日本大震災の被害の状況を目の当たりにし、全国各地、各セクターにおいて被災地支援の動きが始まっています。

 私たちNPOに関わるものとしては、そうした動きに参加しつつも、独自に、被災地のNPOが救援、復興の過程において有効な活動を展開することができるように支援することが不可欠だと考えます。「支援者への支援」です。

 日本において、NPOが独自の存在感と役割を示す多元的な社会をめざしてきた私たちとして、大きな打撃を受けたであろう被災地のNPOが早期に立ち直り、また、新しく結成され、救援や復興の過程において有効な活動を展開することが救援や復興全体においても重要だと考え、被災地NPOを支援するという課題に取り組みたいと考えます。

 具体的には、被災地のハブとなるNPOに資金、物資、人員を投入すること、そのための資金、物資、人員を広く募集すること、被災地の各分野のNPOに対して、他の地域のNPOが直接に連絡を取りながら中期的に支援していくような関係をマッチングすること、などが考えられます。

 全国各地のNPO関係者が共に活動されるよう呼びかけます。

 東日本大震災への対応について

1.「東日本大震災・被災地NPO支援全国プロジェクト」を設立する。

2.各地に「東日本大震災・被災地NPO支援○○ネットワークを設立する。(3月15日に「東海ネットワーク」をスタートさせた)

3.被災地現地は「被災地NPOネットワーク」を形成し、資金、物資、ボランティアなどの受け入れを行う。(当然のことだが、県外へ移動している被災者も支援する。)

4.各地のネットワークは連携を取りながらそれぞれ活動し、全国連絡会として、随時全国的な統一行動をおこなう。

5.NPO以外のサードセクターや労働組合、生協等とも連携して活動する。

6.政府行政セクターや民間企業セクターにも広く協力を求める。

被災地NPO支援 [2011年03月15日(Tue)]
昨日の午後6時からの市民フォーラム事務所での会議には、急な呼びかけにもかかわらず20人以上のNPO関係者が集まり、熱心な議論が行われました。95年の阪神淡路大震災の時の教訓が非常に参考になります。

東京や大阪でも、NPO,関係者の協議が始まっているようです。

とはいえ、行政や企業ほど体力のないNPOとして、何をすることが独自の役割を果たすことになるのかというのは難しい問題です。

むやみに募金集めやボランティア登録を行っても、混乱を招く恐れもあります。現状では、現地での受け入れ体制がないので、ボランティアの現地入りを自粛してほしいというメッセージが各機関から出ています。

初期の救援期には、災害救援のプロの役割が決定的に重要です。

そこで、まずは、レスキューストックヤード、愛知ネットなど、この地域の災害救援NPOの活動を支援することが必要です。

それと並行して、復興期に入った時に、被災地のNPOがなるべく大きな役割を果たせるように、こちらの各分野のNPOが被災地のその分野のNPOを支援できるような体制を作っていくことが方向性として出ました。

募金も、そういう目的に使うということを明示して集めることになると思います。

当面、市民フォーラムが事務局スペースと職員を拠出して、準備作業を行うことになりました。数人の暫定的世話役を選びました。MLも立ち上げます。

今後、東海地方のNPOで、支援の意志のある団体の登録、被災地のNPOの状況把握などを行っていきます。また、情報の収集、提供の重要性も確認されました。

次回は、3月24日(木)午後6時から、市民フォーラムの3階会議室で行います。
東北大震災 [2011年03月14日(Mon)]
11日にローマのテレビで知った東北大震災ですが、13日に帰国してから、被害の状況が分かるにつれ衝撃を受けています。

イタリア人からもお見舞いの言葉をいただきましたが、イギリスのACEVOからもお見舞いのメールが届いています。

菅さんの記者会見にもありましたが、日本人にはこれを乗り越える力があると思います。

市民フォーラム21・NPOセンター、日本サードセクター経営者協会としても、サードセクター組織を支援する立場から、ささやかでもできるだけの体制を取りたいと思います。

今日午後6時から、市民フォーラムの事務所で打ち合わせを行います。関心のある方はご参加ください。

悪いタイミングとなった名古屋市議会議員選挙は、減税日本は定数75の過半数には達しませんでしたが、28議席まで伸びて第一党になりました。自民党23→19、公明党14→12、民主党27→11、共産党8→5という結果でした。みんなの党は、減税日本と支持層が重なるためか、議席ゼロに終わりました。

とりあえず、減税日本が単独過半数にはならず、議会での議論をしなければならなくなったのはよかったと思います。
日本におけるサードセクターの範囲と経営実態 [2011年03月10日(Thu)]
昨日、今日と、来週火曜日に経済産業研究所で行う今年度の研究報告(ディスカッション・ペーパー)を書いていました。調査結果のデータがなかなか出てこなかったため、ぎりぎりまで延ばしてもらったので、ようやく完了して一安心です。

今回は、経済産業研究所のプロジェクトだったので、なかなか民間でできない調査ができてよかったです。

以下が報告書の要旨です。

明日は、やり残した資料集めと本集めだけで、明後日の朝に出発です。さすがに、一か月近くの旅暮らしは疲れますね。面白いことは面白いのですが。しかし、後半は馴染みのあるイタリアだったので精神的には楽でした。

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日本におけるサードセクターの範囲と経営実態

 福祉国家や「大きな政府」の自由主義的な改革が進行すると同時に、市民社会における問題解決型の市民活動が拡大してきたのが最近の日本の状況である。しかし、この延長線上に、政府行政セクター、企業セクター、サードセクターの新しい分業・連携関係を構想するためには、いわゆる主務官庁制のもとで歴史的に極めて複雑に分岐してきた各種公益法人、特定非営利活動法人、協同組合、社会的企業などを広く包括したサードセクターの全体像とその経営実態を明らかにすることが必要である。

 本論文では、サードセクターに関するアメリカ的アプローチ(非営利セクター論)とヨーロッパ的アプローチ(社会的経済論)の両方を参考にしながら、日本におけるサードセクターの範囲をどのように設定すべきかを論じる。

 そのうえで、それに基づいて日本のサードセクターの組織と経営の実態を明らかにするためのアンケート調査を行ったので、その結果から得られた知見をいくつか紹介する。具体的には、日本におけるサードセクター組織は全体としてかなり堅実に経営されていること、透明性にはかなり問題が残ること、収入全体における公的資金の割合は29.5%にとどまり、また、「もらった収入(voluntary income)」と「稼いだ収入(earned income)」の割合が22.3%と77.8%であることから、きわめて行政依存的だという従来のサードセクターのイメージは再検討することが必要であること、事業収入を増大させ、組織の成長・発展をめざす組織が3割から5割存在すること、などが確認できた。
 
打倒ベルルスコーニの模索 [2011年03月09日(Wed)]
ローマの8日火曜日ですが、今日は二人の上院議員と一人の下院議員から話を聞きました。パーピさんが途中まで付き添ってくれ、資料のコピーも手配してくれました。イタリアは人間関係がないと何も進まない国なので、助かります。

下の写真は、上院の正面、本会議場の内部です。夜の8時過ぎで、一旦閉まっていたのですが、モナコ上院議員が日本から来てるからというと、衛視が開けてくれました。写真を撮るのも見ないことにするということで。






午後3時からは、マリーナ・セレーナ下院議員(上の写真)から聞きました。1960年生まれで、若い時から共産党の活動家で、2006年には左翼民主党下院議員団の副団長代理になり、2009年には民主党副議長になっています。

選挙制度や統治機構の改革案について話してくれ、関係資料も渡してくれました。選挙制度については、フランス型の2回投票の小選挙区制に一部比例部分を残した制度を現在は提案しているようです。

2005年末にベルルスコーニが急遽導入した現行の制度は、比例代表制で政党に投票したうえで、下院では全国集計で、上院では州ごとの集計で相対第一党に55%の議席を割り当てるというかなり乱暴な制度です。2006年総選挙では、全国集計でわずか2万4千票差でベルルスコーニが負けてしまい、数え直せといって負けを認めず大騒ぎになったことがあります。

話を聞いた議員さんたちが口をそろえていうのは、個々の議員が党の書記長から名簿に載せてもらって当選したという感覚になり、選挙区の有権者から選ばれたことを根拠にした自律性が持てないのでよくないということです。ベルルスコーニとしては、議員団をコントロールするのが狙いだったのでしょう。

そのあと4時45分からパルディ上院議員(上の写真)から話を聞き、8時からはモナコ上院議員(話に夢中で写真を取り忘れました)と夕食を食べながらじっくり話ました。

モナコさんは、プローディ政権の時代の97、8年に日本に招待し、オリーブの木についての講演旅行をしてもらったことがあり、ここでもお互い年を取ったなあという話になりました。彼は長く下院議員をやったあと、上院議員になっていました。

民主党の中枢にかなり近い感じで、これまでで一番政局について突っ込んだ話を聞くことができました。

たとえば、あえて民主党単独で2008年総選挙を戦ったベルトローニはほぼ政治生命をなくした感じで、中道左派のなかでは、やはり政党連合を形成して戦わなければベルルスコーニには勝てないという状況認識が主流になっているようです。

たしかに、政権をとったあとの内紛という問題もありますが、ベルルスコーニを一旦倒すためには政党連合を形成せざるをえないということでしょう。

その政党連合の相手としては、左は共産主義再建党に加わったあとプーリアの州知事になったヴェンドラから、中道連合のカジーニ、さらには北部同盟のボッシまでが想定されているそうです。カジーニは最終的にはベルルスコーニ後のの中道右派のトップになることを目指している野心家ですが、元首相のダレーマが連携を働きかけているようです。ダレーマは、現在の民主党書記長のベルサーニの後見役ですが、他党とのパイプがあって連合交渉の中心のようです。

驚くのは、北部同盟とも交渉をしているということです。特にナンバー2のマローニと近いようです。実際、94年には、ベルルスコーニ内閣から北部同盟を離反させ、8か月で倒閣に成功した前例があります。

ただ、北部同盟は、90年代末にボッシが脳溢血で倒れたことがあり、ベルルスコーニからかなりの経済的援助を公私ともに受けていることと、政治文化の共通性もあり、なかなか中道左派とは組まないようです。しかし、ベルルスコーニ後のことを考えて、一旦は反ベルルスコーニ連合に加わる可能性もゼロではありません。

中道左派連合をどう再構築するか、最近はダレーマは新しい「オリーブの木」を作ろうという提案をしているようですが、この問題に加えて、ベルルスコーニ、ないしその後継者のトレモンティに対抗でいきるような首相候補を見つけられるかという問題があります。

ベルサーニは大臣経験も豊富な有能な政治家ですが、カリスマ性がないという問題があるそうです。ヴェンドラは人気は高いのですが、左過ぎて中道票が逃げるという問題があります。

ダレーマは中道連合のカジーニを首相候補にすることを考えているということでした。モナコさんによれば、ダレーマは徹底した現実主義者で、左翼は30%前後以上の票は取れないので、勝つためにはとにかく連合相手を見つけるしかないという考え方で一貫しているそうです。プローディさんたち、特にパリージさんはそれに非常に批判的だそうです。

以上のように、いかにして多様な勢力を結集して選挙に勝つか(代表性)の問題と、いかにして機能する政権を作るか(統治可能性)の二律背反に悩みながら戦略を考えていることが良く分かります。これには単純明快な答えはありません。

日本は15年かかってようやく選挙に勝つという課題はクリアしたわけですが、統治可能性の問題でイタリア以上の深刻な混迷に陥っているのが現状です。ですから、代表性と統治可能性の二律背反にようやくこれから本格的に向き合うことになるでしょう。

それとセットの問題として、選挙制度の在り方、首相の指導力強化のための制度整備、小選挙区制型の民主主義のもとでの国会の在り方、特に二院制の問題など、制度改革の課題も山積です。イタリアでは左右ともにかなり制度改革の提案を蓄積してきていますが、日本ではほとんど取り組まれていません。

イタリアも日本も、今後10年の政治的課題は大体明らかになってきたと思いますが、それに取り組む体制は日本は民主党、自民党ともにやはり頼りないですね。ベルルスコーニ問題がないだけ助かりますが、それも第二の小泉のような人が出てこないとも限りません。

やはり、ベルルスコーニ研究をやるべきでしょうか。
アルトゥーロ・パリージ [2011年03月08日(Tue)]




7日の続きですが、夜7時半から、アルトゥーロ・パリージさん(写真)に2時間ほど話を聞きました。パリージさんはプローディさんの盟友のような人で、第一次プローディ内閣では官房長官(首相府次官)、第二次プローディ内閣では防衛大臣を務めました。もともとは、政治社会学の教授で、マリオ・セーニとともに国民投票を使った選挙制度改革を主導し、その後、プローディさんとともに中道左派のリーダーとしても活躍した人です。

インタビューの場所は、オリーブの木運動から民主主義者を経てウニオーネ(2006年に勝利した中道左派連合の名前)に至るまでのプローディ・グループの本拠地であったサント・アポストリ広場の事務所(ベネツィア広場のそば)です。僕も昔一度訪ねたことがあって懐かしかったです。

オリーブの木の運動の頃からの歴代のシンボルが壁に並べてありました(写真)。2007年に最終的に民主党の創立に至っており、この事務所も今年いっぱいで閉鎖ということで、パリージさんもやや寂しそうでした。

それには、現在のベルサーニの民主党がやはり旧共産党の主導になっており、パリージさんは政治文化の違いを痛感しているという事情もあるようです。2008年の総選挙で敗北してベルトロー二が辞任したあとの党首選に自ら出馬して敗れたという経過もあります。

日伊とも、ファシズムの反省から戦後は権力分散的な体制からスタートしたが、大きな改革や強い決定ができない限界が冷戦終結以後に顕在化し、代表性とともに統治可能性をも満たすようなシステムを模索し始めたという歴史認識は私とも共通なので議論しやすかったです。

たしかに、小選挙区制によって二大勢力化し、政権交代が起こるようになったことは大きな前進ですが、政権を取ったあとの実態は、与党連合の諸政党がそれぞれ自己主張し、大臣も自分の政党を代表して入閣しているので、首相は全体をリードするというよりは調整するということにならざるをえなかったということです。

要するに、与党内の政党間での絶えざる調整と妥協というのが実態だったようです。そして、実際、1998年には共産主義再建党の造反でプローディ内閣は2年で倒れます。また、2006年にできた第二次政権も、内部対立でわずか2年で繰り上げ総選挙になってしまいました。

法的な首相権限などの問題以上に、問題の本質はやはり政治的だということです。

その点では、中道右派の方は、ベルルスコーニが高い支持を背景に政治的に圧倒的な求心力を持っているので、中道左派よりも首相主導での統治可能性の点ではましだというのがパリージさんの評価でした。

また、ベルルスコーニについては、もちろん理念や政策に反対だという前提の上ですが、政治家としては非常に力があるということを強調していました。現在のところ、中道左派には対抗できるリーダーがいないという判断でした。それだけに、プローディさんがともかくも96年と06年の二度の総選挙でベルルスコーニを破ったことは奇跡的なことだったということにもなります。

このように、ベルルスコーニという特殊な政治家によって何とか統治可能性が担保されているにしても、システム改革は依然として中途半端なままだというのがパリージさんの現状認識です(ベルルスコーニ以後のイタリア政治はもっとひどいことになるかもしれないとも言っていました)。

彼は、議院内閣制の枠内ではもはや不可能なので、大統領制に踏み切るしかないというのが現在の主張のようです。この点でも、現在の民主党とは意見が違うのでしょう。

統治可能性を追求するスタンスは共有しますが、大統領制については、政党の党議拘束がある以上、大統領多数派と議会多数派がずれた時の問題が解決困難なので、私としてはやはり議院内閣制のもとでの改革を追求すべきだという意見です。しかし、パリージさんは自ら政権運営に関わったうえで、それではどうにもならないという考えに至ったようです。

なお、防衛大臣の時には、特に軍隊という官僚制は自律性を重視するので、政治家である大臣としては目標設定はするが、人事やその他のことについては極力介入しないという方針でやったそうです。軍人たちは政治的には右派だろうが、左派の大臣に対する忠誠という点では何も問題はなかったということでした。

日本の民主党政権の混迷について言えば、政治家個々人の能力としてはイタリアに比べてかなり水準が低いという問題はあるにしても、権力分散的なシステムを首相主導に転換していくうえで過去の遺産からなかなか脱却できないという点では同じだということができます。

日本の民主党が事実上、旧社会党、旧民社党、旧さきがけ・日本新党、旧自由党などの政党連合だということを考えれば、まずますイタリアの状況との共通性が浮かび上がります。

政界再編によってこうした政党の異質性が解決されるかという点では私は非常に懐疑的ですが(政策がどうであれ優勢な方に集まるに決まっていますから)、いずれにしてもある程度同質的な二大政党を作っていくのはかなり長期的な課題と考えるしかないでしょう。

そのうえで、政治家の統治能力の向上、統治可能性を高めるような制度改革を同時並行で進めていくしかないでしょう。

研究者もマスコミも、問題点をあげつらうだけではなく、その解決の方法をめぐってきちんとした議論をする責務があると思います。

その意味で、今後の研究の方向を確認するうえで、今回のイタリア訪問はなかなか有意義だったと思います。

また、ベルルスコーニ現象を正面から分析してみようかという気持ちもかなり強くなってきました。日本でも、ポピュリズムの季節が当分続きそうですし。
ウーゴ・パーピ [2011年03月08日(Tue)]



ローマの7日ですが、民主党の国際部幹部で下院議員のウーゴ・パーピさん(写真)に10時から1時間半ほどインタビューしました。ダレーマ外務大臣の政策顧問をやった経験もあるそうです。日本政治のこともある程度ご存じなので、話は通じやすかったです。

上の写真は、観光客のメッカのコルソ通りに面した首相官邸(キージ宮)とその左にある下院議事堂(モンテチトリオ宮)です。インタビューは下院議事堂のさらに左にある議員団の建物のなかの民主党議員団の部屋でやりました。

インタビューの組み立ては、@執政部と官僚制の関係(執政部のなかでの首相と大臣の関係、大臣と官僚制の関係)、A執政部と議会の関係、B議会と官僚制の関係という3つのテーマに分けて質問することにしました。

パーピさんが日本との大きな違いとして指摘したのが、法案や政策のアイデアは完全に政治家である大臣が主導して決め、官僚はそれを法案として仕上げる役割に限定されているということです。外部の専門家や党の職員なども使って、アイデアは完全に政治家が主導するようです。

官僚の役割は非政治的で、官僚から政治家になることもほとんどないそうです。イタリア銀行総裁などにまで上り詰めた人が政治家になるということは例外的にあります。1992年以降の汚職の連鎖的摘発で、既成の政治家がほとんど失脚した時期に、イタリア銀行の総裁や副総裁が首相になって、政治家でない専門家を大臣にした専門家内閣が何度か作られました。

問題は、首相が各大臣をきちんとコントロールすることができないということです。形式的には首相が大臣を指名するわけですが、実態は、与党各党、各派閥の妥協のなかで人事が行われるので、各大臣は首相ではなく出身政党の党首を見て動くことになるわけです。

1993年の小選挙区制の導入で、選挙の時は政党連合で戦うことになりましたが、選挙後は、各政党が自己主張をして与党の一体化とは程遠いようです。

議会では、政府提案が498件(163件成立)に対して議員提案が6018件(34件が成立)という数字がありますが(『レプッブリカ』2月28日付け)、政府提案の方が優先して審議されるというルールがあるので、政府はある程度議会をコントロールできるようです。

最後に、ベルルスコーニ政権のことを聞きましたが、フィー二がベルルスコーニと決裂して第三極をつくったものの、パーピさんによればフィー二の支持層はカジーニやルテッリよりもベルルスコーニに近いので、フィー二の戦略はうまくいかないだろうということでした。

そうすると、ベルルスコーニの多数派はなかなか崩れないわけで、当分、繰り上げ総選挙になる見通しはないということになります。任期の2013年春まで続いたとして、ベルルスコーニがなお首相候補になるのか、それとも後継者を据えて自分は大統領をめざすのかが問題になります。これだけ裁判をかかえて、本来ならどちらもあり得ないわけですが、ベルルスコーニはそれでも求心力を維持しそうなところが特別です。

パーピさんも、中道左派としての対抗策はなかなか見えないようでした。支持率の高いヴェンドーラも中道左派全体から支持されるのは難しいそうです。
ティヴォリ [2011年03月07日(Mon)]




ローマの6日、日曜日ですが、各地区でカーニバルが行われていました。

私も、留学時代の友人に招かれて2年住んでいたティヴォリの街に行ってきました。ティヴォリは写真の遠くに見えるように丘の上の4万人弱の街ですが、麓にはハドリアヌス帝の広大な避暑地があり、最近、世界遺産にも指定されて整備が進んでいます。

昔来た時は、単なる廃墟みたいでしたが。

写真のように、プール、浴場、図書館、世界各地の都市を再現した建物など、広大な敷地に沢山の遺跡が残っています。

昼食は、友人の奥さんの手料理でラザーニャなどをいただいてきましたが、日本人にはいつも量が多すぎて大変です。修行中の娘の夫は、若いこともあって、イタリア人に負けないほど食べると言って歓迎されていました。

友人の娘さんは、1996年の総選挙に来た時はまだ赤ん坊でしたが、もう高校2年生で、ラテン語に苦労しているそうです。

夜は明日からのインタビューの準備です。

日本では、前原外相があっけなく辞任してしまったようですが、ともかく解散も総辞職もしないという路線だけは貫いて欲しいものです。
アポ取り [2011年03月06日(Sun)]
ローマの5日ですが、昨日の買い出しで疲れたのもあって、今日はホテルで原稿書きをしながら、たどたどしいイタリア語でアポ取りをしました。

今日はなぜかよく繋がり、元首相のプロ―ディさん(ボローニャ)とも話すことができました。イタリアと日本で何度かお会いしているので、覚えていただいているようです。しかし、明日朝から中国北京での講義に出発する予定ということで、残念ながらインタビューはまたの機会になりました。メールで質問することはできそうです。

収穫は、プローディ内閣の官房長官で、右腕のような存在だった政治学者出身の政治家であるパリージさんと月曜日の夕方にアポが取れたことです。週末はボローニャで、月曜日にローマの事務所にこられるようです。

その他、モナコ上院議員、パーピ下院議員とも会えることになりました。

プロ―ディさんはさすがに英語で講義をしており、パーピさんは民主党の国際部なので(バンコクに出張中で、ちょうど飛行場でつかまりました)、英語は大丈夫ですが、他の人たちとは英語とイタリア語のちゃんぽんになりました。この世代だとまだ英語は普及していないようです。(それにしても、いつのまにか日本の携帯がそのままどこでも使えるようになっていて助かります。)

いずれにしても、イタリアの国会議員は、それぞれの党の生え抜きのエリートも一定いますが、それぞれの専門分野を極めたあとで議員になることが多く、また、官僚出身というのが多分ほとんどいないと思います(データを探しますが)。弁護士も多そうです。

そのうえ、完全に政治主導なので、官僚にインタビューしてもほとんど面白いことを言ってくれないというのが南島記者の感想でした。

もっとも、政治主導と言っても、個々の政治家主導なのか、政党主導なのか、首相主導なのかが実は大問題です。その辺もインタビューのテーマになります。
本の買い出し [2011年03月05日(Sat)]


ローマの4日ですが、パルディ上院議員の秘書さんから事前に読むべき資料を受け取りに上院に行ってきました。インタビュー自体は火曜日になりそうです。

そのあと、その近くの本屋を回って、本の買い出しをしてきました(写真)。ネットで買える時代ですが、やはりパラパラめくりながらでないと隔靴掻痒の感は否めません。これがイタリアに来る楽しみでもあります。

テーマの執政中枢と議会に関する本をどっさり見つけました。また、政党、政治家関係のものもいろいろ面白そうなものがたくさんありました。

全体的印象では、ベルルスコーニや北部同盟について、一時的な逸脱現象として片づけれる時期は過ぎ、その高い支持の理由や基盤を本格的に分析する傾向がはっきりしてきています。

「自由の人々」は下降気味とはいえ最近でも27・2%で第一党の支持率を持っていますし、北部同盟は2008年総選挙の8・3%から11・8%へと3%以上も伸ばしてきています。対する民主党は24・3%まで追い上げており、ヴェンドーラたちの「左翼、エコロジー、自由」も8・2%まで来ています。

ちなみに、政治リーダーの支持率では、ベルルスコーニのナンバー2であるトレモンティが50・4%、ヴェンドーラが48・8%競っています。民主党のベルサー二が39・2%、ボッシが31・6%、ベルルスコーニが30・4%となっています。

ベルルスコーニ離れが進んでいると同時に、トレモンティという後継者の支持が高いこと、左派ではヴェンドーラが驚くほど支持が高いことが注目されます。

なお、その他の勢力では、中道連合が7・1%、「価値あるイタリア」が5・9%ですから、反ベルルスコーニ連合ができれば勝てる状況ではありますが、特にフィーニがそこまで踏み切れていません。

昨日の下院でも、フィーニ派の造反にもかかわらず、ベルルスコーニはボッシと連携して、都市への財源移譲(財政的連邦制の一部)の法案を内閣の信任をかけて採決し、314対291で可決させました。これで、おそらく今年中の解散総選挙はなくなったというのが大方の観測です。

フィーニは、ベルルスコーニと決裂し、カジーニやルテッリと「イタリアのための未来と自由」を結成するところまで来ていますが、ベルルスコーニ打倒のために民主党などと組んで総選挙を戦う決断まではできないということでしょう。

ともあれ、日本のように、とりあえず別々に選挙をやってみて、そのあと組む相手を考えるなどというアホなことは選択肢にも上がりません。この点はまっとうです。
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