政権交代への軌跡
[2009年11月02日(Mon)]
・・・といっても、拙著の宣伝ではありません。NHKスペシャル「永田町・権力の興亡」@Aの感想です。93年の政治改革から2009年の政権交代までの政治の裏面を政治家たちの証言で明らかにするもので、一時的には当事者にもなりながら注視してきた者としても興味の尽きない記録です。
2000年の小泉政権前夜までの分についてですが、自民党の政権維持への執念の凄まじさが最も印象が強かったですね。細川非自民政権を崩壊させる工作、社会党村山政権を作り出す工作、96年総選挙後の新進党からの引き抜き工作(釣り堀とか一本釣りとか呼んでいたらしい)、98年参議院選挙で過半数を割って以降の自由党、公明党との連立による政権維持、2000年11月の加藤の乱の鎮圧など。
これらのほとんどにおいて、野中広務氏が中心的役割を果たしていたことがよくわかりました。『差別と日本人』(角川新書)で語られたこの人の生き様には深い敬意を感じましたが、断末魔の自民党を権謀術数の限りを尽くして生き延びさせた政治家野中には、自民党のアクが凝縮されているという感想を禁じえません。こうした政治家を向こうに回してなんとか政権交代を達成した小沢一郎という政治家も、並大抵ではないなという感想もわきます。
それにしても、2001年に小泉首相が登場する以前に、これほどの悪あがきをせずに、自民党がもっと潔く野党経験をする決断ができていたら、日本政治はもっと早く政権交代メカニズムを手に入れていただろうし、自民党再生の可能性も高かっただろうにと思わずにいられません。
1955年の結党以来約40年間一度も野党体験がなかったことの結果であって、自民党としてもどうしようもなかったのかもしれません。
政権交代後、テレビなどで見る野党自民党の議員たちの表情は、ちょうど「つき物が落ちた」という言葉がぴったりするくらい、せいせいして見えます。
あの15年は、戦後日本政治が「政権交代のある民主主義」へと移行する過程で通過せざるをえなかった深い泥沼だったのでしょう。
ところで、番組のなかで菅さんが、2005年の小泉郵政選挙で惨敗した時は、自分の生きているうちに政権交代はできないんじゃないかと思ったという証言もありました。今では思い出話ですが、渦中では本当に先が見えないということですね。
2000年の小泉政権前夜までの分についてですが、自民党の政権維持への執念の凄まじさが最も印象が強かったですね。細川非自民政権を崩壊させる工作、社会党村山政権を作り出す工作、96年総選挙後の新進党からの引き抜き工作(釣り堀とか一本釣りとか呼んでいたらしい)、98年参議院選挙で過半数を割って以降の自由党、公明党との連立による政権維持、2000年11月の加藤の乱の鎮圧など。
これらのほとんどにおいて、野中広務氏が中心的役割を果たしていたことがよくわかりました。『差別と日本人』(角川新書)で語られたこの人の生き様には深い敬意を感じましたが、断末魔の自民党を権謀術数の限りを尽くして生き延びさせた政治家野中には、自民党のアクが凝縮されているという感想を禁じえません。こうした政治家を向こうに回してなんとか政権交代を達成した小沢一郎という政治家も、並大抵ではないなという感想もわきます。
それにしても、2001年に小泉首相が登場する以前に、これほどの悪あがきをせずに、自民党がもっと潔く野党経験をする決断ができていたら、日本政治はもっと早く政権交代メカニズムを手に入れていただろうし、自民党再生の可能性も高かっただろうにと思わずにいられません。
1955年の結党以来約40年間一度も野党体験がなかったことの結果であって、自民党としてもどうしようもなかったのかもしれません。
政権交代後、テレビなどで見る野党自民党の議員たちの表情は、ちょうど「つき物が落ちた」という言葉がぴったりするくらい、せいせいして見えます。
あの15年は、戦後日本政治が「政権交代のある民主主義」へと移行する過程で通過せざるをえなかった深い泥沼だったのでしょう。
ところで、番組のなかで菅さんが、2005年の小泉郵政選挙で惨敗した時は、自分の生きているうちに政権交代はできないんじゃないかと思ったという証言もありました。今では思い出話ですが、渦中では本当に先が見えないということですね。